五つの…… 種?

文字数 5,244文字

 辺利京が、雪中に中断されたタイヤの跡を残したまま煙のように消え失せてしまった自動車の事件に遭遇したのは、その年の十二月のことだった。そこはクラスメートの五味智美の家の別荘だったが、なんでそんなところに行ったのか? と言うと、約二か月おきに(智美曰く)怪しい長期不在を繰り返す父親の行動を探索したい彼女に引きずり回されて、だった。不在は八月、十月、そして十二月と繰り返されたわけだが、まずは二回目の不在の最中だった十月のある夕方から話を始めたい。
 十月ともなれば、山の麓のこの町に吹く風は涼しいを通り越してもう冷たい。
 図書当番が終わって、下駄箱に行く途中体育館前の廊下を通ると、ガランとしていた。いつも必死で練習しているバスケ部がなんかの事情でいないみたいだ。室内球技の部活はバスケだけという寂しい田舎の中学校だから、そうなると放課後の体育館は無人……のはずだったが、前を通り過ぎようとした辺利京がなにげなく見ると、隅のほうに五味智美が一人でベタンと座っているのが見えた。
 ちらっと見て目をそらす。例の件でまだ落ち込んでいるのだろう。それでぼうっとしているらしい。この冷たい床に直座りでいられるほど気もそぞろなのに違いない。それで本人は気づいてないようだが、この状況は結構まずい。そんなに人が通るわけでもないが、そうかと言って皆無というわけではないのだから。
 目をそらしながらつかつかと近づいて、彼女の前に背中を向けて座る。いや、本当尻が冷たい。よくこんなとこにいられるもんだ。
「おう」
「え、誰? 京か。なんで背中向けてんの?」
「まあ、いいじゃん。なにしてるんだ? 一人で」
はは、と彼女は小さく笑った。
「先生の都合で、今日バスケ部休みみたい。いつも練習で賑やかな体育館なのに、なんかシーンとして不思議だな、懐かしいなと思って通りすがりにふらっと入ってみたんだ」
 ああ、君、三年の総体で引退するまでバスケ部だったからね。
「なんか気分がもやもやするのは体動かしてないからかな、でも、去年こんなこと起こってても一緒だったかなあ、とか色んなこと考えてたら動けなくなっちゃってさ」
 やっぱりあのことか。ずいぶん悩んでるようだ。
 声をかけてやろうかと思っていたら、廊下のほうから
「スキスキスキスキスキッスキッ! 愛してる~♪」
とか調子っぱずれな歌声がして、四人の男子が通り過ぎていった。歌はアニメの「一休さん」のオープニングテーマだったが、妙にふんぞり返ってガニ股で歩幅を大きく取ったゆっくり歩き、肩をいからせ歩みにあわせて顔を左右に振っていた。あれはオープニングで、一休さんが「このはしわたるべからず」の橋の真ん中を、そのまま引き続いて虹の上を我が物顔で歩いて行くシーンの真似だろう。ならば歌は「気にしない~気にしない~気にしない~♪」から「のぞみは高~く果てしなく♪」のあたりでないといけないはずだが。あのままワンコーラス分通すつもりだろうか?
