第77話 三四郎狸

文字数 5,077文字

 あんまり田舎すぎるんじゃねえかって話だけども。

 つい最近よう――狸に化かされたって話で町中もちきりになったんだ。

 おれが住んでる町ってのは、人口がどんどん減って今じゃ三千くらい、まあ過疎化が進んでるわけだ。

 若いのは全然いない。子供はなあ、そこそこいるよ。朝と晩、ジャージ着てぽつりぽつりと歩いてるのを見かける。

 ただ、高校がないから……ああ、ないんだ、高校が。だから中学卒業したらみんな外に出て、そのまんま。帰ってくるのはわずか。残るのは爺さん婆さんばかりだ。

 で、その爺さん婆さんの中には信仰心の篤いのがいる。寺参りをする。毎日通ってるのもいる。

 なぜか町営墓地があんまり人気なくてな、寺の境内に墓があるってうちが、けっこうあるんだ。死んだらよろしくってのもあるんだろうが、じぶんでお経を唱えてる爺さんも、こないだ見たなあ。

 寺はふたつあってな、小さい道をはさんで、並んでるんだ。うん……ああ、ふたつしかないんだよ。ふたつだけ。いやあ、十分でしょ? ふたつで。なんせ三千人くらいしかいなんだから。ひとつは禅宗で……もうひとつは浄土宗だったかな。自信ないけど。

 さて、事件はそのふたつある寺の間の道で起こった。

 べつにおたがいの寺を見ないようにしてるわけでもなかろうが、道の両側は塀で、その向こうにゃけっこう背の高い木が並んでる。

 夏場なんかは下にいると涼しいわな。日中でもちょっと暗くて、陰気なところだ。人はあまり通らず……って、他の道にしたって人がいっぱい歩いてるわけじゃないから、たいした変わりないかもしれん。

 寺帰りの爺さん婆さんの夫婦が、仏さんにお供えしたものをな……この道で失くしたんだ。

 パッと消えた。うん……パッと、だ。少なくとも本人たちはそういってた。スーパーで買った饅頭と落雁のパックが計三つ。

 レジ袋に入れてたのが急に軽くなったので見たら、影もかたちもなくなってる。もちろん、レジ袋にゃ穴なんざ開いちゃいない。

 落したんじゃないかって、引き返した。ゆっくり、ゆっくり……ヨチヨチ歩いて。寺の塀の角を曲がって、門まで。境内に入って、墓の前まで……探してみたが、とうとう見つからなかった。

 うん。お盆のときだっていうから、ちらほらいるよ、人は。でも、お供えしたもんを拾って持ってくって人はいないしょ? 饅頭と落雁だから、すぐお供えって分かるんだから。

 いやね、昔は食べたもんさ。おれの町じゃ……お供えは墓に置いていくのがふつうだったんだな。それに、よその墓にあがってるものを食うのは、むしろいいことだった。供養になるってな。おれの子供の頃はそうだった。

 だがいつの頃からかカラスが食うから持ち帰りましょうってことになって、今に至るわけだ。

 昔はそうだったんだから、年寄りの中には、道に落ちてるのを、あるいは墓に供えてあるのを見て、持ってくもんもあるか分からん。

 そうじゃないなら寺に届けたのかもしれん。届けられても困ると思うんだがな、いちどお供えしたものなんて……うん、お寺さんには聞かなかったそうだ。忙しいだろうからってな。

