透明人間に殺される

文字数 3,519文字


 辺利は最寄りの普通科高校を卒業した後、大学の工学部に入った。共通一次試験の結果から見て、行けそうなところでできるだけ見栄えのいい学校を選べ、と高校教師が言ったので、それに従ったところ地元から遠く離れた大学を受験することになり、合格して家を離れた。
 智美とは高校が違って、結局中学卒業以来会ってない。
 今から思えば卒業前に仲直りするチャンスはあったのかもしれない。
 中三の二月の頃、家路の途中で忘れ物に気づいて教室前まで戻ったちょうどその時、ドアを開けて智美が出てきた。一瞬驚いたようだったが、その頃ずっとそうだったようにツンと辺利から顔をそむけて彼女は行ってしまった。整理整頓の悪い辺利が、机の中に見覚えのない「合格祈願」のお守りを見つけたのはそれから結構経ったもう卒業間近のことだったが、こんなことをする、してくれる人の心あたりと言えば……
 気がついたのが遅かったとしても、間が抜けていようがなんだろうが、話しかけて、わだかまりをなくしておけば良かった。が後悔が先に立たないのは世の習いで。
 智美のお父さんの会社が立ち行かなくなって、家も売ってどこかに引っ越して行った、という話を聞いたのは大学の時だった。帰省した折に聞いたので、いなくなってしまってから二~三か月もたってからのことだった。どこでそうしているものか、頭の隅では気にはなっていたのだが、まさかこんなところで会うとは。
 しかも何か困った状況に陥っているらしい。
 ちょっと泣いた後、あたふたした男三人になだめすかされて、智美はぽつぽつと事情を説明しはじめた。
「それで、何だ、大将は警察に引っ張られていってしまった、という訳かい?」
「しかも、殺人の容疑らしいって? そんな、大将がそんなことするはずが……だいたい人殺しがあった、って話もよく知らないんだけど。被害者って誰なん?」
「河口さんって言うそうなんですけど、多分本名じゃわからないですよね。丸さんたちが『フグ』って呼んでる……」
「ああ、あのでかい図体で目の離れた口のとんがった膨れ顔の!」
「そりゃ確かに大将とトラブルはあったかもしれないけど、それしきのことで? 前回お灸を据えてやったのは大将のほうだし、殺すだの殺さないだのって話じゃ……」
 常連同志の話にさっぱりついて行けなかった辺利が口をはさむ。
「河口さんはどんな人で、大将とどんなトラブルがあったんですか?」
「よく一人で来てくれるお客さんで、最初は真面目そうな感じなんだけど、お酒が回ると変わっちゃう。私の、その、お尻とか胸とか……」
「それは許せん。ってか、そんなことされたら智美自身黙っちゃいないほうだろ。反射的にエルボースマッシュとか喰らわすんじゃないのか?」
 え、トミーそういう子だったの、と野下さん丸さんが驚く中、
「馬鹿、お客さんにそんなことできないでしょう?」
と智美は恥ずかしそうに言う。なんかキャラチェンジしてる、と一瞬思った辺利だったが、同時に脳天にお盆の一撃が落ちてきた。
「そんなこんなでこないだ大将が、『ここはそういう店じゃありませんから』って、フグ野郎を叩きだしたんでさ。『憶えてろよ、こんな店二度と来ねえ』とか捨て台詞残していったが。」
「あいつが逆恨みで襲ってきて、正当防衛とかそういうことですかね?」
「そんなんでもないんです。パパはただ、河口さんが殺されたのを目撃しただけなんです。誰かが殺されたのを見てしまっただけで、最初はそれが河口さんだってことさえわからなかった、って」
「第一発見者は疑われる、って話は聞いたことはあるけど、それだけで引っ張るとは警察も酷い」
「ただね、見てしまった殺人の様子が、変っていうか、現実にはありえない、っていうか。目撃した本人も信じられない、って言ってましたもの。馬鹿正直な人だから、お巡りさんにそこらへんを突かれても、意地でも見間違いとかを認めはしないと思うんです。それで話が悪い方向へ行ったんじゃないかと」
「変、とか有り得ない、っていったいどんな?」
「河口さん、刺殺されたみたいなんですけど、パパが見てる間中、その近くに誰一人として近づいていない、って言うんです。あれがもしも人間の仕業なら、犯人は透明人間としか考えられない、って」
 しばらくみんなが黙った。
「で、トミーはこの偶然やって来てくれた同級生が、その謎を解いてくれるはずだ、と言うんだね?」
「そう、この人取り立てて取り柄がなくて、普段はどうもぱっとしないんですけど、こういうことにだけは勘が働くんです。来てくれてよかった。まさに『飛んで火に入る夏の虫』です」
 その譬えはおかしいだろう、「地獄に仏」くらいにしとけばいいのに、と思ったが口にも出せず、その場の残り三人の期待の眼差しをなんだか痛く感じる辺利だった。

