マラソン その6

文字数 1,834文字

ところで、俺は何で走っているんだ?
走るのは嫌いじゃないが、好きでもない。小さいころ、勉強は全くダメで、褒めてもらうのは駆けっこだけ。「お前は足だけは速いからな。それ以外は全くだ。でもそれでいい。」小学校の時の大村先生が唯一俺のことを褒めてくれた。担任じゃなかったから他人事で褒めてくれたんだろうけど、あれは嬉しかったな。その頃、親父が家から消えた。あんまり働いてなくて、怒ってばかりのどうしようもない奴だったが、あれでも、一緒に走ってくれた。自転車が欲しいと言ったら、走ったほうが早い、キャッチボールをせがんだら、ボールを取り損ねた時に、きちっと走れた方がいいから、走るのを練習したほうがいいとか、運動神経はよかったし、色々したかったが、裕福からほど遠い家庭環境だった。だから親父は走れ走れと金のかからない方へもっていってたんだ。薄々気が付いていたが、本当に家に金が無かったんだろう。そのためか、おふくろは家にすら帰ってきてなかったから、親父と一緒に走るしかなかったんだ。でも、その親父さえいなくなった。俺は、一人になって、一人でできる遊びといえば、走り回ることぐらいだったから、そればっかりになった。爺さん婆さんに引き取られたが、かわいがられても、楽しいわけでなく、色々ほしいものはないかと聞かれたが、おもちゃの遊び方が分からなかったので、走るのに具合のいいスニーカーをせがむくらいだった。走ることぐらいしか出来なかったから、そのうちドンドン遠くへ走るようになっていった。うまく言えないんだが、景色が捲れたら、俺は自分が世界にいることを強く感じた。それが俺を走らせたし、もし、自分が同じ場所にじっとしていたら、親父やおふくろの様に消えていくような恐怖もあったんだが、もしかしたら、親父もおふくろも走って遠くに行ったのかもしれない。そうなると、これは遺伝なのかもしれない。
 中学になった頃には、走りで一目置かれていた。しかし、その学校にも家庭環境がどうとか色々いじられて馴染めなかったし、部活も所属はしていたが、一人遊びに慣れっこになっていたんで、みんなと一緒に練習とか苦手だった。でもさ、部活の連中は嫌いじゃなかった。あいつら親切だったからな。一緒に弁当食ってくれたし、俺の煮物ばっかりの弁当のおかずとから揚げやらハンバーグとトレードしてくれたり、相手にしてくれた。それは嬉しかったが、放っておかれて育ってきたから、どう返していいか分からなかった。でも、あいつらは俺なんかに近づこうとしてくれた。だから、大会があれば、多少無理してでも走れたんだ。俺のおかげで陸上に関して学校の名は上がったよ。あいつらも注目されだして、記録が伸びた。走っていてよかったのは、よく考えてみたら、そん時だけだった。あいつらは、今日そろって応援しているって聞いている。俺の晴れ姿、ハムスターみたいにせっせこクルクルしてるのをテレビで見てるんだろうな。なんか恥ずかしい。
「おい、タンザニアが近づいてきたぞ、それに、中国だ。こんな選手知らんけど、どうも早いな。走り幅跳びみたいに機械使ってんのかな?ちょっと調べさせよう。マラソンは機械が日本製だから、調べられるんだ。不正があればこっちでコントロールできる。止めてやるかな?」
「止めなくてもいいぜ、俺は、今日、勝つから。もう、こんなの終わりにしたいんだ。死ぬ気でペースを上げる。もう、出し切るんだ。」
「磯野、自棄になるなよ。また、普通に走れる日が来るに決まっている。こんなゴム底でグルグルしなくてもよくなるんだよ。」
「何時だよ!おそらく俺が走れる間は、もう無理さ!なにしろ、これで終わりにしたいからな。明日にはコロナが全く消えるってことはないだろう。なあ、そうだろ?」
中国の選手が二時間切るタイムで迫ってきている。どうせインチキしてやがる。だが、俺は負けない。俺はインチキなしで、勝ってやる。どうせ世の中、理不尽なことだらけなんだ。コロナだってそうだろ?いきなり流行って、すべてダメにしやがった。しかしな、それで分かったこともたくさんあるんだ。
 みんな、何かいいことがあるだろうって、我慢して、どっかを目指して、人生を走っているんだが、走れば走るほど、目指すゴールなんてなくて、意地悪な罠、不都合なエンドばっかりが転がってやがる。意地悪な罠や、不都合なエンドは、俺たちが転ぶのを手ぐすね引いて待っている。ハッピーエンドなんてどこにもありゃしない。
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