 でもな、話はもとに戻るが、パッと消えてるんだな。

 手に持ってるのが急に軽くなったから、饅頭と落雁がなくなってるのに気づいたわけだ。

 どこ行ったんだろうって探し回ったのは、そんなことなど起りようがないって、やっぱり疑ってたんだろうよ。それが、見つからなかった。

 結局、爺さん婆さんはあきらめて帰った。財布落としたわけじゃないからな。饅頭と落雁だから、あきらめもつくってもんで。

 ……ところがその数時間後だと思うんだが、こんどはまた別のグループの供えたもんがなくなった。やっぱり寺と寺の間の道で。

 爺さん婆さんと、その子供夫婦、孫と五、六人だったかな。歩いてるうちにいつのまにか消えた。これは確か、ぶどうやら和菓子やらのパックだったって聞いた。

 うん、全部だ。全部なくなった。落としたんじゃないかって探したのも、見つからなかったのも同じ。

 ついでまた別のご一行が、それからまた別なのが同じように……と、つづいたんだな。

 で、これが噂になった。

 寺の脇の道を歩いたらお供えをとられる、ってな。

 うん、〈とられる〉なんだ。〈なくす〉とか〈なくなる〉とかじゃないんだ。ひとりでに消えるわけがないんだから、お供えをとったもんがあるってこった。

 いや、動物はいない。いくら田舎っていっても市街地の中だし、今日び、野良犬、野良猫がそうそう歩いてもいない。

 お盆が明けた頃にはな、こりゃあ〈三四郎狸〉が帰ってきたんだ、そいつのしわざに違いないっていうやつが現れた。

〈三四郎狸〉ってのはな、このあたりに出没して、弁当の中身やなんかを奪ったっていう狸さ。最初に奪われたのが三四郎って人だったから、そんな通り名がついた……と、これは受け売りなんだけれども、まあこの一帯の言い伝えさ。

 でも、おれが聞いたところじゃ、〈三四郎狸〉ってのは明治の頃の話だ。町史の伝説を書いたページにも載ってるっていうんだが。

 それにしてもまた、えらい古いもんが再登場したもんだ。だいたい、明治時代の狸が食いもんを奪うなんて、そんな馬鹿な話があるかって……うん、そう思うよなあ? おれもそうだった。

 面白いことに、これをいいだしたのも同調したのも、三十、四十くらいのやつらだったんだな。

 爺さん婆さんの方は、そんなことあるかって、馬鹿にするもんが多かった。普通、逆じゃねえかって思うんだけれども。まあ、最近の爺さん婆さんの中には、いい歳して昔のしきたりや常識を知らんのもいるからなあ……。

 ああ、駄目だね。少なくともおれの周りじゃそうだ。人のこといえんけど、戦後まもなくの生まれなんて全然ダメだね。

 話がそれちまった。さてこの騒動、しばらくつづいたんだが、お彼岸のときまでにゃ解決しなきゃならないって、三十、四十くらいのやつら数人がカメラ何台かしかけたり、交替で見張ったりしたんだな。

 まず〈三四郎狸〉かどうかはともかく、どうしてお供えが消えるのか探ろうってことでな。猟銃免許持ってるやつがいるんだが、さすがに街中じゃぶっ放せない、罠仕掛けるにしても人間がかかっちまうかもしれんていうんで、捕獲はひとまず諦めた。

 仕事もあるし、女房も子供もいるってのにご苦労なこったって、爺さん婆さん連中は笑ってたな。

 こっちの方がよっぽど暇のはずなんだが、みんな放っとけばいいっていう意見だった。

 若いやつは頑張ってたな。炎天下の中、ひとりがエサの入ったレジ袋とビデオカメラを持って寺の間の道を行きつ戻りつする。

 もうひとりは近くに車を停めておいて、パソコンの画面になにか映らないかチェックする。時間を決めておいて交替する……なんて具合に。

 カメラは両側の塀の上に四台、道に二台。ある程度、距離をとって設置してあった。

 こうして張り込みをつづけていくうちにも、お供え消失事件はたびたび起きている。にも関わらず、若い連中のは奪わない。お供えしなきゃダメなんかって、一回わざわざ墓にお供えしてから持ち歩いたんだが、異変もなにもない。

