第四章-25

文字数 1,054文字

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 以後も遥香は、ヴィクターに肉薄し続けた。焦りの見えるヴィクターのプレーには、ミスやファールが目立ち始める。
 ただ桐畑は、今の遥香の有り様に危うさを感じていた。十九世紀のイギリスに残る決意とチームのために身を削る覚悟とは悲愴さの点であまりにも近く、桐畑の胸を否応なしに締め付けるのだった。
 敵のクリア・ボールを遥香は足元に止めた。対峙するヴィクターは冷たい目のまま、間髪を入れずに右足で掻っ攫おうとする。
 遥香、爪先でボールを浮かせる。ヴィクターのタックルが空を切る。だが、右肘は不自然に上げられていた。遥香の右脇腹に肘の一撃が入る。命中の瞬間、遥香は小さな呻き声を出した。
 くらりとよろけた遥香だが、すぐにボールに向かう。面持ちは苦しげだが、視線は射抜くように強いものだった。己の愛する競技に全てを懸ける、一人のスポーツ選手の目である。
(朝波。お前は凄えよ。凄いけど、自己犠牲が行き過ぎて危なっかしいんだっての。俺を日本に帰したい。偽物の関係でしかない仲間を喜ばせたい。そんな理由で、なんでそこまで頑張れるんだよ)
 苛立ちにも似た焦燥を覚えながら、桐畑は自分の位置を修正していた。他の選手も、敵との駆け引きを繰り広げている。
 桐畑に付いていた13番が、遥香へと寄せていった。遥香は一瞬で周囲を確認。13番の股を抜き、フリーの桐畑に縦パスを転がす。
 ボールを受けた桐畑は、ドリブルを始めた。ブラムのマーカーの接近を感じながら。
 充分に惹きつけた桐畑は、平行の位置のブラムに速いボールを出した。トラップしたブラムは、猛然と縦に持っていく。最後のディフェンス、ギディオンが詰める。
 急停止したブラムは、早い動作で右へとサイド・チェンジをした。
 ノー・マークのエドが、ワン・タッチ目で大きく前に出した。さすがのギディオンも、大きくボールを振られた後のエドのドリブルには従いていけない。
 エド、完全なるフリー。ゴールの左隅のぎりぎりへとシュートする。先制点を確信した桐畑は、ぐっと右手を握り込んだ。だが。
 皮肉にもボールはわずかに右へと逸れた。
(芝の、ギャップ? ここに来て運に見放された!)呆然とする桐畑の視線の先で、ゴールの左を通過し外に転がっていく。
 桐畑はすぐさま走り出した。前方では、エドが必死でボールを追っていた。
 しかし俊足を見せたキーパーが、エドを身体でブロック。ダイビングでボールを押さえつけ、ウェブスター校のゴール・キックとなる。ホワイトフォードは、千載一遇のチャンスを逃した。
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