第四章-26

文字数 1,352文字

       26

 桐畑たちは、目に見えて消沈していた。皆、体力は限界に近く、肩で息をする者もいた。
 ゴール・キックはギディオンに出された。軽く左に持っていったギディオンは、ライン際のハーフバックに速いパスを出した。
 疲れ果てた桐畑たちの間を縫って、精密なパスがテンポ良く回る。ギディオンを除いて、全員が攻撃に参加していた。遥香の健闘で揺らいでいたウェブスターは、完全に息を吹き返していた。
 引いていたエドが敵のキックをなんとか足に当てた。高めのボールが、ペナルティー・エリア内のヴィクターと遥香の間に向かう。
 さっとヴィクターが前に出た。ポジションを奪われた遥香は、回り込もうと身体を使う。
 ヴィクターは、右手で遥香を押さえた、軽く跳躍して、異様なまでに後ろに頭を振り被る。
 遥香の鼻にヴィクターの後頭部が激突した。遥香は文字に起こせないような悲鳴を上げる。そのまま凄まじい勢いで後ろへ倒れていった。
 ガゴ! 頭蓋骨と地面のぶつかる生々しい音が、グラウンドに響き渡った。遥香は両手を鼻に遣ったままほとんど動かない。
(……朝波。くそっ! ヴィクターのやつ、どこまでやりゃあ気が済むんだ!)怒り心頭の桐畑を余所に、頭でボールを去なしたヴィクターは反転した。すぐさま、淀みのないシュート・モーションに入る。
 ブラムが素早い動きでヴィクターの前に入り、シュートを撃ち際で阻止した。ボールがヴィクターの右足を掠めて、敵陣の桐畑へと飛んでいく。
 一瞬、前に、ギディオンは大声で「上げろ!」と、味方に指示を出していた。従った4番は、やや前に位置取っていた。しかし一度、敵に当たったので、オフサイドは無効である。
 桐畑とギディオンとの一対一。ここで得点できないと、勝敗は両チームの協議によって決まる。延長になれば、疲労困憊のホワイトフォードに勝ち目はない。
 右インでターンした桐畑は、ギディオンの全身を見据えた。終盤に来ても、ギディオンの半身の構えには一分の隙もない。
(やる! やる! やる! やる! 身体がぶっ壊れてでも、ここでやるんだ! 朝波は、あれだけの覚悟を俺らに示してくれた! 俺はエースだ! 絶対者だ! 敵にも味方にも、負けるわけにはいかねえ! ここで絶対、決めてやる!)
 意志を固めた桐畑の脳裏を、十九世紀のイギリスで目にした選手のドリブルが過る。
 遥香の柔らかさ、ブラムのボディ・バランス、マルセロの力強さ、エドの鋭い緩急、ヴィクターの流麗さ。その全てが昇華され、桐畑の身体を自然に動かした。
 左足裏で右、右で内跨ぎ、右足裏ストップ。右足裏で左、左で内跨ぎ、左足裏ストップ。
 全身全霊、正確無比のファルカン・フェイントに、ギディオンの重心が右へと傾いた。
 桐畑は見切った。左足を離した。右足をボールに置き後ろに転がす。反時計回りの身体の回転とともに、左足裏で前へ。完全無欠なマルセイユ・ルーレットだった。
 ギディオンの左を抜いた。ギディオン、とっさに桐畑の服を掴む。桐畑は左手で振り払い、最後の力を振り絞ってドリブルを続ける。
 キーパーが出てきた。桐畑はぐっと左に踏み込んだ。右足のアウトでキーパーを躱す。
 ゴールはがら空きだった。桐畑、イン・サイドで蹴り込む。二つの柱の間を、転々とボールが通過した。
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