十時頃だったそうです。普通、そんな時間になったら、ここらじゃ道を歩いていて人に会う、なんてめったにないことです。街灯がこうこうとはついてるんですけど、なんだかもったいないような気がするくらい。パパは友達の家を出て少しして、前方に男が歩いているのに気づきました。
 サラリーマンなんだろうな、と思ったそうです。地味な色のいかにも、って感じのコートを着て、手にはお決まりのアタッシュケースっていうんですか、黒い四角い鞄。上背もそこそこあったけれど、横幅のほうがまあ人並みじゃないくらい堂々としたもんで、ところがなにかの拍子で横を向いたところを見ると、体の厚みのほうは普通より薄いくらいしかなくて。なんだかでっかい蟹が前向きに歩いてるようだったって。河口さんだと言われてみると、ああたしかにそうだと納得できる特徴なんですけど、帽子を目深にかぶっていたので顔も見えず、そのときは気づきもしなかったそうです。
しばらくそのまま十mくらいの間隔で歩いてたんですど、突然前の男が立ち止まったかと思うと、どうと前のめりにたおれたんです。
 何事かと思って駆け寄ってみると、男は両腕を大きく開き、地面にべったりとうつぶせで、体のサイズにあった大きなコートが広がって、墜落したコウモリ男のように見えたとか。背中から、十cm程のキラリと光るものが垂直に突き出しています。刃物の先でした。パパ―よくそんなことができるなと思うんですけど―すぐ男の脈を確かめてみたって。もう鼓動は感じられなかったそうです。
 不思議なのは、殺人が起こった瞬間に、誰も被害者のまわりにはいなかったこと。見通しのいい真っ直ぐな道で、すぐ横は家の壁が続いていて、どこにも隠れる場所なんかないのに、誰一人として男に近寄った者はいない、それどころか周囲に人っこ一人見あたらなかった、って言うんです。
 パパはすぐ近くの電話ボックスまで走って、警察に連絡しました。それからもう一度現場に戻ったんですが、そこでまた不思議なことが起こっていました。最初見たときはうつぶせになっていた死体が、いつのまにか横向きになっているんです。片手と片足をこんなふうにななめ前方に出して、アルファベットのKの字みたいだった、って。凶器の全体像もそれでわかりました。おなかにつきささっていたのは、ずいぶんりっぱな日本刀で、刃渡りは70cmくらいだったそうです。
 透明人間かお化けか、なんかそんなものの仕業だとしか思えない、気味が悪いなあとか本人もしきりに首をひねってました。でも俺は目だけは自信がある、絶対に見間違いじゃない、って。
警察って同じことを何度も何度も何度も何度も訊くんですってね。ちょっとでも前と違うことを言ったらそこを攻め立てるつもりだきっと、って言ってました。その合間に
「視力いくつ?」
「1.5と2.0です」
「ビタミンAちゃんと摂ってますか?」
「大丈夫です。別に鳥目じゃありません」
とか、とにかくなにか見間違いにさせたかったらしいんです。最後には
「最近、夢と現実の区別がなくなってびっくりする、なんてことありませんか?」
とかまで言われたそうで。
朝方パパは一回帰ってきたんですけど、何時間もたたないうちに、また刑事さんがやってきて、「任意同行」かなんか知りませんが、また連れていかれてしまいました。河口さんの身元がわかった、とかでなまじ知り合いだったものだから、もう一度叩いてみよう、みたいに考えられてるのかも? 全部ホラ話で、ありえなさそうなことばかり話す目撃者こそが犯人だ、で決着してしまえば、お巡りさんの仕事もすぐ終わるわけだし。
 このまま犯人にでも仕立て上げられたらどうしよう。気が気じゃないんです。
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