第25話 竹の束

文字数 3,338文字

「戦後まもなくのどさくさ」って、たまに聞きます。

 戦争を止めることになった、終わった、それで混乱して……その混乱状態を「どさくさ」というんでしょうか。

 もともとは、博打をしていたところに手入れが入る、逃げる、捕まえるっていうんでグチャグチャになっているのを「どさくさ」といったらしい。まあある意味、戦争も博打かもしれませんね。

 その戦後まもなくのどさくさ、治安が悪化しています。それをいいことに各所で泥棒を働いていた一団があった。

 五、六人くらいでみんな十代前半、いえ、その子たちも被害者ではあるんですよ。戦争孤児ってね、お父さん、お母さんから兄弟、親戚、みんな空襲やなにかで死んじゃった。身寄りがない。そんな子供たちが集まって、いつのまにか悪いことをしていた。

 東京周辺に始まって……まあ近郊をあてもなく泥棒行脚ですよ。川崎とか千葉とか。

 盗むのはまず食い物。つぎに食い物と交換できるもの。着物や貴金属類。腹がふくれればそれだけで満足なんです。悪いったって、強盗はしない。人を殺してまで物を奪うことはしない。なにか歯止めがかかってたんでしょうね。

 ……こうしてその日暮らしをしているうちに、だんだん寒くなってきたんです。新聞やラジオではことしの冬は大量に餓死者が出る、なんていってる。

 現状では、飯はなんとかなってるけれども、そろそろ冬着を調達して、どこかに保管しておいた方がいいんじゃないかって話になりました。

 そこでね、ひとりが思い出したんです。確かどこそこに被服廠がある……と。

 被服廠。服をつくる、工場ですね。

 焼け残った被服廠が……これは、埼玉のとある町にあるという話でした。

 東京の人は焼け出されて着のみ着のまま、焼け残った着物も、東京近郊の農家まで出かけて食料と交換する人がほとんどだった時代です。

 このまま東京を回ってたんじゃ、いずれ凍えてしまう。じゃあその埼玉の被服廠に行こうってことになって、途中やっぱり食い物を泥棒しつつ、向かったそうです。

 東京は焼け野原でしたけれども、荒川を渡ってだんだん奥地に入ってゆくと、戦争などなかったんじゃないかという、のんびりした様子で……でも、泥棒するにも農家ばかりになって、家と家との間が離れているし稲刈の終わった田んぼばかりで隠れるところがない。

