辺利、仕事をする

文字数 4,649文字

「それ、自殺だった、ってことないのかなあ? 歩きながら日本刀で自分の腹を刺す、ってのも変な話なんだけど」
と丸さんが聞くと
「いいえ。話を聞くと、倒れる直前までのしばらくの間、右手はアタッシュケースを提げたまんまだったし、左手も体の横に普通にたらしてた、とても自殺なんかではないそうですよ」
「お詳しいと言う辺利さん、どうなんですか? こんなことがどうやったら起こり得ますかね」
 いや、別に詳しいわけでは。
「そうですね……推理小説とかだと、ちょっと考えて人間にはできそうもないように見える犯罪―『不可能犯罪』って言ったりします―を扱ったので、今回のような場合、解放的密室とか視線による密室とか呼ぶ人もいるようですけど、特によく使われるトリックというと、『犯行が行われたと思われている時刻と実際に犯行が行われた時刻が違う』という奴だと思うんです。まあ、ちゃんと分類してみたわけじゃないんですけどね。そいつを使う余地があるものかどうか、検討してみましょうか」
「犯行が行われたと思われている時刻と、実際に行われた時刻が違う、といいますと?」「二通り考えられますよね。一つは実際に被害者の体に刀が突き刺されたのは、被害者が道に倒れて、目撃者が駆け寄った時より、ずいぶん前だった、という解釈です」
「そんな馬鹿な。日本刀で突き抜かれた人間が、延々おやじさんの前にたって道を歩いてきた、って言うんですか?」
「致命傷を受けた人間が歩き回ったりする例ってのは結構あるみたいですけどね。例えば1897年のこと、オーストリア王妃エリザベスはジュネーブ市内で無政府主義者に錐で背中を刺されましたが、実際刺されたという感覚がなかったんですかね、犯人を逃がしてやったうえ、半マイルほどを歩いて汽船に乗り、甲板から群衆に向けて挨拶までしている。それが数時間後に船室で死体になって発見されてるんです」
「はあ、私ら現場の人間と違っていろんなことを知ってらっしゃる」
「いや、仕事の役にはたたないことばっかりで」
たまたまこの間読んだ推理小説に載っていただけだ、なんて言えない。
「ごめん、京。それ、駄目なの」
「と言うと?」
「警察もそのくらいのところまでは考えてたらしくて、最初の事情聴取のときにそんなふうのことを聞かれたらしいの。それはない、って。後をついていっている間に、河口さんの体を横から見る機会があったんですって。途中で彼、靴紐を結わえなおしたんです。そのとき手もとが暗かったのか、街灯の方をむいてかがんだんだそうで。本当に真後ろからだけ見ていたら、背中から突き出た切っ先を見逃した、ってこともあるかもしれないけど、その時はパパに対して横向きになっているから、刀が刺さっていれば七十cmもある刀身と柄を見逃すようなことはない、って。警察にもそう言ったって」
「なるほど。それでは第二のパターンを考えましょうか。今度はばったりと倒れた時に、被害者は死んではいなかった、なんか事情があって、殺されたふりをしていただけだ、というトリックです。その場合、目撃者が電話をかけにいって不在の間に、これ幸いと犯人がやってきて、本当にその男を殺してしまう」
「そりゃあないんじゃないですか? 大将、電話の前にちゃんとその男の脈があるかどうか、確かめてるわけですし」
と野下さん。
「いや、一時的に脈を止める方法、あるみたいですよ。ゴムのボールを持ってきて、脇の下に入れて、こうぎゅとはさみこむんです。血管が圧迫されて脈がなくなったような状態になるそうで」
「なんか聞いたことありますね。でもそれも有り得ないんじゃないですか? さっきの話では、被害者がたおれたとき、両手をこう大きく広げていたと。脇の下に物をはさんでいたとは考えられないですよね」
 野下さんなかなか細かいところに頭が回る。いざクレーム対応となったとき、いい加減なことを言って誤魔化すのは難しそうだ。ちょっと気が重くなる。
「では次の仮説行きましょうか。弓か石弓か、その手のものを使って遠距離から日本刀を発射した。これどうですか?」
「さっきも言ったけど、パパ、目はいいの。逆に遠視ぎみだから遠くのほうがよく見えるくらいでね。街灯で結構明るい中でそのパパが前方見渡して人影がなかった、って言ってるんで、ちょっとどうも……」
「私もはっきりとはわからんが、日本刀って、本来飛ばすために設計された物じゃないですよね。それを長距離飛ばして人体を突き抜けさせるのは、重心とかの問題で難しいんじゃないですか。それに……」
「はい?」
「大将が電話から戻ったとき、死体の向きが変わってた、ってことでしょう。あれ、犯人がやったんだとすると、遠くから射殺しといて、目撃者が近くにいるのわかっててわざわざ近くまでよってきて、死体をひっくり返して行ったんですかね。なんのためにそんなことしたんかなあ? と」
「丸さんなかなか細かいところに目がいきますね。もしかして推理小説マニアですか? え、**サスペンス劇場のファン? これはどうもおみそれしました。まとめると、ここまで検討してきた方法はいずれもどうもそれらしくない、という結論ですね。他に何か思いつきませんか? とすると、この殺人方法は……」


