南野陽子や石田靖とは違う

文字数 5,183文字

 彦根を出発してまず六番を記念した長命寺港の歌碑を見に行く。
 一番から六番までの歌詞は黒い石に刻みこまれている。これが茶色に映ることはないだろう。ビデオの歌碑の歌詞部分は縦横比四倍くらいはあろうという長細い形だったというが、長命寺港の碑は多少は横の方が長いくらいの正方形よりの形になっている。また石の土台部分は三角の大屋根の家のような形になっていて、屋根にあたる傾斜の部分の片側に全歌詞、もう片方に建立の由来を書いた同形のプレートがそれぞれはめ込んである、という形状でこれも異なる。大きさも智美のイメージより全然小さい。大人の肩幅くらいか。
むしろこのフルコーラス版より、すぐ横に六番の歌詞の一部

黄金の波にいざこがん
語れわが友 熱き心

の部分だけを、自然の形を生かしたとても大きな石に掘り込んだ碑のほうが立派で、全歌詞版の方は添え物みたいなイメージがある。
 一番の三保ケ崎でも事情は似たようなもので「われは湖の子」だけが大きく掘られた味のある形の大石がまずは目立っている。少し斜めに下がって、樹木の影になるような形で、ひっそりと一~六番の全歌詞の歌碑はある。大きさも長命寺と似たようなもので、白っぽい土台の石に直接掘られている。
 あと両者に共通しているのは、近くにミュージックボックスを仕込んだ石柱など存在しない、ということだ。
 つまりどちらも達彦氏と智美のお母さんの見た歌碑とは違う。彼らがビデオ撮影したのはまぼろしの歌碑、どこにあるのかよくわからない、という話になる。
 もしかして、滋賀県警の把握していない隠された碑、好事家が自費でひっそり建てた、その手の物を見たのではないか、という可能性はあるのではないか? まあ話を聞いてみると大ぶりでこった仕掛けもあるそうだし、ちょっとやそこらの費用で建てられるものでもなかろう。大枚はたいて建てたら猛アピールしたくなるのが人情で、近隣に知れ渡っていないのも不思議だから、あまり期待しないほうがいいかもしれないが。
 そこらをフラフラしてそういうものに当たったらラッキーと思って、辺利は智美のお母さんに、近くになにか目立つものがなかったか訊いてきていた。
「結構整備されて公園みたいになってたの。橋を渡って向こう側に行ったら噴水とかがあって。それと、ああ、すぐそばにあれがあったわ。いかにも湖から川に水を出ていってる、ってわかるところ。閉じたり開けたりできるような」
「ああ、水門ですか」
「そうそう」
「大きかったですか?」
「すごく大きかったわよ。タワーみたいなのが三つか四つかあってその間を水が流れ出ていくの」
 そのタワーみたいなものの間に、場合により水をせき止める扉みたいなのが降りてくるんだろうな。四つあれば間に三つの扉があるってことか。
「水は湖から流れ出ていってましたか?」
 お母さんは少し考えてから
「流れて出ていっていたわ」
 智美が言うとおりなら、はっきり言い切るときのお母さんの記憶には間違いがない。
 湖から川に水が流れ出ていく、か。琵琶湖には流れ込んでいく川はたくさんあるが、出て行く川はたった一つ、瀬田川だけだと聞いたことがある。この瀬田川が流れていくに従い宇治川、淀川と名前を変える、と。
 瀬田川の入口に水門みたいなものがあるのか? 瀬田川洗堰っていうのがそうだろうか? 地図を見ながら一応行ってみたが、部分的に高くなって「タワー」みたいに見えると言えば見える部分、三つ四つどころじゃなく十数本見える。ただ、この堰は琵琶湖からの瀬田川が始まりから結構離れた場所にあるので、「湖から川に流れ出ている」というイメージではなく、川の途中にある、という感じである。ちょっと歩いたきりだが周りに歌碑みたいなものは見当たらない。
 琵琶湖疏水もある意味水が流れて行く水路なので、川じゃなくてこちらのことかとも思ったのだが、疏水の入口付近にある歌碑はまさに一番の三保ケ崎で、これは見た目が違うのは検証すみ。だいたい疏水取水口と湖との境に大きな水門が見当たらないのである。
 お母さん、他になんかヒントになるようなことおっしゃってたかなあ。別れ際にかわした会話を思い出す。
「辺利さんにもご苦労をかけるわね。まだ寒いけど気をつけて行ってきてね」
 お母さんはにこやかな顔で言った。智美もそうだが、この家の女性は年齢を全然感じさせない。いろいろ御苦労もあっただろうに。
「南で標高も低いんだし、ここと比べたらそんなに寒いこともないでしょう」
「いえいえそうでもないのよ。あの日も結構冷えてね。達彦さんが言ってたわ。『このあたり結構雪が降ったりもするんですよ。』って。そしたら通りすがりの、お散歩してらしたのかしらね、男の人が『雪国じゃないんで元々そんなに降るわけじゃないけど、そこそこはね。でも、地球温暖化とか言うじゃないですか。あれの影響かずいぶん暖かくなっちゃって、近江あたりなんかもうなかなか見られないですよ。』とかおっしゃってましたわ」
 時間とか空間の把握能力が落ちてきている、でもおしゃべりの内容とかはびっくりするほど憶えてることがある、と智美も言っていたが、その通りのようだ。
 琵琶湖湖畔だから滋賀県なのは当たり前だろうが、そのおじさんみたいに、今でもそれを「近江」みたいな表現するんだなあ。東近江とか近江八幡という市もあるから、実は碑があるのはその近くだった、とか? いや「近江鉄道」という私鉄も湖東側には通ってるし、湖西側ならJRの駅に近江舞子、近江高島、近江今津、近江中庄、近江塩津、があるので、琵琶湖周辺というところから絞り込むのにその情報は一切役に立たなそうだ。

