開会式 その1

文字数 1,806文字

 「さあ、お待たせいたしました。ついに人類はかつてない歴史的な困難を技術的に克服し、東京オリンピックの開催に漕ぎ付けました。開催予定だった2020年のはじめにコロナウイルスが発生し、人類は未曽有の危機に瀕しました。人類は感染を恐れ、ソーシャルディスタンス、人は人の間に壁を築きました。しかし、人類はその壁を技術によって取り除くことに成功したのです。デジタルトランスフォーム、ITを駆使し、集まることなく、リモートオリンピック開催のシステムを作り上げました。これは技術革新による人類の勝利の一歩となることでしょう!」
 メディア代表司会の安田紳一郎が興奮気味に真新しい国立競技場、無人の観客席の真ん中でスポットライトを浴びて演説する。大型モニターには小さな顔が並んでいる。モニターの中にモニターが細胞のようにびっしりと並んでいる。その小さな細胞には興味にあふれる顔、顔、顔。その小さな顔は安田紳一郎の顔をモニターから見ている。抑揚が付いたしゃべり方で興奮は伝わってはいたが、その落ち着き払った、世界の誰よりも冷静な一重の目を見れば、このリモートオリンピックがコロナを制圧できなかった敗北であることがよくわかる。
 パンデミックから2年経つが未だワクチンは出来ていない。感染力は弱まるどころか、猛威を振るっている。月の半分はロックダウン、重傷者は徐々に増えており、病院は野戦病院と化している。そんな中、オリンピックをする必要があるのだろうか?誰しも思うが、疲弊した経済、ついには食料などの生活必需品は配給制となった今では、モニターの前で目を開ける以外、楽しみがなくなっていた。
 「よーし、安田ちゃん、いいね。じゃあ、次、花火。それから各国の会場リレー、盛り上がってきましたよ。」
 リモートオリンピックの発案者、ハイパーメディアクリエイターの高木はいつでも陽気だった。深いしわを刻んだ目元を緩め,白髪交じりの髭を撫でながら、さながら巨大な戦艦の艦長のように、船出の高揚感に血をたぎらせていた。ゆっくりと確実に巨大な戦艦は進みだす。二週間の航海は、凄まじい海戦となると高木は思っていた。敵は視聴者ではなく、人類のこれまでの文明に対する新しい挑戦という戦いと思い込んでいた。高木は見事な勝利、その後の称賛、新しい活路を見出した歴史的な人物となるだろうと思い込んでいた。己の英知で、人類のこれまでに間違いなく勝つ戦いに出る直前、高木はすべての人類に対する優越感に酔いしれ、勃起までしていた。
 画面切り替え担当の今泉は、漫画家を目指していたが、デジタルトランスフォーメーションZで、ネットメディア配信の編集になったことに疑問符が浮かんでいた。この世紀のイベントに関われるのは光栄だが、これがすんだあと、どうしよう。また、漫画家を目指すのか、このままネットメディアにとどまるのか考えた。競技場の選手団が2メートル間隔で並んでいる。笑顔でカメラに向かって手を振っている。頭上では花火が打ちあがる。ここでアメリカのスタジアムに切り替わる。星条旗を振ったアメリカの選手団が躁状態ではしゃいでいる。彼らは何で嬉しそう?こんな不完全な形での開催なのに、なんの期待をしているんだろうか?マイクタイソソ、ベーブブルース、ジョンソンなどのアメリカの一流アスリートがマスクをして肩を組んでいる。これはボランティアか何かの催しなのだろうか?スイッチを切り替える、中国が映し出される。開催国でもないのに、競技場に人が大勢集まり、会場を練り歩く選手団に観衆より大きな声援がかけられる。赤い旗が振られ、戦車が並び、空砲が何発も打たれる。中国はコロナを克服していた。政府が患者をどんどん土に埋めていくことで、恐怖により克服することができたのだ。(もしくは特効薬ができているのかもしれない。)今泉は、中国で大会をすればいいのにと思ったが、アメリカが牽制したのだ。また、日本も開催を譲るわけにいかなかった。国権を放棄すれば、侵略のきっかけを作ってしまうという世論があったのだ。今泉は、しかし、高木から聞いていた「違約金がべらぼうに高いから、安く済ませて、ターンをさっさと終わらす。」というのが本当のところだろうと思っていた。中国の国民高揚の軍事パレードが滞りなく行われていると思われたが、真っ白な閃光が画面を覆ったと同時に、大きな爆発音とともに火柱が吹き上がった。
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