 食堂から戻る車の中で
「本当になんか心当たりがあるんですか?」
 野下さんに問われた辺利は、いかにも困った、というゆがんだ顔を返した。
「正直、さっぱり見当がつかないんです」
「え、あんなに胸をはってまかせておけ、と言ったのに」
 丸さんは驚いたようだ。
 智美に、心当たりはあるけどちょっと確かめたいことがあるから、絶対にこの謎は解いて大将が帰ってこれるようにするから、と言って辺利は店を出てきたのだった。
「とりあえずは落ち着かせてやりたかったんで。なかなか話を聞いてすぐ、というわけには」
「じゃ、今日はどうなさいます? 課長の立会付きだと現場調査明日になりますけど」
「そこなんですけど」
 辺利君の口調が急に力強くなった
「正式な調査は課長お立ち会いのもとで明日行うとしてですね。せっかく今日来ているんですから、下調べということで、ちょっと問題の光ファイバ心線を計らせてもらえませんでしょうか?」
 野下さんはちょっと渋い顔になって
「あの課長、言う通りにしないと後でうるさいんですけどねえ。下手すると一週間くらい顔会わせる度にネチネチネチネチネチネチネチネチ言われるもんで」
「下調べだけです。状況説明は明日ご同席の上でさせていただきますし、本番調査としてもう一度課長に実地確認してもらう、ってことでもいいです。変に誤魔化したりはしませんよ。第一もう転勤辞令は発令されてる、ってことでしたよね? 正式には上司じゃないんでしょう? 加えて、本当に現場のことも光ファイバケーブルのこともわかってるのは野下さんたちですよね? 課長なんかいたって大したことできない単なるオベッカ使いで、建設的な意見とかどうせ出してくれないようなボンクラさんだと思うんですけど。それとも課長のサポートがないと不安なこと、あります?」
「ああ、とんでもない」
 二人が口を揃える。顔をみあわせた後、そうだな~、元々その予定で今日の仕事組んでるし、そうしようか、という話になる。
 それでも車を回す途中で、丸さんが
「辺利さん、うまいこと早く仕事が終わったらそのまま早く逃げよう、とか考えてませんよね? クレームの件じゃないです、トミーのことです。どうにもなりそうもないので黙って帰っちゃおう、とかまさか……」
と咎めるような口調で訊いた。
「え、いえ、とんでもないし滅相もない。ほら、あれじゃないですか。考えが煮詰まったときは、別のことしてたりすると急にいいアイデア浮かんだりするじゃないですか、ああいう効果を狙ってるだけです。別に他意はなんにもありませんよ。本当本当」
 智美、好かれてるんだな~、多少営業用の顔を使っているのかもしれないけど、元々の人柄ってのもあるんだろうな。ここで、無い袖は振れない、とか類似の言葉を使ったら一気に雰囲気悪くなりそうだな、と思う辺利であった。まあ、実は解決するためのアイデアが全くないわけでもなかったのだが。でも解決しようがしまいが、もう智美には会わないで帰ろう、とも心に決めていた。

 事務所に戻って2階に上がる。鍵のかかったスチールのドアを開けると、中継設備の設置された部屋。天井付近につるされたはしご状のケーブルラックの上にのって何本ものケーブルが頭の上を走っている。それらは、床にずらりと並べられた高さ2m程のベージュ色のキャビネットの中に引き込まれていく。ケーブルの端には、太い円筒状の部材がとりつけられており、そこからファイバ一本一本が直径二mm程の黄色いチューブに保護されて分岐していく。光ファイバケーブルは約二十五mm直径のもので内部に三百心(最新では四十mm直径内に千心というのもあるそうだが)の光ファイバを内蔵しているので、そのチューブ分岐部の光景をキャビネットを構成するアングルの隙間ごしに見ると、結構壮観だ。ちょっと細目のところ天(ただし原色の黄色)をとめどなく押し出し続ける丸い押し出し器、というところか。
 野下さんは光ファイバ端部につけたコネクタ同士を突き合わせて接続している部分の扉を開けた。ここも結構な密度でコネクタが詰まっている。そのうちいくつかをはずして、
「ここらへんがどうも調子悪いみたい」
と辺利君にわたしてよこす。
 段取りの悪い辺利君は、キャリングケースからようやくOTDRを取り出しかけたところ。電源を引っ張ってくるテーブルタップが入ってなかったことに気がつき、丸さんを走らせて用意してもらったりしてようやく電源を入れはしたものの、ずいぶんひさしぶりに触る機械だけに、使い方をおぼろにしか憶えていない。
 測定用光波長の設定はできたが、測定距離のレンジ設定のやり方を忘れてしまっていて、数十km分の測定結果を一画面上に数cmのグラフ表示してしまったもんだから、どこで極端に光の減衰が起こっているか見分けられない。マニュアルひっくりかえしてようやくグラフ表示を広げたが、変なところを触ったものか、今度はギザギザの雑音だらけの線になって、これまた何を計ったんだかさっぱりわからない。
 背中ごしに野下さん、丸さんがのぞきこんでいる。あせる。
「あのー、とりあえずそんなにパルス幅狭くしないでだいたいの見当だけつけたらどうですか?そのパルス幅だとノイズが多すぎてちゃんとした結果でるのに2~3時間かかるでしょう?」
 遠慮がちに野下さんが口ぞえする。
「ははは、それもそうですね」
 情けない。先方のほうがよく知ってらっしゃる。辺利君はちょっと赤くなった。
 ともあれ、いろいろいじくってるうちに原因箇所らしきものが見えてきた。この事務所からおよそ五百mほど。だらだらと損失が大きい部分が続くのではなくて、一箇所でストーンと光のパワーが落ちていたり、ひどいやつは断線していたりするようだ。問題の数本のファイバ、すべて同じ傾向。
「だいたいここらへんの位置で、ケーブルとか接続点とか見られるとこ、マンホールの中見てみたいんですけどいいですか?」
 さっそく図面を調べてもらって、現場に直行することになった。
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