潜入! クラブクラブ

文字数 7,091文字

 さて辺利は智美に首根っこを摑まえられて、くらいの勢いで彼女の家に連れられて行く。
「あんた見たのね?」
「いやそんな。目の端っこでちょっと事態を確認して、智美のことを思ってさ、目をそらして近づいて盾になってたんじゃないか」
「問答無用よ。そうだとしても口で注意してくれればいいじゃない! 見たからにはそれ相応の償いはしてもらうわ」
 口で注意したってその時点で何らかの攻撃があったに決まっている。どうせこんなことなら、もっとまじまじと目に焼き付けておけばよかった。いやいやそんなことできたはずがない。したら目が潰れていただろう。ただでさえ……妙にまぶしく見えることがあるのに。
 なんでこの女子にこんなに気になるのだろう、と辺利は考える。鼻なんかちまちまっとしていて……でも目はパッチリとして大きいのは認めざるをえないか。不細工ではないけど、美人というにはぽっちゃりし過ぎているかも。多少おばちゃん顔かもしれない。いやだからと言って可愛いくないというわけではないぞ、と京は脳内独り対談を実施する。世間には可愛いおばちゃんもいるじゃないか。外見的には決め手がないな。それか性格? 普段から「明るい」から? 元気だから? まあ俺には欠けているものかもしれないから憧れるのかもしらんがね。それもあるけど……それだけじゃないような。
 智美は辺利を引きずり回していく。
 校門を出てしばらく、人気のなくなった通りで
「ああそうだ、京」
思い出したように立ち止まった。
「何だよ?」
「なんていうか、その、京のほうに問題があったとはいっても……悪かったわね。腫れたりしてない?」
 ちょっと後ろに回り込むようにして。ひんやりしたものが優しく襟首に触れた。彼女の手。京の体はピクンとなる。
「うん。大丈夫そうね」
「し、心配すんなら最初から殴んなよ」
 彼女は彼をベイシティ・ローラーズのポスターがはってある部屋にあげた。机の回りにアイドル雑誌「明星」が山崩れしている。割かし、がさつ。
「腹が減ってはなんとやら、まずはこれでも食べて」
 思ったとおり柿ピーが出てきた。しかも小袋がかばんの中から五つ六つ。
『お父さんを悪の手から救い出す』作戦会議だというが、一体『悪』って何だ? まあ、多少なりと不安の捌け口になってやるくらいだったらよかろう。暴力はこれ以上やめて欲しいが。
「黙ってないで何か話進めてよ」
「えっ、そういう展開? じゃあまあ、なんだ、適当にお茶を濁……痛っ、わかった。状況をもう一度整理しよう。そうだそれがいい。絶対いい。何だったっけ、今回で親父さんの長期不在は二回目になる。はじめてこんなことがあったって聞いたのは、確か八月の後半くらいだったよな。その時の前兆というかきっかけというか、何かなかったのか?」
「この前京に言われたんで、思い出してみた。今から思うとなんとなくおかしいな、と思いはじめたのは、八月の四日くらいかな」
「なんで二か月以上前の日付をそんなに精密に思い出せる?」
「ちょうどお父さんと二人で遊園地のプールに行った日、その晩あたりからが怪しい、という記憶があるわけなのよ」
 はいはい、君のファザコンぶりはよくわかったよ。中学生で異性の親と二人でプール行くもんかね。母ちゃんと泳ぐ自分の姿を想像すると怖気がする。話を戻して水着姿の智美を想像……するのも止めよう。集中力が削がれる。
「夕食の時に珍しく暗い顔をしてたの。お母さんと、『どうかしたの?』と聞いたら『頭が痛いんだ』って。お食事すんだら早めにお休みになったら、ってお母さんが言ったのに、お父さんは何かゴニョゴニョいいかけたけど、訊きかえしたら、いや何でもないんだ、って。でもわたしには『そんなことで直るような問題じゃない』って言ったように聞こえた」
「そのときから悩みの種とかが発生していた、ってわけ?」
「そうじゃないかな。その後から元気がなくなってたような気がする」
「その、さ。蟹のバッジ入りの封筒を受け取ったのがその日の夕方ってことないのかな? 見つけたのが最近だけど、実は二か月前、ちょうどその日に受け取ってた、それが悩みの原因だった、ってのはないかな、と」
 多分関係ないだろうけど。
「それだったら封筒を見てもらおうかな」
 部屋から出ていってすぐに戻ってきた。お父さんの書斎に行ってきたようだ。渡されたのはなんということのない定型茶封筒で、五十円切手が貼ってある。消印は八月十日になっていた。
「プールの日より後だ。これが原因じゃないわね~」
「お父さんの失踪?がこの封筒に全然関係ないかどうかはともかく、これが着く前から様子はおかしかった、ように智美には思えた。その八月四日とかに何があったか? か」
 ひっくり返すと発送人住所を書くべきあたりにゴム印で「クラブクラブ」とだけ押してある。逆さにして振ると問題のカニバッチが出てきた。子供雑誌のおまけにでもついてきそうなチャチな代物だ。
