相談

文字数 1,122文字

昨日、ある方から「ずっと相談にのって貰っていた人から縁を切られたことがあり、それ以来相談することが怖い」というお話を聞きました。

私もその経験は結構あったりします。
結構軽めな悩みから重めの悩みまで、色んな悩みを色んな人に相談してきました。

軽めの話で例に挙げると、「何食べたい?」って聞いた時に「なんでもいい」と答えられたら「そんなこと言うならもう相談しない!」って気持ちになりますよね。

その気持ちはある意味、相談に対してのトラウマだと思うんです。

重めの話だともっとそれは顕著で、家族関係の相談を勇気を振り絞ってしたのに、その結果「ちょっと自分には手に負えない」とか言われたらもうトラウマです。

二度と誰かに心の内を明かさないようにしようと思ってしまいます。

軽い話と重い話の2つを例に出したのですが、どちらも『解決方法を提示してくれない』が問題なのではなく、『寄り添ってくれない』が問題なのではないかと思いました。

そもそも人って今まで経験してきた事も違うし、価値観とか思想とか誰一人として同じ人はいないはずです。

経験が違えば出てくる考えや言葉も違う。

だからその人にとっての最適解なんか簡単に出ない。

相談っていうのは違う価値観の話も聞いてみて、それを吸収した上で自己判断で選択する為のものだって思ったんです。

その価値観のすり合わせが『寄り添う』という事だと思うんです。

つまり相談した時「なんでもいい」とか「手に負えない」とか言われたら、ああこの人は寄り添ってくれてないなと感じてトラウマになる。
そう思ったんです。

ここまで長々と書いたのですが、じゃあ相談されたら全てに時間をかけて一緒に考えるのが正解なのかと言われるとそうでもない気もします。

相談を持ちかける側も多少気を遣わなければならない。寄り添う事は重労働なのだという事を理解しなければならない。

まずその相談に寄り添ってくれそうな人かどうか考える。そして勝手に相談を全て話すのではなくて、一旦軽く相談内容を伝えてみて反応をみる。

「それは、困ったねえ。どうしようね。」

この一言を聞ければ相談開始です。

一緒に考えてみようという姿勢とそれに続く言葉を聞ければ、なんとなく相談をする側も救われると思います。

あと相手にも相手の時間があるので、あまり長々と話し続けるのも得策じゃないかもしれないです。

多分私はこれからも色んな悩みを持って、色んな人に相談すると思います。
今まで寄り添って話を聞いてくれた人、そしてこれから寄り添って話を聞いてくれる人。
そんな大事な人達から相談を受けた時、私も一緒に考えられる人になりたいです。

まとまりの無い文章ですみません。
日記だから許してください。

それでは、また次の機会に。

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