アリバイ崩しをさせたい娘とアリバイ証明を願う母

文字数 4,342文字

 アリバイってどうやって作るのが多いのかな? 辺利はぼんやり考える。
 予想外に早い手段で移動することができた? 新幹線とか飛行機とか? ただ今回はアリバイ証人がずっと車で容疑者と一緒に移動していたことを保証している。達彦氏が催眠術の達人で、別の交通手段を使ったにもかかわらず、ずっと車で移動していたという記憶を智美のお母さんに植えつけられるようならその検討もまな板に載せることはできよう。いや、警察の立場にたって考えれば、そんな怪しげな仮定をする必要もないか。お母さんが達彦氏に協力して偽証している、共犯だ、と考えればいのだ。
 さて、鉄道を使ったとしよう。
N市を出発点として考えた場合、距離的に近いのはいわゆる中央東線「特急あずさ」で塩尻に向かい、乗り換えて中央西線「特急しなの」で名古屋に出る、そこから新幹線で西に向かうというルートだが、山中を走る中央線はもともと時間がかかる上に、特に塩尻での乗継が悪すぎて、新幹線の止まる米原駅まででもN市のN駅から四時間以上はかかる。
逆にO市からなら一旦東京に出たほうが早いのではとも思ったが、よく考えると東京―名古屋間がだいたい二時間だ。米原が次の新幹線駅であるとはいえ、東京―米原でさえ二時間以上になるのは間違いない。そして、Oから東京にしたところでやはり二時間くらいはかかってしまうのだ。長野県周りと大差ない。おまけにこの案だと、共犯者のお母さんが自分でOまで出向いていく必要がある。なかなかきついだろう。
 空路は? まず東京周りで考えるが、空路はもっと時間がかかった。乗る方は羽田空港だし、琵琶湖のどこに行くにしても近いのは伊丹空港(ん? 伊丹? どこかで聞いたような?)のようで、Oと羽田間はやっぱり二時間ほどかかり、伊丹から琵琶湖が見えそうでもっとも近い大津までに一時間半ほどかかる。出発地と空港および空港から目的地の時間だけであわせて三時間半を越え、飛んでいる時間を抜いてもすでに間に合わない。名古屋空港行は便が少なく現実に使える飛行機はないが、それにしても事情は同じ。目的地を名古屋よりの米原と設定しても、空港と各ポイント間の移動時間合計だけでやはり三時間半を越える。ボツ!
 おまじない程度に松本空港から伊丹への便(伊丹と福岡と札幌にしか行けないのだが)も見てはみたが、発着本数が少なすぎてまるで使えない。事実上自動車が一番素早く動ける移動手段である。
 ならば、普通は最短だと思われる中央自動車道で長野方面に向かうよりも早いルートが存在する? 中央道は枝分かれして河口湖方面へも伸びている。O市はちょうど分岐点のあたりだから、どちらに回るにも引き返す等の方向転換のロスはない。終点河口湖ICからは十数年前から引き続き東富士自動車道路という自動車専用道路が静岡県との境を越えて伸びていて、終点須走ICから十キロメートル少し一般道を経過する必要があるが、東名高速の御殿場ICに乗るのが比較的簡単だ。中央道回りとどちらが遠いか微妙なところなのだが、少なくとも劇的に距離が縮まるわけではなく、仮に全く同じ距離とすれば、わずかとはいえ一般道を経由しなければならない分、こちらのほうが不利だろう。いわずもながだが、この場合もお母さんが完全共犯者で、自分でO市まで出向くことが必要になる。
 移動時間を短縮する方法は無理そうなので、もうちょっと捻った方法で何とかならないか? 隣の会社の事務員による、事務所から出てきた犯人(?)らしい人物の目撃、これが何かの誤認だとした上で、たとえば達彦氏が朝の八時前に被害者を拉致して車のトランクに押し込み、そのまま義母とドライブに出かける。心臓に持病があるところを狭いスペースに窮屈な姿勢で閉じ込められ振動を与え続けられた彼は、道中で十時頃息を引き取る。ドライブから帰った達彦氏が死体を事務所へ運び込む、というパターン、犯行現場の誤認とでも言うのか、それはどうか?
 追加で聞いた話だと、金貸しの死体は、十時半くらいにやってきた別の客が発見、すぐに警察によって確認されているという話なので、これも成立しない。
「ちなみにお母さん、その日何時くらいに帰ってきたの?」
「五時ちょっと過ぎたくらいだったと思う」
「え、それじゃあほとんどとんぼ帰りだよね。二時前にはむこうを出てることになる」
「そうなのよね。その割にいっぱい遊んできた、みたいなこと言うのよ。普段あんまり外に出ないから、そんなふうに思うのかしら。疲れたんじゃないの、って言ってもそれほどじゃなかっていうけど、少し興奮してたのかもね、後でガクってこなければいいんだけど。」
 あとは……なんらかの形で時計に細工ができた? 映っていたのはよく公共の場所にある高いポールの上に載ってる時計のようで、簡単に針を操作できるものではないだろう。おまけに映像とビデオの時計が合致している、という点もある。
 もう一歩進めると、実はビデオは当日撮影したものではなく、別の日の同時刻に撮影されたものだった。お母さんが不思議に思わないことから考えて、もう忘れているくらいの昔に。達彦氏があまりビデオをいじっている時間はなかったというが、テープのすり替えなら一瞬でできるだろう。ただ、ビデオによって記録される録画時刻をごまかすような設定を前もって行う必要があるのだから……
「いつ金貸しさんが亡くなるか? ってのを事前に知っておかなきゃ駄目だよね」
「なんだよなあ。これが殺人だったら前もって決めておいた時刻に自分で殺したらいいんだろうけど、自然死って鑑定じゃあ難しいし。なんか自然死に見せかけて殺すトリックがあるならだけど」
「もしそんな方法があったとしても、それでも駄目よ。ビデオに映ったお母さんね、キャップ被ってたのよ。あれは連れ出された日の前の週末に買ったものなの。京の言うようにお母さんが忘れるほど昔に撮影できたわけじゃない。あと、お母さんが共犯だって可能性も一応考えるんだったわね? それでも無理よ。キャップを買った日以降、お母さん琵琶湖になんか行けた訳がないの。連続して三時間半以上の外出はしていないわよ。いつも私、仕事に行ってもお昼ご飯は帰ってきてお母さんと一緒に食べるもの。パートだから終わって帰ってくるのも早めで、問題の日以外は帰ってた時部屋にいないことなんかなかったもの。あの日の昼、書置きが残ってたからすごく心配だったわ」
 アリバイ崩しはできそうもない……か。いや、ミステリファンの悪い癖だ。崩すのが目的じゃなかった。考え始めたのは、何故警察は一見アリバイのたちそうな達彦さんに容疑をかけ続けているのか? なにかその不在証明を無効にできる目算があるのだろうか? というのが出発点だった。
「警察はどう考えてるのかなあ?」
 智美は肩をすくめた。
「推測でしかないけど……なんか辻褄を併せられなくて困ってるのかもしれない。その分、お母さんが何度も尋問される、ってことじゃないかしら。私、お母さんには言ったのよ。あの人昔は私の旦那だったかもしれないけど、もう赤の他人だし、お母さんのほうがずっと大事。へんにあの人かばって、お母さんの具合でも悪くなったら、そっちのほうがよっぽど困るのよ、って。お母さんも別に彼をかばったり嘘ついたりしてるわけじゃない、って言ってるわ。私もそれを信じる」