「バッチといい、名前といいセンスねえな」
「クラブクラブってなんか意味があるの?」
「カタカナで書いてるから解釈間違ってるかもしれないけど、クラブって英語で蟹のことじゃないのかな。なんか蟹に関する集まりだから駄洒落のつもりでクラブクラブ、ってつけてみたんじゃないの」
「ふーん」
 智美は机の上に置いてあった和英辞典を引き始めた。
「例のホームズの話に出てくるような大掛かりな秘密組織とは到底思えないよな」
「いや、ちょっと待って」
 智美が辺利を制するように右手を上げた。
「いい? もしこの組織が株式会社だったら? そしてその呼び方が、まあどっちでも同じだけど『株式会社クラブクラブ』か『クラブクラブ株式会社』だったとしたら? 単語の頭文字三文字を取ってみると……」

 Kabusikigaisya Kurabu Kurabu

「あ……そんな……まずいよ。本当にそんな大きい組織と関係してんじゃ……」
かかわりなかったことにしてもらっていいかな、と言って帰りかける辺利の頭を、智美は後ろから辞書で殴った。
「逃げるな! 冗談だってば。京って一見頭いいようで抜けてるんだから。その組織って元々アメリカのなんでしょ? なんでわざわざ『クラブ』を日本語ローマ字読みにして頭文字のKをとるのよ。英語なら同好会はclubだし、蟹はcrab、どっちも『C』で始まるんじゃないの?」
 おっしゃるとおりです。
「ところで親父さん、特に蟹好きだとかあるの?」
「逆。以前蟹に当たってすごいことになった、って。それ以来食べないことにしてるそうよ」
「何の団体か怪しげなのは気になるけど、やっぱ関係ないのかな。その八月四日に何か変わったことなかったの? プールで昔の知り合いにばったり会ったとか」
「別に。そんなことなかった」
「プール行き帰りとかは、特に? なんにもなくまっすぐ帰った?」
「変わったことはなかったけど、まっすぐ行ったかというとそれは違うかな、確か。まずおじいちゃんとおばあちゃんのところへ、胡瓜とか茄子とか持っていったんだ。ついでというかすぐ近くだからね」
 彼女の母方のおじいちゃんおばあちゃんは、遊園地があるのと同じN市に住んでいるのだという。ここいらに比べると、あくまで相対的にという話ではあるが、ほんの少し都会である。智美の家は別に農家ではないが、ご近所からの頂き物が食べきれない程になることもあるのでそのおすそ分けだったそうだ。
「そこでは特に?」
「うん、玄関先で手渡しだけして」
「そこからは直行?」
「ええと、あと近くのN東商店街に寄ったの。お母さんからお酒とお醤油とか買って来て、って言われてたから」
「その商店街では変わったことは?」
 智美はうーんと唸った。
「特に、なかったと思う」

 でも、実地でもう一回考えたら何か思い出すかもしれない、と智美がいらないことを考え付いた。次の日は土曜日だったので、半日分の授業が終わった後、二人で出かけ(させられ)ることになった。
「ブスっとしてないでちょっとやる気出してよね」
「俺、昼から『暗闇仕留人』の再放送見たかったのにさ~」
と口では言いながら、もしかしてこれは考えようによってはデート、と無理やり思い込もうとした辺利。しかし行く先の商店街の様子がその幻想に浸るのを妨害する。
 一時間一本の電車を降りて、錆びた高架をくぐって着いた商店街。全体的に茶色けた緑と赤の縦じまのビニール製日よけを店先に張り出しているのがその日醤油とかを買った酒屋さんだというが、桟に埃がたまった木製の引き戸、曇ったガラス越しに中を覗いてみるが、中には誰もいない。三和土の奥の座敷に大声をかければ出てきてくれるのかもしれないが、陳列された商品数も寂しいかぎりだ。
「わざわざここまで醤油買いに来たの?」
「ついでだから。うちの近くの食料品屋さん、その時ご主人ぎっくり腰で店しばらくお休みにしてたし」
 商店街入り口付近に出し入れのしにくそうな、間口がせまくて細長い砂利引きのスペースがあって、共用の駐車場だという。お父さんはそこに車をとめて、智美をまたせて買い物に行ったそうだ。かなり工夫しても四~五台入れるのがやっとだと思うが、その日は奥のほうに別の車が一台とまっていただけじゃなかったかな、と智美は言う。
 十五分かそこらで戻ってきたという話だが、その間のお父さんの動向は不明といえば不明なので、一通り歩いて見ることにする。
 一軒あけて隣の本屋さんの表には、どう見てももう売れない(?)状態の雑誌が入ったダンボールがそのまま積み上げられて風雨でベロベロになっていたし、洋品店さんの店頭に並んでいる服の色彩がなんだか不自然に見えるのは長く屋外につるしすぎて日光で焼けたんじゃないの、と思ってしまう。
 床屋さんのグルグル回っているはずの例の看板は静止した上に横倒しになっている。手前のお茶屋さんともどもシャッターが閉まった状態だ。土曜日はお店も半日営業なんでしょうか?