 その頃にゃ爺さん婆さんたち、墓参りからの帰りは、寺の間の道を通らず、遠回りするようになっていた。

 そして……九月十日の朝っていったな。とうとうシッポをつかんだ。

 若い連中、落雁のパックにな、紐を巻きつけておいたんだ。キッチリとな。

 落雁のパックは消えちまった。でも、紐はある。見ると、寺の塀の角まで伸びている。

 紐の先端をとり、慌てて追いかけた。カメラは回したまんまだ。車の中からモニターを監視してたやつも出てきて、そのあとにつく。

 紐は伸びて伸びて……川の方へとゆく。

 土手を登って、おりて……おりたところの茂みの中へと、落雁パックが入っていくのを見つけた。

 そこへモニター監視してた方が追いついて、茂みを回りこむように移動する。

 ガサッと音がしたかと思うと……一声、ギャン。

 それがあんまり大きいんで思わずひるんだんだが、カメラを持った方が茂みをかきわけて入った……だが、それはもういなかった。

 しばらくじっとしてカメラを回してたんだが、再び現れることはなかった。

 落雁のパックは……開けた形跡はないってのに、落雁だけがなくなっていた。

 仕方ない、車まで戻ろうってんで、ふたり並んで歩きだした。ああ、寺の近くに停めてあるからな。

 いまのはなんだったんだ、やっぱり狸っぽいな、つぎの作戦は……なんてことを話しつつ寺までくると、車の脇にモニターを監視してたやつが立っている。

 エサを持ってたやつの方に近づいてきて、

「どうしたんだよ、急に駆けだしたりして……なんかあったのかよ」

 なんて聞いてくる。

 エサを持ってた方は、えっ、となった。

 いままで話してたやつは……脇を見ると、だれもいない。

 事情を説明すると、こりゃあ一杯食わされたんじゃねえかってことになった。

 それで車に入ってな、カメラで撮ったのを見てみることにした。

 ところがなにも……全く映ってなかったんだな。真っ黒。モニター監視してた方は、さっきまで異状なかったんだがなあと首を傾げる。

 ただ、ギャンと一声あげているのだけは入ってた。

 こりゃあ本物かもしれんなあ、やられたか……それにしても頭が痛くなるくらいの音量だ、なんていい合った。

 それにしても疲れたな、ひさしぶりにあんなに走ったってジュースを飲んで一息ついていると、車の外にだれかがきた。

 そこでまた、えっ、となった。

 モニター監視してたやつが、いつのまにか外にいて怒鳴ってる。

「なにやってんだ、開けろ、開けろ」

 知らないうちに、カギがかかってたんだな。それでロックを外すと、そいつ、死ぬかと思ったっていいながら入ってきた。

 いままで一緒にいたやつは……いなくなってる。

 もう一回、エサを持ってたやつが経緯を説明したらな、モニターを監視してた方は、嘘つくなって怒りだした。

 一緒に追いかけてった、川原に茂みのところで、おれがまだ探しまわってるってのに、おまえはブツブツいいながら勝手に帰ったんじゃねえかって。

 じゃあ、あのときつれだって車まで戻ったのはだれなんだ。

 車の脇に立ってて、録画したのを一緒に見たのはだれなんだ。

 いや……おまえって……本当におまえだよな?

 ――幸い、そいつは本物だった。

 それ以上の怪しいことはもうなかったんだ。家族構成やら、ふたりだけしか知らないことやらを、長い時間かけて確認しなきゃならなかったんだがな。

 そして、落雁はキッチリ奪われちまってる。これ……やっぱり化かされたってことだよなあ。

 残ったのは、ギャンと一声だけ大音量で入ってる録画……ただし画面は真っ黒けってやつと、落雁だけ抜き取られてるパック。

 ああ、おれも見てみたんだ。でも、証拠にもなんにもなりゃしないだろう。声にしたって、専門家に聞いてみたらなんの声だって分かりそうなもんだし、パックにしたって、落雁だけ取ってラップを包み直すなんてこともできそうだしな。

 ああ、今でも相変わらず寺の間の道じゃ、お供えがとられてるな。とられても別にさしあたって困りゃしないってんで、その道を通るのもいるし、家に持って帰って食うべえって避けて帰るのもいる。

 若いやつらの間じゃ〈三四郎狸〉のしわざってことに、やっぱりなってる。正体をつきとめようって試みは中断したんだけれども、またそのうちやろうっていってるな。

 で、爺さん婆さんはそれを否定してる。

 ああ、おれもな……実は取られてるんだよ。パッと消えた。本当に、パッと消えたとしかいいようがないんだ。ええと……温泉饅頭の十二個入りのやつと、月餅三個と、二回、な。

 いやいや、絶対落としちゃいないんだ……墓に供えたまんま忘れてきたってのもない。

 本当にパッ消えるんだから。あっと思ったつぎの瞬間には、なくなってる。すさまじいもんだぜ……ありゃあ。人智を超えてる。

 あんたも試してみるかい?

 いっぺん体験してみなよ。
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