 湖と水路が接する場所に大きな水門があり、近辺が噴水もあるような公園になっている場所、雪がほとんどない場所ということから多分あんまり北部ではなく、到達した時間も考えて湖西側でもなさそう、この条件で探すしかないか? とりあえず湖に沿って彦根方面に走ってみるしかない。

 お母さんごめんなさい。湖岸の道を彦根まで流したが、やはり全然収穫はなかった。
 湖際にある大きな水門は道路から二~三は見つけたのだが、水門をはさんで湖の反対側が川ではなく、真珠の養殖場だとか、マリーナというのか船をとめておくためのスペースになっているかで、どこも付近にパーキングがあり緑地公園のようになってはいるものの、歩き回ってみても噴水はない。もちろん目当ての歌碑も。あと見える水門は幅五メートル以下の小さなものばかり。
 湖岸沿いに入っていく道でもあまり細い道はチェックしなかった。辺利は運転が下手なのでそんなところに入っていきたくない、という心理が働いたのだが、そこそこ広い公園と大きい水門付きということなのでこんな細道の先にはない、と言いきってもあながち間違ってない気もする。
 疲れ切って前日と同じビジネスホテルに帰ってきた。
 智美のところに電話をかける。
「あんた本当に馬鹿ね~」
というのが第一声だった。
「うちの元旦那とかお母さんに頼まれたから、って言ってもなんでも引き受けなくてもいいのに。」
「君にも頼まれた。達彦さんのアリバイを崩してくれ、って」
「本気にするところがナントカだ、っていうのよ」
 ごもっとも。
「それにしてもあれだよな、達彦さん自身がもうちょっとはっきりした証言をしてくれればいいのにな」
 智美に聞いたところだと、達彦氏は彦根ICで降りたことは憶えているが、そこからどこをどう通って歌碑のある場所にたどり着いたのか、初めての土地でもあるので全く記憶に残っていない、と言っているという。
「ああ……」
 智美の声が低くなった。お母さんに聞こえないように、か。
「何か隠してるのよ、あの人。ずっともっと単純でまっすぐな人だと思ってた。長い間夫婦やってたってわからないものね。ちょっと人間不信になっちゃいそう。京みたいなナントカと話してると本当心が安らぐわ」
 多分、それはいい歳をした男に対して褒め言葉にならないと思う。
「でもあれだよ、本当に道とか忘れてるのかもしれないよ。いくら達彦さんが関西出身だからって言っても、兵庫県の人には滋賀県の土地感はないでしょう。いくつくらいまでこっちにいたか知らないけどさ。」
「え、何? 今なんて言った? 」
「いや、だから達彦さんは本当に道を憶えてなくて……」
「じゃなくてその後。元旦那がどこ出身だって?」
「兵庫県の伊丹市だろ?」
 一瞬沈黙があった。
「何言ってるの? あの人はO市の出身だよ。バリバリの地元なんだけど」