 極力、見つからないように気をつけながら進んだそうです。

 あすは目的の被服廠に着くだろうって日の夜のことです。

 その一団、とある農家に忍び込んだ。

 農家の人って夜寝るのが早いけど、朝起きるのも早いからね。寝静まったのを見計らって、なにか食い物がないかと入っていった。

 ひとりは土間を物色、ひとりは納屋を、鶏小屋を……と、慣れたものですから、みごとなチームワークで、ことばも交わさず各所に散らばる。

 でもね……魔が刺したというのか、ヤキがまわったというべきか。

 ガタン、とものすごい音がした。

 馬か牛か、それとも豚か……いや、鶏しかいなかったはずだ。じゃあ、いったいなんの音だ。

 ええ、みんな、かたまりましたよ。そりゃ……誰か起き出してきたって瞬間には、もう走りだしていなけりゃならないんですから。

 しかし、耳を澄ませてみても、そんな気配はない。

 じっとしていると、土間の方からハアハアと荒い息遣いが聞こえてきた。

 異変を感じて、外にいた連中も集まってくる。こっちはほとんど音をたてない。でも気配で分かる。

 土間の近くに集まり、固唾をのんでうかがっているうち、ほんの一瞬、小さな声が聞こえてきた。

「女だ」

 仲間の声でした。ふたつの影がうごめいている。ひとりは手足をもがいていて、もうひとりはそれを、どうやら縄で縛ろうとしているらしい。

 ああそうかって、手分けして口のあたりを手で押さえつけたり、縄で縛っている方を手伝ったりして身動きできなくしてから、外に無理やり連れだした。

 月光のもとで見ると、じつに美しい女性でした。

 それで、どうする? と、なったんです。

 このまま縛ったまま置いておき、物色しつづけるか。

 だれかに見つかったのはゲンが悪い。すぐにでも逃げるか。

 異性に興味のある年頃ですから当然ながら、この女性を欲しがる者もいる。

 でも、迷ってる時間はないんです。日が昇る前には決めなければならない。

 そのうえ、その女性は嗚咽をもらしていて、猿ぐつわをしていても声が聞こえている。

 泥棒してパーッと逃げるのが専門ですから、こんな場面に慣れていない。

 まあ、慣れるってのも、どうかと思うんですけれども。


 あれこれ話し合ってても無駄だ、よし、みんなじぶんの考えをひとつに決めろ……となって、それぞれが小声で意見を述べあったところ、とにかくその女性を移動させて、慰みものにしようという者がほとんど。

 ひとりだけです。そんなことはするもんじゃない、俺たちゃいままで、そんなことはしなかったじゃねえかっていったのは。

 ああ、分かった、じゃあこれまでだ、おまえとはおさらばだっていうことになりまして……いや、仲間意識っていっても、きちんと……きちんとというのもおかしいけれども、きちんと泥棒業をやってゆくための仲間意識でしたから。

 それで、そのひとりが立ち去ろうとした瞬間です。

 なんだ、おまえら! って、野太い男の声がした。

 それとほぼ同時に、わらわらとどこに隠れていたのか、人が集まりだした。

 鋤、鍬、鎌、竹刀……手に手に得物を持っているのが夜目にもはっきり分かる。

 待ち伏せだったんでしょうか。

 その一団がくる前にも泥棒が入っていて、それで警戒していたのかもしれません。

 ともあれ、いっせいに逃げだした。

 逃げるときは、かたまらないのが鉄則です。

 これもどういう呼吸か、逃げだしたときにはみな別方向に駈けだした。

 でも、相手が多すぎた。

 すぐに、ひとり、またひとりとつかまっていったんです。

 最後に……女性に手を出すことに反対して、立ち去ろうとしたやつが残った。

 はい、はい。

 ううん、どうなんでしょう。

 そんな道徳的な話でもないんですが……。

 そいつは、土間に入って大きな桶の中にもぐりこみ、騒ぎが収まるのを待とうとしたそうなんですよ……ええ、どさくさ。本当にどさくさですね。

 そこへ、あとひとりだ、ここに逃げ込んだやつがいたはずだって、数人が入ってきた。

 身を小さくするといっても限りがある。

 桶の中を見られたら、一巻の終わりです。

 覚悟を決めたところで、入ってきたひとりがいいました。

「この中か」

 ああ、駄目だ。見つかった。

 ところが、そいつのいる上に、二、三人が覆いかぶさるように覗き込むと、口々に……こういい合ったんです。

「なんだよ、竹の束じゃねえかよ」

「生垣でもつくるのか……こんなに」

 そこへまた土間へと入ってくる物音があって、

「いや、こりゃあずいぶん古いぜ。役には立たんだろう」

 なにかでそいつを突きだしたんですが、どうやら、本当に竹をまとめたものだと思っている。

 そのうち、他の場所を捜そうってことになって、ガヤガヤいいながら出てゆき……人の気配がなくなったのを見計らって、そいつは脱出したそうなんです。

 ああ……これで終わりです。

 いや、いや……。

 ああ、終わり……ようやく、終わりです。

 死ぬ前に話せてよかった。

 本当に、よかった。

 ええ、そうです。そのとおり……。

 このとき、竹の束にまちがえられたのは、わたしなんです。

 わたしだけ、捕まらなかった。

 ずーっと、心のどこかでひっかかってたんです。なんでこのとき、捕まらなかったんだろうって。

 いやいや、理由なんて……。

 もうすぐくたばるっていう、この期に及んでも、わたしには分かりません。

 ただ、だれかに話せてよかった。本当に、話せてよかった。

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