マラソン その8

文字数 1,697文字

 一人じゃないって分かったら、不思議な気がした。何処の誰かは知らないが、俺と同じレールに乗ってる。俺には届かないだろうけど、俺のずっと後ろについてきているんだ。全くもって独りきりだと思ったが、世界中の大勢が、同じコースの上にいるんだ。そんでもって、四十キロ以上の苦行に身を費やしている。これは、つまり、仲間ってことだ。いつの間にか、大勢の仲間になって、その先頭に立っている。悪い気はしない、っていうか、いい気分だ。ここ最近ずっと、人から引き離されていたのが、こんなところで、繋がっている、同じ苦行に身を沈めている。辛いことを、みんなで分け合っているんだ。分け合っても、肉体の苦痛は、やっぱり四十キロ以上走るから、辛いのは一緒だが、精神は心強いんだ。たった一人世界に放り投げられて、冷静なフリして肉体を苛め抜くことで成り立っていた走者の精神が、気が付いたら、大勢の仲間がいることに気が付いた。べつにそいつらと心が通じているわけじゃないが、同じ時間、同じコースに、同じことをしている連中がいるっているだけで、俺がうっかり独りぼっちで生きているわけじゃないってことに気が付かされたんだ。
 「おい、コーチ、俺は一人で走ってるわけじゃないよな?」
 「いや、一人だ。でも、リモート先には三千万人ぐらいが同じことしてるんじゃないのか?みんなお前が言うハムスターさ。」
 「ハムスターか、結構じゃねーか!」
 「あんなに嫌がっていた割に、嬉しそうだな。もう終わりが近いからか?」
 「終わりが近い、もったいないな、もう十キロぐらい足してもいいぞ。」
 「おまえ、死ぬのか?死ぬ前にとち狂ってるのか?」
 「かもしれねえな。」
 「そろそろペースを落とせ、ほんとに危ないぞ。早すぎる!」
 俺はそれ以上何も答えずにスピードを上げた。俺は何で走ってる?心臓は破裂しそうだし、肺は砂でいっぱいみたいに苦しいのに、ひざはガクガクで、筋肉は引きちぎれそうになっているのに、ボロボロなのに、まだまだ走りたいのだ。俺は何で走ってる?勝ちたいのか、負けたくないからか、いや、それじゃない。誰かに期待されているからか?それは少しはあるかもしれん。一ミリメートルでも期待されたら、四十キロメートル以上で返してやりたいって気はある。だからって、誰かのために走っているわけじゃない。よくわからないな、誰かのために走るってのは、いつもより力が出るのは間違いないが、それが喜びってことじゃない。たぶん、精神では答えが出ない。肉体に聞いたら、仕方がないからって答えるだろうが、それも違う。うまく言えないが、とにかく、走ることに意味なんてなくて、とにかく走りたいんだ。ゴールに近づくと、いつもそうだ。精神でも肉体でもないところで、走ることに、すべてが向かっていく。たぶん、こういうことだ、鳥は飛ばなかったら鳥じゃない。鳥は飛ばなくてはならないんだ。だったら、走者は走らなくてはならないって事じゃないのか?だったら、走者以外はどうすりゃいい?人はどうすればいい?人は、いくら大変なことになっても、独りきりになっても、追い詰められても、ひどいことになっても、死んでる場合じゃないんだ、生きなくてはならないんだ!
 いつもそうだ、ゴール近くになると気が付くんだ。しかし、ゴールを通り過ぎれば、照れくさいのか、すっかりそのことを忘れ切ってしまう。しかし、俺は、今日、独りで走ってないことを知った。仲間がいることに気が付いたんだ。
 みんな、世界中の人間が、生きている。生きなくてはならないと、独りぼっちになっても、戦っているんだ。俺がベルトコンベアで死に物狂いでハムスターをしているように、追い詰められようが、ひどい目に合おうが、人から切り離されても、死に物狂いで「生きねばならない!」って生きているんだ。俺はそいつらに負けている場合じゃない。勝つ必要はないが、負けてはならない!
 赤いランプが点いた、ゴールだ!俺は必死で生きぬいた。スイッチが切れるみたいに、力がすべて抜けた。足がもつれて、コンベアのコースから弾き飛ばされた。ついに成し遂げた!レースは終わったのだ!
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