錆びた鎌やら鍬やらを店頭に並べている金物屋さんの前を通り過ぎて、智美が急に止まったので、辺利は背中にぶつかってしまった。
「痛っ。何よ猫背男。下ばっかり見て歩くんじゃないわよ」
「そんな。急に止まるそっちだって……」
と辺利は文句をいいかけたが、まっすぐ後方を指した智美の指先を見てそれを飲み込んだ。
 一階が床屋だったと思われる通り過ぎた建物は、シャッター横に階段があって、一回の営業状態にかかわらず二階に上がれるようになっている。そしてその二階の高さ程度のところに、小さな看板がかかっていたのを、通り過ぎたときには気がつかなかったのだ。
 その看板には、黒字に赤で小さな蟹が縦に五匹並んで描きこんであった。横には一瞬ではよくわからないほどの大きさ、やはり赤く「クラブクラブ」。
「秘密結社が……看板、出してた」
「いや、だからもうこの時点で、『秘密』結社じゃないって」
 階段の入り口まで戻ってみる。元は白っぽかったろうプラスチック板を表面に張り合わされた階段は、ところどころ埃が油分と混ざって固着している。一段目までの狭いスペースに置かれた小さな傘立てに、おかしな方向に骨のねじまがった傘が一つ。
 二人はしばらく顔を見合わせていた。どうしよう?
 突然智美が辺利の腕をつかんで、床屋の建物の逆側の端までひきずった。金物屋との間に隠れる。
「何を……」
「黙って! 口笛がするでしょ」
 ポケットに手を突っ込んで、スーツ姿の男がやってきた。口笛を吹きながらやってきた彼は「塚原さん!」。そのまま無造作に、いましがた二人がその前で考え込んでいた階段を昇っていったようだった。
「やっぱりよ。塚原さんと『クラブクラブ』は関係あるんだわ」
「どうする?」
「どうする、ってここまで来て只で帰るわけにもいかないでしょう? あ、でも私は塚原さんに面がわれてるから、ちょっと今入っていくのはまずいかも」
 あ、やっぱりそういう展開?
 とりあえず正々堂々と入っていって、カニの看板が出ていたからカニ屋さんかと思ってきたんですけど、とか言って誤魔化して帰ってきなよ。それでとりあえず何屋さんかはわかるでしょう、とか他人事だけに脳天気な智美に背中を押されて階段を昇った。踊り場で百八十度方向転換し、つきあたり右に暗い廊下。一番手前にちょっとだけ立派な木製を模したドアに「クラブクラブ」と書いたプレート。どう見てもカニ屋さんじゃあないよな、と思いながらそっとドアを開ける。
「ごめんくださあい」
 その時、とあることに気づいて辺利は驚愕した。これがもし本当にカニ屋さんで、はいはいどうぞ買って帰って、って言われても、そんなお金ないぞ。実際缶詰以外の本当のカニなんて口にしたことないし。いったい幾らするんだろう?