 訳がわからなくなってきた。
 最初は達彦氏が騙してるのは智美のほうだ、という可能性を考えてみた。実は智美のお母さんは関西人が大嫌いで、それがばれたら結婚の許可がもらえないと思った、とか。だが話を聞いてみると、お店にもそれこそたくさんの同級生という人たち、しまいには恩師だという年配の方も来ていたし、立派な卒業アルバムにまちがいなく本人だと確認できる写真も載ってる、という。
 ならば彼は辺利への手紙で嘘を書いたのだ。
 なんの目的で?
 伊丹市の出身ならなんらか辺利の同情を引いて頼みごとを引き受けてもらいやすくなると考えた? だが実際辺利は彼がどこの出身だろうとこの話を聞いたら智美に会いにいっただろうし、別に伊丹市に縁もゆかりも義理もない。かろうじて市の名前は聞いたことはあったが、どんなところかなど皆目興味もなかった。
 逆にO市の出身であることを辺利には隠したかった? こちらも同じ理由で目的がわからない。辺利にはO市にもやはり恨みもなければ貸しもないのだから。
 もう一度、達彦氏からきた手紙を読み返してみる。
 辺利はものすごく昔に読んだ漫画を思い出した。小学校低学年のころと思うので詳細は曖昧なのだが、本来もうすこし年上の子向けな雑誌だったらしく、やたら怖い話だと思いながら結局読み通してしまったおぼえがある。ある博士が現存人類よりすばらしい能力を持った未来人(ミュータント)に変われる方法を開発した。そして自ら実験台としてミュータントになる(この姿がグロかったような)。ところがそのことによって博士の人格は消えてしまう。ミュータントは自分より劣っている現存人類を滅亡させようという衝動が本質的に宿ってしまうようで、逃亡した彼はあちこちで破壊活動を繰り返すようになる。ミュータントは銃で撃とうがどんな兵器を使おうが殺すことができなかったが、何故だか破壊を起こした先々で、意味もない不思議な行動を起こしていく。実はその不思議な行動は、かすかに残っていた博士の人格が、人類を助けようとミュータント(自分)の弱点を示すための手がかりを残していったもので、それを解読してようやくミュータントを倒すことができた、というような話だ。
 あくまで勘にすぎないのだが。達彦氏は自分の行動を解き明かす鍵を、この伊丹市に関する情報の中に紛れ込ませているのではないだろうか? 不自然な形で、自分が伊丹出身だと、すぐばれるような嘘をついてこの情報に目を引こうとしたのではないか。
 そんなことをして達彦氏にどんな得があるのか、という問題はさておき、ほかに案もないので、伊丹市について書いてある情報を書き出してみる、
 ・大阪空港
 ・上島鬼貫
 ・鯉の楽園
 ・ヌートリア
 大阪空港は、最初に航空機等を使った時間短縮を考えたときに一応検討済で、羽田から回ったとしても、まつもと空港から回ったとしても、利用可能で琵琶湖湖畔に正午過ぎに着くような接続はない。
 上島鬼貫……俳句になにか今回の事件を解く鍵があるのか? あと手紙の中にも書かれているが、推理小説が好きな人が「鬼貫」という二文字で思い出すのは、巨匠鮎川哲也先生の作品に登場するアリバイ崩しのエキスパート鬼貫警部だろう。だがいくらその道の達人だからと言って、鮎川先生の作品の中の人物だから、呼んできてこの事件を解決してもらうわけにもいかない。
 鯉とかヌートリアに事件を起こさせることはできない……かな? たとえば被害者は極度の鼠嫌いだったところが、いきなり超大型鼠ともいうべきヌートリアが出てきて驚きのあまり心臓麻痺を起した、とか? ……まずい。かなり疲れてるようだ。
「そういえば、あの人二~三年前に友人の結婚式があるって言って兵庫県に行ってた。ずいぶん遠くで働いている友達だと思ったけど、あれ確か伊丹市のホテルでやるって言ってなかったかしら」と電話での智美の話。ならばその時に仕込んだ伊丹の知識を書いてきているのだろうが、一体どこがポイントなのだろう……
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み