 彼らは四人でつるんでいる時間が長くて、なにか馬鹿なことをやろうと一生懸命になっている。ちょっと痛々しい。
 背丈の順で小田淳仁、並岡安徳、あとの二人中川弘文と大山孝昭が同じ位で、さっきもこの順番で通っていった。いつもこの並びのことが多くて、要は小田が先頭をきって事を始めることが多いようだ。チーム(何の?)の名前をつけたがっていたようなので、辺利が「シテンノー」と呼び始めると、それがどうやら定着しつつある。小田は「四天王」だと思っていて「なんかアリキタリ」とあんまり満足してないようだが。
 ああやって無意味に校内を闊歩する奴らがいるから人気がないと思っても油断できないのだ。辺利は自分の行動が時宜を得ていたことに満足する。
 ……それはともかく問題は智美だ。智美の憂鬱。
「親父さん、まだ帰ってこないの?」
「うん」
「でもさ。前も一回同じようなことがあって、普通に何日かして帰ってきてるわけでしょ?しかも、その番頭さんだったかが、仕事の出張だって言ってるわけだから、別に大したことないんじゃないの?」
 二か月ほど前も、同じように慰めたよねえ、確か。結局親父さん、無事に帰ってきたんじゃないか。いい大人の男が一週間やそこら家を空けたからと言って、そんなに心配することなのだろうか? いろいろ話を聞いても、辺利にはいまいち何でそんなに悩むのか理解できない。そんな辺利の思いに気づいたのかどうか、智美は言う。
「それだけじゃない。お父さん留守の間に、ちょっと書斎に入ってみたの。そしたら机の上に不吉な物見つけちゃって」
「何?」
「安っぽい、プラスチックのバッチみたいなの。裏に安全ピンがついてて、それで止める奴」
「何の形のバッチ?」
「蟹。蟹が鋏をぱっくりあけて姿の。だいたいこれくらい。それが五つ」
 と言って、彼女は辺利の背中を指でちょんちょん突いて、振り向いたところで親指と人差し指の間を二センチほど開けて見せた。
「それが……不吉な物?」
「京ってさ、推理小説好きでよく読んでるよね」
「や、まあちょっとね」
 彼女自身はあまりミステリに興味がある人ではないようなのだが、あの世界中で超有名な探偵の話はそこそこ読んでいるようで
「ホームズの話にさ、あるじゃん。怖い話。人が死んじゃう話」
 ……そう言われても。推理小説なんだから。怖くて人が死ぬ話がいったい幾つあると?
「蟹が関係してくるの? そんなのあったかな? シャーロキアンってわけじゃないからぱっと思いつかないけど」
「直接蟹ってわけじゃないけど、蟹っていえばこれ、くらい縁のあるアイテムがでてくる話よ」
「え? あったっけ?」
「ある人のところにさ、五つの柿の種を同封した脅迫状が送られてくると、しばらくしてその親戚が事故みたいな状況で死んじゃう。別の親戚が財産を相続するんだけど、今度はその人のところに柿の種入りの脅迫状が送られてきてやっぱり彼も死んじゃう。今度はその依頼人が相続すると、また柿の種が……って奴」
 違う。
 間違ってる。
 彼女はピーナッツ入りの柿の種とスルメが好き、という女子中学生にあるまじき嗜好の持ち主なのだが、柿の種への偏愛のあまり原作のストーリーが脳内で歪められてる。
「待て待て。あの話で封筒に入ってたのは柿の種じゃなかったはずで。確かオレンジの種……」
 突っ込みも聞かず続けて喋り出した彼女の声がかすれたり裏返ったりしはじめた。
「五つの蟹のバッチだよ? 封筒に入って……二月前くらいに送られてきてたみたいなの。お母さんも見たことない、って言うし、ずっと隠してたのよ。そのホームズの話と似てるでしょ? 柿の種と蟹って関係あるし。あの脅迫状送られた人たちって結局死んじゃうんでしょう? お父さん、そんなことになったらどうしよう、って。怖くて……」
 猿蟹合戦を引き合いに出すのも唐突だし、そもそも人が間違い(ホームズ譚に「五つの柿の種」という話はない)を指摘してやったのに聞き入れない姿勢はどうかと思ったが、女の子が泣き出した以上そこを突っ込むほどの勇気は辺利君にはない。それどころかどうしていいのかわからない。だもので、そのまま放っておいた。しばらくして
「ねえ、本当のとこ、京なんでこんな不自然な位置に座ったの?」
 隣にでも座ったら、このタイミングで肩に頭を持たれかけて泣いたりしてくれたのかな、とか妄想もするが、そういうわけにはいかなかった事情がある。その理由は絶対明かさないほうがいいだろうな、とは思うのでやっぱり黙っている。
「何でよ?」
 スルーしてくれないのかな。聞き返されまでしてしまうと……自分の行動に信念を持たずに生きているせいなのだろうか、と常々反省するのだが、言わないほうがいいと思ったことほど、つい口に出してしまう悪い癖。
「誰かから見られないように」
「何を?」
「あ、いや、その……」
「何をよ!」
