第一章-16

文字数 1,046文字

       16

 遥香の病室を後にした桐畑は、歩いてホワイトフォードに帰った。大小が様々な建物を抜けて、敷地内にあるフィッツロイ寮へと入る。
 時刻は十九時になっていた。桐畑は、大テーブルの周りにいくつかのソファー、安楽椅子が並ぶ、教室ほどの広さのコモン・ルームで授業の復習をした。しかし、病室での遥香の言葉が頭を巡って、一向に捗らなかった。
 二十一時からは、自由時間だった。勉強をしていた生徒の一部が残って雑談に興じる中で、桐畑は、コモン・ルームを立ち去った。
 年季の入った階段を上った先の男子の寝室は、十五m四方ほどの広さだ。中央の通路に沿って、木の温かみを感じさせる天蓋付ベッドが二十個以上並んでいる。
 突き当りにある大きな窓の外には満月が見え、寝室中に清爽な光を投げ掛けていた。異国情緒を強く感じさせる、幻想的な夜だった。
 桐畑は、右側の奥から二番目のベッドに歩いていった。朝食後に一度荷物を取りに訪れており、自分のベッドの場所は把握していた。
 隣のベッドに腰掛けるブラムは、ベッド横のサイド・チェストの上部を使って、手紙を書いていた。
 チェストの上には、フットボールの戦術の考察が書かれた数枚の紙が見られた。
 桐畑は、背筋を伸ばして万年筆を動かすブラムの顔を、まじまじと見詰める。
 黒に近い茶髪に、軽く日に焼けたような色の肌。ブラムは白人だが、顔のパーツ以外は日本人と近かった。鼻は高くはないが目は大きく、優男と豪傑の中間といった印象の男前である。
 ブラムは桐畑たちの一つ上の第四学年で、高い技術と守備の貢献を買われてフットボールの給費生として入学したと、紅白戦の前に遥香から聞いていた。
 ホワイトフォードは大英帝国各地の裕福な家庭のための学校だが、スポーツ給費生の枠もあるとも、同時に教わっていた。
「筆まめなんだな。誰当ての手紙? やっぱ両親か?」
 桐畑は、何となくブラムに話し掛けた。
「ああ。一週間に二通は送って、定期的に身の回りの出来事を伝えるようにしているよ。親があっての俺たちだから、無下にするわけにはいかないさ」
 手紙に視線を落としたままのブラムは、静かに答えた。顔付きは真剣だが、どことなく慈しみも感じられた。
「ケント。自分が一番わかってるだろうから、今日のプレーについては何も言わない。だけど一つだけ、お前の意識に刷り込んでおく。フットボールは、人生を懸けるに足るスポーツだよ。絶対に、間違ってはいない」
 言葉を切ったブラムは手紙を両手で持ち、文章を読み返し始めた。
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