開会式 その3

文字数 1,731文字

 「耳垢ほじリンピック!決勝大会!東京町田代表VS土佐代表による二十九回戦」
 赤いふんどしをのみを身に着けた男と、白いふんどしのみを身に着けた男が仰向けに寝転がり、殺人現場にあるような人型に書かれた線の中におさまっている。そこに耳かきをもった水着姿の女性が現れて、しゃがみこんで耳かきを始める。もだえる男が線から出たら負けの我慢比べだった。それを目を見開き顔をゆがませてみる高木。
 「俺の開会式を台無しにしやがって!今泉!早く切り替えろ!」
 今泉はそっとドアを開け、モニターに囲まれた部屋から出ていた。コンクリートの長く続く階段を上ると、四角い出口から光が漏れている。しかし、出口の奥には夜空が広がる。オリンピックの開会式なのに、なんで夜なんだろう?今泉は初めからずっとそれが気にかかっていた。スポーツの祭典だろうに、なぜ夜に開く?その時点で金の臭いがプンプンする。アメリカの放送時間の都合なのだ。でも、戦時中よりたくさん死者が出ているアメリカがオリンピックを見ているのだろうか?浮かれているのは中国ぐらいで、ほとんどの国は、人の往来が止まるとともに産業も止まりジリ貧だ。階段を登りきると眼下にまばゆいばかりの人工芝と真ん中に集まるアスリートたちが目に入る。そこは国立競技場の観覧席の中心だった。誰も座っていない椅子が延々と続き、一周して楕円を描いて戻ってくる。
「すげーの作れるんだよな。」
 もう始まっているに、すでに終わったような気がして、今泉はポケットから煙草を取り出し火をつける。肺に送り込まれた煙は血流を遅らせ、思考を鈍らせる。このぐらいがちょうどいい。
 ブラジルのお祭り騒ぎが映し出される。緑と黄の旗がはためき、サンバのリズムのパレードが繰り広げられる。各国同時に開会のお祭り騒ぎが始まり、三十分もしないうちに感染予防のため終わる。日本のテレビ放送だけが高木の指揮のもと構成されているが、実際のところ、オリンピックの中継はユーチューブがメインとなっている。スマホやパソコンで開会式の各地中継を選んで見ながら、小さなカメラで見ている様子を発信する。巨大なWEB会議の様相である。一度に参加できる人数は七十億。それを管理するのは開催国の日本でもなく、オリンピック好きなアメリカでもなく、経済も活況な中国となっている。日本のテレビ放送を見ているのは、日本の中の少数派となっている。だから放送事故は大した問題にはならない。高木はそれを理解していたが、開催国のメディア代表として辣腕を振るっているように思い込んでいる。キラーズは単なるいたずらとして参加している。
 「なあ、一瞬だが、わが家が映ったなあ。こんな確率ないぞ!よかったなあ。オリンピック万歳だ!」
 テレビに向かって家族に話しかける野木敦は興奮気味だ。デパートの販売員だった野木は職を失っていた。だから明るい話題が欲しかった。妻の幸恵は食品工場のパートに出かける準備を始めた。
 「お父さん、テレビに出たけど、良いことばかりじゃないかもしれないわよ。それにテレビでオリンピックの開会式を見ているのはうちぐらいかも。その証拠に誰も連絡してこないじゃない。」
 「何言ってんだ、オリンピックの開会式にテレビを通してリモートで参加できたんだよ。世界の平和の祭典、記念行事なんだ。すごいことだよ!オリンピック万歳だ!さあ、みんな立って、幸恵、健一、万歳しよう!これから始まるアスリートの活躍に、期待を託すんだ!ばんざーい!ばんざーい!」
 野木敦は一人で万歳をした。幸恵はあきれたように部屋から出ていく。ニートの健一も用は済んだとばかりにスマホ片手に部屋にこもる。残された野木敦はすることがないようにリビングに座り込み、画面がしょっちゅう切り替わる落ち着かない開会式を見入った。
 三十分ほど手を振り続けたアスリートたちは会場を後にする。女性歌手のミーサのステージが始まる。安田アナはパイプ椅子に座りミーサの歌に涙を浮かべた。歌に感激しながら誠実な安田アナは短い開会式が終わったが、開会宣言のようなものはどこに行ったのだろう?聖火もなかった。花火が代わりなのだろうか?と形式的なものが埋まらない様子に不安を覚えていた。
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