ボクシング その3

文字数 1,752文字

千代の剣は目の前にいる相手が、アスリートでないことを肌で感じた。相手を敬うとか、命に関わることがあれば手加減をするとか、そういったスポーツマンシップを全く感じさせない。同じく力士同士の立ち合いにもスポーツマンシップはない。あくまでも勝負であって、試合ではなかった。相撲の立ち合いでは、はっけよいまでは、相手の力士の後ろに情報があったが、いざ、大一番が始まるとそんなことを考えている余裕はない。だが、根底にある同じ相撲取りという情報が、同じ土俵に立っているという思いが、相手を壊す行動に歯止めをかけていた。それが相撲の諸元のルールとなったいる。が、今目の前にいる大きな黒人は獰猛な野獣そのものである。目にある鋭い光は、決して相手を活かしておこうという慈愛などみじんも感じさせない。同じ競技で同じルールで競うというアスリートの思想もない。あるのは殺人マシーンの単純な命令だけである。
 「こういった時こそ、熱くなってはだめだ。冷静に、ただ、自分が傷つかない方法を、生き残る方法を考えて動か無くてはならない。」
 千代の剣は昼寝から寝覚めた時のように冷静だった。頭蓋骨にダメージはあったが、多少の脳内出血もあったが、腹式呼吸の秘儀を用いて息を整えて、血栓を作らないように血流をコントロールする。体の中は乾いているが、熱気を帯びた熱いエネルギーだけが出口を求めている。ボブは執拗に攻撃してくるが、体に当てないように千代の剣は、腕で円を描くように内受け、外受けをし、拳の軌道を逸らしていく。ボブは当たらないとなると、更に手数を出してくる。早く正確な機械のような動きでストレートパンチ、ブロー、フックを繰り出す。千代の剣は、手だけではかわすことが出来なくなり、ステップを使い、後ろへスウェー、右に左によけていく。千代の剣は巨漢だが、動きは軽やかだった。蹴りを使えぬ、掴みあうことが出来ず、グローブをはめている。その状況で戦っていくうちに、すっかり二人はボクシングスタイルで対戦していた。
 「ちょっちゅね、これは、ヘビー級のボクシングになってきましたね。」
 「そうですね、最初はどうなることかと思いましただ、これは間違いなくボクシングの試合です。」
 「ちょっちゅね、近代ボクシングは極限まで拳で戦うことに主眼を置いた格闘技というのが証明されるましたね。ボクシングとは非常なまでの戦う機械になることが重要なんですよ。打って、避けて、最後に立っているかどうか、これですよ。いや、二人とも素晴らしい。」
 千代の剣は、ボブの攻撃リズムを掴んできた。右に回りながらジャブで自分の距離にもっていき、こじ開けるようにコンビネーションで攻めてくる。ダン、ダターン、ダンダンダンダン。この最後のコンビネーションが長いのだ。二三撃なら耐えられるが、十以上のコンビネーションで攻めてくる。それもストレート、ジャブ、フックの使い方にセオリーが無いが、組み立てに無駄のない攻めとなり、五撃以上になると対応遅れて、まともに攻撃を受けてしまう。止めなきゃだめだ。そして、その止めることこそが、次の攻撃につながる。奴が放った両手掴みパンチみたいなのを繰り出す必要がある。
 「いけ、そこや!ワイがみたかった喧嘩や!ゴホゴホ!」
 山村会長はヘビー級の迫力のある喧嘩に感激していた。涙まで流していた。
「これは男の戦いや!それを開催させたのはワイや!」
 と強く思ったりして、興奮で蒸せたのか、ひどく咳が出る。電車や町中でマスクもせずに咳をしたら、人が離れていくか、罵倒されるかの社会情勢だが、今、このボクシングの会場はヘビー級のどえらい試合で皆が熱狂して、咳とかコロナとかすっかり忘れていた。
 「いけえ、ゴホゴホ、おえー」
 「そこだ!おい、ビール買ってきてくれ!暑くてかなわん!」
 「熱気むんむんだな。なんかフラフラするよ。」
 千代の剣は、ボブの体力が低下するのを待ったが、タフだった。仕方がないのでまずは、ボブのリズムを崩すように戦略を練る。ボブのリズム、ダンは一歩進んでジャブを放ち、距離を作るが、その際に同じように距離を詰めた。するとボブは急いでスウェーバックして距離を保とうとする。近距離だと拳が出ないが、二度目にすると、カウンターで肘打ちを入れてきた
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