「なんというか、お前、スカートで床に直座りしてるだろ。しおらしく膝小僧揃えてだったらともかく、そんな無造作な状態だったら前に立ったら見えちゃうんだよ、パン……グエッ」
 後方から思い切り延髄パンチが入った。

 智美はファザコンだ。
 少し話をするくらいの仲になってしまうとすぐわかるが、お父さんがこう言ってるからそれはこうだ、とかすぐに話題に父親が登場し、その価値観が尊重される。別に堅苦しい女子ではないのだが、父親基準が絶対である点は揺るがない。
 何回か辺利も見たことはあるが、スマートな感じで、歳より若く見える人だ。身だしなみも小ざっぱりしているし、彼氏にしたいような父親だと言われれば、辺利としてもうなづくしかない。
 その親父さんの行動が、最近おかしいという。
 彼はなんだか海産物を取り扱う会社を経営しているそうだが、今までも泊りの出張もないわけではなかったにしろ、一泊二泊がせいぜいで、前回・今回のように一週間ぶっ通しで帰ってこない、ということはほぼなかったらしい。
「だいたい出張のときは前もって私とお母さんに言ってくれたわ。あんな……」
 塚原さんにしか言わないでいきなり帰ってこないなんておかしい、と智美は苦々しげに言った。今回も、お父さん帰ってこないね、どうしたのかな、と母と娘で心配しているところ、ようやく夜の十時も過ぎてから、遅くなってすみません実は、と数日社長は家に帰らない旨、彼から連絡が入ったという。
 その塚原さん、というのは智美の親父さんの会社で現在番頭格に収まっている人。長年勤めあげた前の番頭さんが、歳なので身を引かせてくれと申し出てきて、替りと言ってはなんだが、と親戚筋にあたる彼を推薦してきた。それが一~二年前の事。仕事はそつなくこなしているようだが
「何かあの人嫌い」
「何かって、何?」
「そうね。目つきが悪いからかな。お母さんだって、あの人は信用できない、って言ってる」
 その話は以前智美のお母さんから直接聞いた。
 学園祭の準備が学級委員から宿題化されてしまい、材料の一部を智美が余計に持っている、というので家に取りに行ったときだ。智美に、部屋から取ってくるから玄関先で待ってな、と言われた辺利を、お母さんはリビング(彼女のところはちょっと上流階級で、洋間でソファなんかあった)にあげて確かオロナミンCをふるまってくれた。卵を入れてオロナミンセーキにする? それともミルクで割る? とか言うところを、いやそのままで結構ですと瓶のままいただいたのだが、ちょうど入れ違いで出て行った人がいた。それが「塚原さん」だったらしい。生真面目な顔をしていたが、すれ違った時に口笛を吹いているのが聞こえた。
 お邪魔でしたか、と恐縮してみせると、いいのあの人は主人の会社の人だから、とお母さんは言って、ちょっとため息をつき、
「でも、あの人はいけないわ。他人を騙す人よ、きっと」
 智美のお母さんは辺利の母ちゃんと違って、すっきり痩せていていつもちゃんとお化粧もして、綺麗で優しそうな人、理知的な感じの人だった。そのころはこの人の言動になれていなかったので、急にたかが娘のクラスメイトの前でそんなことを言うのにびっくりし、何でですか? とかそんな意味のことを辺利はもごもごと言ったのだと思う。
「私、主人が家に持って帰っていたあの人の履歴書見ちゃったのよ」
 そこに何か嘘が書いてあったのか? どういう理由でかは知らないが、それをお母さんは見破って?
「あの人ね……」彼女は声をひそめ、しかつめらしい顔で
「きっとかつらだわ。履歴書の写真は、すごい薄毛だった。今はふさふさよ。かつらで人を騙してるんだわ。そういう人なのよ」
『お母さんだって、あの人を信用できない、って言ってる』根拠はそれなのだ。

 智美のお母さんは歌が好きだ。
 加藤登紀子さんがカバーした「琵琶湖周航の歌」とかをよく口ずさんでいて、たまたまいあわせた辺利が「いいですねえ、その歌」と言うと
「あら、加藤登紀子さん、ご存知?」
「わかります。東大出た人ですよね。『一人で寝るときにゃよ~~~♪』っていう歌も好きです」
「『ひとり寝の子守歌』、若いのによく知ってるわね」
 その後、同級生からおっさんの趣味と評される辺利と彼女は「鳥になった少年」とか「白い色は恋人の色」とかの話で盛り上がった(まあだいたい辺利が小学校一年生とかもっと小さい頃の歌だ)、が、お母さんが
「『沼に沈められた女』っていう歌、知ってる?」
と言い出したときにはさすがにギブアップした。
「『丘蒸気』ってグループの歌なんだけど、私は沼に運ばれて大きな石をつけられて沈められた、ああ苦しい死にたくない、とかそんな内容なの。今度聞かせてあげるわね」
 幸いにもその約束はもう忘れられているようだ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み