第57話 恐妻家

文字数 842文字

 わしの甥の話なんじゃがな、これがひどい恐妻家なんだ。厳密にいえば違うかな……本来、恐妻家というのは、夫が妻を怖がっているというもんじゃ。単に妻の気が強いという意味じゃなくてな。

 わしの甥がはの、妻を怖がっているというより、頭があがらんのじゃ。

 本人がいうには、結婚前はそうでもなかったらしいが……今はまったく、いわれるがまま。

 何でも甥はのう、決まった夢をくりかえし見ていたんだと。

 夢の中では、甥は侍の姿をしとって、毎回、急ぎ足で誰かを追っとる。

 野原を駆けて、林に入ってゆく。

 そこで、その誰か、つまり目的の人物の背中が見えるんだと。

 色がついた夢でのう、木洩れ日がその人の背中に当たっておって、ゆらゆら揺れてるんじゃ。

 その背中を、甥は袈裟斬りにするんじゃ。音を立てないよう、静かに抜刀して。

 するとまあ、そいつは叫び声をあげるんじゃが、夢を見るたびに違うんじゃな。

 断末魔の叫びのこともあれば、ある程度まとまった言葉を発することもある。

「あなた! 何やってるの!」

「ちょっとどういうこと!」

「ふざけんじゃないわよ!」

 そう、そのとおり。カミサンの声なんじゃな。

 甥のやつはな、小さな頃に見たチャンバラ映画の影響があるかもしれない、なんていっとる。

 奇妙なのはのう、この夢を独身の頃からくりかえし、見つづけているということじゃ。なんでカミサンと初めて会ったときに、声で気づかなかったのか。本人はその点、何もいわんかったが、結婚して初めて気づいたのかもしれん。ボヤボヤした男じゃからのう。

 まさか実際に見たわけでもないから、真偽のほどは保証できんが、カミサンの背中にはの、右肩から斜めに赤いアザが走っているんじゃ。

 ところがカミサンの方も、ときどき同じ夢を見るんじゃな。背中を斬られる夢を、な。

「前世の記憶なのかもね」

 と笑っているそうじゃ。

 甥の方は、自分の夢について話してはおらんのじゃと。
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