第四章-19

文字数 869文字

       19

 笛の音の瞬間、桐畑はふっと脱力して立ち止まった。歩行で息を整えてから、身体の後ろで右足首を持った。腿を伸ばすストレッチである。
「後半だけどね」と、背後から凪いだ声がした。足を戻して、振り返る。
「ヴィクターの相手は、私がするよ。桐畑君、周りと連係しながらのディフェンスは、苦手みたいだしさ」
 真顔の遥香が、ゆったりと歩いて近づいてきていた。
 隣を行き始めた桐畑は、できるだけ柔らかく質問する。
「朝波が、ヴィクターを? ポジションを変えるのかよ?」
「私、ボランチの経験もあるからさ。ハーフバックの真ん中に入る。それで、みんなを上手に動かして、どうにか守り抜いてみせるよ」
 変わらぬ語調の遥香の申し出に、桐畑は少し逡巡した。
「ヴィクターだけどよ。フィジカルもなかなかのもんだぞ。女がどうこうってわけじゃないけど。正直、朝波にはきつい気がしてる。身体能力的にな」
「大丈夫だよ。あのぐらいなら、うまく立ち回ればぎりぎりなんとかなる。決断の時だよ、桐畑君。信じて私に任せてくれない?」
 ここで初めて、遥香はほんのわずかに優しい笑みを見せた。なおも迷う桐畑は、「けどよ」と時間を稼ぐ。
「もしかしてさ。『試合中に完璧な選手に成長して、チームを勝たせてやるぜ!』って考えてる? そりゃあ、天下分け目の試合でやるには、割に合わない賭けだよ。貶す気はないけど、君は局地戦向きの選手だからさ。適材適所で効率良く行きましょうよ」
 遥香の口振りに、普段の知的な余裕が戻ってきた。腹を括った桐畑は、ふうっと息を吐いた。
「そんじゃあ、ミーティングで一緒に提案すっか。俺はギディオンを、朝波はヴィクターを、完膚なきまで各個撃破。そんでもって、すっきりさっぱりチャンピオンになるって寸法でいこうぜ」
 明るさを意識して、桐畑は嘯いた。手を挙げて、頭の横で右拳を握り込む。
「なーんか、熱血って感じだね。まあ、嫌いじゃあないけどさ」
 呆れたような言葉の後に、すっきりした笑顔の遥香は、桐畑と同じ動作をした。まもなくして、二人はかつんとグー・タッチを交わした。
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