 そんな不安をよそに、入った部屋には誰もいなかった。右手にカウンタがあって、カーテン越しに後ろのスペースにつながっているらしいが、もう一度呼んでも返事もない。前進するともう一つドア、そのドアの前に立つとその右手、カウンタースペースの左という位置にもう一つドア。
正面のドアは両サイドが上半分すりガラスを入れたパーテーションになっているのでおぼろに向こう側の様子は伺えるのだが、奥の部屋には明かりもついてないし、誰もいなさそうな雰囲気がする。このまま帰ったら智美にしばかれそうなので、とりあえず右手のドアを軽くあけて覗いて見ると。
 カニ屋さんというより病院だ。施術室? つんと鼻をつく匂い。青臭いような、それと消毒薬が混ざったちょっと気持ちの悪い臭い。正面に床屋さんにありそうなのを更にごっつくしたような椅子、その上に患者さんと思しき人が座っていた。頭に金属製のボールみたいなものをかぶせられていた。その金属帽には何本も何本も電線が伸びている。椅子の横に大きな箱型の機械が置いてあって、それに接続されているようだ。ときどき患者さんらしき人の体がピクッピクッとなっているように見えるのは気のせいか?
「おい、そこで何をしてる?」
 突然後ろから声をかけられた。振り向くと後ろに「塚原さん」と、四十からみの目つきのするどいもう一人のおじさんが立っていた。誰もいないと思っていた正面の部屋にいたのだろうか。
「あ、いえ、そのカニッ、カニをその……」
「何だって? お前、丸刈りだし、背格好から見て中学生だろ? お前にはまだ用があるようなところじゃないぞ、ここは。何をしてた?」
 塚原さんは言う。おじさんはガラガラ声で
「子供を使ってわしの長年の研究の成果を盗み取ろうとしてるのかもしらん。見過ごすわけにはいかんの」
「いえ、その、なにカニの間違いで。許してくれないカニ」
「ふざけてるのか?」
 もうカニの言い訳は通じそうにない。じりじりカウンタがわには後退していたので、とにかく逃げようとドアに向かって走る。なんとか廊下にまではとびだしたものの、階段の一段目を踏み外して体制が大きく後ろに崩れる。手を振り回して何かをつかんだ。だがそれは……
「痛っ、痛っ。馬鹿野郎もう許すわけにはいかねえ」
すぐ後ろに迫っていた塚原さんの髪の毛をつかんで全体重をかける形になってしまった。激高した彼に襟首をつかんでねじ上げられる。ああ、もう駄目だ。悪の秘密結社に囚われてしまった!
 ボコンと鈍い音がして塚原さんは膝をついた。彼の背後に目のところに穴があいた黒い袋をかぶった人物が立っていた。スコップを握っている。
「仲間か? お前ら一体……」
振り向いた前額部を、スコップがもう一度襲い、彼は仰向けに倒れて動かなくなった。
「え? 対抗する別の秘密組織の方ですか?」
「馬鹿言ってるんじゃないの、私よ。早く、逃げよう!」
 よくよく見ないとわからないが、肩のへんから下はセーラ服だった。階段を下りたところで智美は袋を脱ぎ捨てる。ゴミ用の黒いビニール袋だ。
「廊下の掃除用具入れに入ってたのよ。顔見られなくて助かったわ」
 スコップはどこから調達したのさ、と辺利は訊きかけたが、すぐにその必要はなくなった。駅へと走る途中、金物屋の棚に智美がスコップを立て掛けたから。
 二人息を切らして駅に駆け込むと、ちょうど電車が入ってきたところだった。一時間に一度という頻度を考えると、一生分の運を使い果たしたかもしれない。
「本当に何やってんのよ。様子見でコソっと二階に上がって廊下の奥まで行って見てたら、あの体たらくだもの」
 辺利は見てきた一部始終を話した。
「その椅子の上で悶え苦しんでた人はお父さんじゃなかったの?」
「そもそも悶え苦しんでたという程じゃないけど、それはともかく智美のお父さんじゃなかった」
「でも、何かやってることが怪しげじゃない?」
 TVのヒーロー物で、悪の組織が、すごい技術を発明した博士を誘拐してきて協力を強いるが拒否される、そして拷問なり洗脳なり、あるいは知識を吸収するために頭に電流を流すとかそんなシーンが連想される。
「帰ったらお母さんと相談して、警察に行くとかなんか考えないと」
 智美は沈んだ顔で言った。
「お父さんが心配だよ」
 それが実現しなかったのは、家に帰ると智美のお父さんがニコニコ笑いながら土産まで持って待っていたからだった。
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