ボクシング その4

文字数 1,679文字

 千代の剣は考える。相手は自分の攻撃の距離を保ちたいようだが、接近しすぎても肘打ちなどで対処してくる。そのうち膝も入れてきそうな勢いだが、レフリーはアメリカ寄りだ。だとすると接近戦は不利になる。ボブには反則が無いからだ。打撃合戦をしたところで、相手の方がリーチが長いし、張り手パンチだと掌を返すのにグローブが邪魔で決定的なダメージを与えることが出来ない。拳を握って張り手を出すようにすればいいが、正直まだ慣れていない。相撲の技は基本的に掴まないと出来ない。ボクシングでは掴むようなことはできない。必死に拳を繰り出していくうちに、拳の出し方は分かったが、しっくりこない。自分は相撲取りだ。相撲で一番の技はなんだ?初心に立ち返れ、ぶつかり稽古を思い出すんだ。岩のようにビクともしない先輩力士に全身全霊、重い体重と足腰を鍛え上げた瞬発力をかけ合わせた巨大なエネルギーでぶつかっていった。どんな格闘技でも、あれほどのエネルギーを一瞬で使うことはない。ここで千代の剣は活路を見出す。相撲なら相手を砕くのに一瞬でいいんだ。三分も動き回る必要はない。一ラウンドも半分過ぎたが、動き回るボクシングスタイルのペースだと、三ラウンド持たない。勝負は一瞬だ。
 ボブはかなりの威力のパンチを繰り出しており、普通なら相手は体を歪めて動かなくなっているはずなのだが、デブなのに体は甲冑のように固いし、素早く動く。とにかく相手のスモウレスラーがタフなことにイラついていた。さっさと済ませたいのに、パンチは当たらないし、いいのが当たっても倒れる様子が無い。だからといって激しく攻撃してくるでもない。まるで道に立ちふさがる大きな石が少しづつ迫ってくるような嫌な感じがしていた。冷静でいられないと、攻撃の手数が増えてくる。不安を押し消すために行動を起こすのだが、これは危険地帯に立ち入った際にやってはならないことである。もがけばもがくほど、危険な場所の奥、二度と帰れない場へと行くことになるからだ。
 ボブの攻撃は素早く、連続で、千代の剣を詰めるように迫っていく。千代の剣はスウェーバックで素早くかわしながらタイミングを計る。焦るボブは躊躇なく迫ってき始めた。一歩が大きくなる。その一歩に合わせて、千代の剣はぶつかりげいこの様に、突進して張り手を繰り出す。相手が迫るスピードと千代の剣が前に突進するスピードと、張り手の速度が加わり、それが見事にボブの顔面を捉えた。ヘッドギアを付けてはいたが、巨漢の瞬発力が、さらに勢いついた丸太のような右の張り手が、そして自らそこに突進した力が合わさって、ボブの首を完全にへし折った。車に跳ね飛ばされたように仰向けに吹っ飛ばされて、骨が砕けてぐにゃりと垂れ下がった首がマットに沈む。一瞬の出来事に会場は静まり返った。目の前で行われる殺人に皆が固唾を飲んだ。
 「よっしゃー!ゴホゴホ!」
 山村会長の雄たけびがきっかけとなって会場は熱狂の声援が飛ぶ!「すげー!」「うおおおお」「やったな!やっちまったな!」「最強だ!ありがとう!」興奮のるつぼとなる観客席。皆がお互いをたたき合い、抱き合い、決闘の勝利を喜んだ。紙吹雪が舞い、大漁旗がはためく。お祭り騒ぎだった。久々の祭りのような興奮に全世界が舞い上がった。しかし、実際は、悪党とはいえ、人が皆の前で死んだのだった。
 千代の剣は、花吹雪舞う舞台の上で、久々の勝者の喜びを味わっていた。強い自分が褒め称えられる。とても誇らしい気分だった。足元に転がる首がグニャリと伸びたボブの亡骸を自分の強さの証としか思わなかった。これで四人殺したが、これだけ歓迎されたから、悪いことにはならないだろう。そう思うと千代の剣は右手を天に掲げた。ヘビー級チャンピオンが開催国の日本から生まれた歴史的な瞬間だった。
 その後、ライト級、バンダム級と試合が行われたが、最後まで試合を見ずに帰る客が続出した。寒気がする、怠い、苦しい、咳が止まらない。二万人を超す観客がほぼ全員コロナに感染してしまった。最大級のクラスター感染を起こしてしまったのだ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み