陸上 走り幅跳び その3

文字数 1,624文字

 有力選手は集団ではなく、独り舞台を用意される。アメリカのアンダーソンの出番だった。彼は昨年八メートル九十五センチを世界陸上で出している。世界記録保持者だ。アメリカのアトランタにいる。午後九時の日本と違い、朝七時。ぐっすり寝て、抵抗の少ない朝の空気の中で飛ぶことが出来る。アンダーソンが中継の画面に現れる。落ち着かない様子でウロウロして、やたらと首を振り、しっかり起きているのか、異様なぐらい向きだしたように目が開いていた。
 「ガン決まりですやん、こんなの!」
 芸人③がタイミング、表現ともにドンピシャリな事を言う。一瞬スタジオはざわつき、異様な空気が流れた。高木は思わず笑った。芸人③のポテンシャルは認めたが、総指揮者の立場から、つまみ出すように指示した。当分の間、テレビに出ることはないだろう。ユーチューブもアメリカ企業だから出られない可能性が高い。存在そのものが消えることもあり得る。
 赤ランプが点くと、アンダーソンは火が付いたように喚き散らし猛然と走り出す。全身の熱がはち切れんばかりの疾走。湯気が立つ爆発しそうな表情。ただ、訓練を重ねた体は冷静で、一ミリの狂いなく踏切りから離陸する。巨体が宙を舞う。空気をかき回し掴むようにあがく。滞空時間は3秒を越えようとする。体を折りたたみ、足からの着地に備える。地に着く。足から、そして尻、鍛えられた体は開くことなく、決して背中は付けない。世界中で大きな歓声が上がる。
 「ついに、人類は九メートルの壁を越えました!快挙です!この東京オリンピックで1968年以来の新記録、これは走り幅跳びの世界記録も破りました!9メートルの壁を破ったのです!なんと9メートル3センチ。人は鳥に近づいたのです!感動をありがとうアンダーソン!感動をありがとう東京オリンピック!」
 安田アナは働き方改革で休んでおり、人気を二分する羽島アナが熱を込めた実況をする。とはいえ羽島も安田のように冷たい石のように冷静で、明らかな異様をじっと見てた。
 「全世界が熱狂しております。新記録ですが・・アンダーソン選手、起き上がれません。サポートの方が取り囲んでいます。まさに命を削る記録だったからでしょうか?」
 冷静だが、言葉選びに慎重に、しかし、真実に近づける努力はする。羽島アナはプロだった。サポートの一人が両手で丸を作る。アンダーソンは抱えられながら起き上がり、力なく手を振りながら競技場から出ていく。
 「IOCから発表があります。跳躍は2度を予定していましたが、アンダーソン選手の様態を鑑み、温暖化による高温で身体に影響を及ぼす可能性が高く、コロナの感染も懸念されるので、跳躍は一度に改善変更されました。なるほど、選手ファーストというわけですね。いや、新記録が出ましたからね。九メートルはアンダーソン選手以外は無理でしょう。いわばコールドゲームというところでしょうか。」
 一方、走り幅跳びラストを飾る中国の競技場の地下では技師の抗麦郎は何度もなる電話の指令にイライラしていた。自動で装置は動くのだから放っておけばよいが、セキュリティー、調整の関係で抗麦郎は地下のコンソール前で待機している。
 「抗、調整を確認、秒速三十センチを、四十センチ、いや、倍にしてもいい。耐えれるまで上げることにする。設定の微調整を完了させろ。」
 モニターを見る秒速六十センチまで上げられていた。油圧稼働装置は持つが、慣性が付くのでぴったり止められるスピードではない。
 「速度は上げられますが、制動に問題が起きます。確実に揺れます。」
 「・・手動で静止しろ。急に止まるのではなく、2秒たったら徐々に減速し、3秒目に静止。抗、お前の技術にかかっている。失敗したら、抗麦郎、貴様はその競技場の一部になるんだ。」
 埋められたままになると脅され、抗麦郎はぞっとする。せっかくコロナから逃げることが出来たのに、理不尽に死んでいった者たちと同じ運命を辿ることになる。
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