陸上 走り幅跳び その2

文字数 1,831文字

 砂場の向こうで赤ランプがつく。スタートの合図だ。日坂は片足を上げ、腕を引いて体を傾ける。すると体を支えようとして、上げた足が、当然のように前に延び、大地を掴み、バネ化した全身が解放され、その溜め込まれた力が大地を蹴り上げる。ぐんと体が前に押し出される。と同時に次の蹴り上げ、交互に繰り返し加速する。前に動くことによって自然に体が推進力を得る。あとは機械となり、極限まで体を走るように動かし、矢のように跳躍する踏切まで加速する。走る意思となった日坂は風を割って突き進む。肉体は稼働により熱を帯びるが、走ることによって風が巻き起こり、体を冷やそうとする。機械のように精密に無駄なく加速する。こうなると日坂の頭の中は真っ白になる。その瞬間は深遠で、しかし、今そこで起こっている現実そのもので、風を割って進むことで自分の思う世界とつながる。
 「うわ、すげー!」
 薄暗いスタジオの中、日坂が走る様子が立体の映像となって目の前で繰り広げられる。まるで目の前で走っているように日坂の分身が動いている。そこに芸人数名がうろちょろ見て回る。走るふりを真似したり、似合わない真剣な顔をしたり。高木はなるべく広いスタジオを用意した。あらゆる角度のモーションカメラで撮影された映像はデーターとなり高速回線を伝って、スタジオに立体映像として再生される。目の前で影がない存在が走っている。そこにふざけて手を差し出す頭の悪い芸人①。日坂の立体映像はそんなことに気が付くはずもなく、飛ぶことを主眼とする深遠なる世界で走っている。それを見て「すげー!」「早っ!」とか簡単な言葉を連呼して程度の低い芸人②がはしゃぐ。日坂は踏切りのタイミングをきれいに合わせた。重力から逃れるように体が離陸する。
 「鳥ですやん、こんなの!」
 何か新しく、少し気の利いたようなことを言ったように、ただウロウロする芸人③が無駄に声を張る。その声の張り、タイミングに自信を持っていたが、殆どの見てる側からするとどうでもいいというより、邪魔、みっともなく腹立だしく聞こえる。
 一方、満員の中国北京の国立競技場でも、時間毎に様々な競技が見ることが出来る。中国時間の午後九時のプログラムは走り幅跳びである。日坂を含めて選手の立体映像が一斉に動く様子が写される。高木はこちらに参加したかったが、中国の大手通信メーカーがユーチューブと組んで、その最新技術を全世界にアピールする。競技場に横一列、立体映像の選手たちがほぼ同時にスタートする。その模様は圧巻である。鍛え抜かれたアスリートたちが五十名、一斉に走っていく。そして踏切に届いた瞬間、突き抜けるように空に舞い上がる。その素晴らしい光景に、皆は立ち上がり、大きな歓声が沸き起こる。だが、選手たちには届いてない。選手たちは様々な空の下、近所の晴れ舞台で、その実力を普段のように出し切る。あとから自分たちが一斉に走らされ、飛ばされる様子を見て、個人競技者の孤独を更に深めるものもいれば、集団の一部に埋没することを悔しく思うものもいるだろう。もしかしたら、自分は一人でない、その素晴らしい一部になれたことを誇りに思うものもいるかもしれない。だが、今は、一方的に見られているだけで、何も知らない。
 日坂は一度目のチャレンジは八メートル5センチ。個人の記録としては悪くないが、中国の競技場では着地の瞬間は停止画になり、一目で優劣が分かった。日坂は決して上位ではない。その他大勢の一部にされる。日本のスタジオでは芸人①、②がガッツポーズをとったり、③がしゃいだりしていたが、順位を聞くと皆が落胆のふりをした。記録の意味はよくわかってないが、一番じゃないことに対する反応である。
 高木はこの構成に憎しみさえ覚えていた。なんのために何も知らない芸人なんて呼ぶんだろう。スポンサーや局の意向もあるんだろうが、鑑賞眼が無いものに何を求めるんだろう。しかし、モニターの向こうの観客である一般人も、ほぼ鑑賞眼がない。だとしたら、こうしたほうが平均点となるが、場当たり的な構成は、指揮にあたる自分の価値が落ちる気がした。手元のタブレットで中国の競技場の様子を横目で見る。あれは新しい演出として優れている。開催国日本でなく、参加国の中国が優れた構成を思うがままに出来る様子に深く嫉妬した。
 「あれは開催国の総合演出の俺の手柄のはずだ!」
 一人小さくつぶやき息巻いてみたが、隣に座る今泉は聞かないふりをした。
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