 いろいろ不思議なことではあるので、N市のICから琵琶湖のあたりまで、辺利は実際に走ってみることにしたのだった。恵那峡SAまで二時間ほど走って休憩したあと出発、一時間半ほど走った後、彦根のICで降りた。
 やはり時間としては、N市のICから入った後、三時間半程かかっている。高速にのっている時間だけでさえこうなのだ。小心者の辺利は、どこで覆面パトに見つかっても速度二十五㎞/hオーバーにはならないよう、百五㎞/h程度目安で走っている(一度つかまって二万なにがしかの罰金を取られた苦い思い出があるのだ)。それで約三時間半。しかもICとICの間の時間である。
 もうちょっとスピードを出せば何割かの時間短縮にはなるのだろうが、例えば十時二十分過ぎとかにN市を出かけて十二時四十分につけるとするなら。智美の団地からICまでの時間がまあ十五分くらい、降りたICからビデオ撮影場所までも仮にやっぱり十五分かかったとしよう。計算してみると、高速では一回も休まずに、道中百七十㎞/h以上をキープしなくてはならない。まず不可能と言っていいだろう。
 達彦氏は彦根で降りた、と言っているそうなので同じように降りてみた。
 今、辺利は近畿圏で働いているのだが、琵琶湖周辺のことについてはほとんど知らないと言っていい。もう夕方なのでとりあえずどこかで宿でもとるとして、それからどこか本屋にでもよって、少し知識を仕入れよう。この件について調べようというのなら。いやしかし。
 別に智美には元夫をどうにか助けてくれと懇願されたわけではない。むしろしまいには
「一人で自滅してくれればいいのに、変にお母さんを巻き込んで、おかしなアリバイを主張しないで欲しい。おかげで何度も警察に呼ばれるわ、根ほり葉ほり尋問されたりして、もう体だって丈夫じゃないのに可哀そうだわ。京、あの人のアリバイを崩してお母さんを助けてあげて。」
とアリバイ崩しを要請される始末だ。
 一方で立ち去り際に彼女のお母さんも彼を呼び止めた。
「辺利君、達彦さんはいい人でね。私が、加藤登紀子さんが歌ってる琵琶湖の歌が好きなのを知ってて……ああ、加藤登紀子さんご存知?」
「ええ、わかりますよ。バッファロー吾郎っていう二人組の芸人さんの片割れと、ラジオ番組やってるの聞いてます。いつもお酒飲みながらやってるみたいです。面白いですね」
「そう。相変らず変なことに詳しいのね」
 お母さん、かれこれ二十五年くらい前にも、似たような会話、ずいぶんさせてもらいました。
「とにかく私のために琵琶湖まで行ってくれたんです。悪いことができるような人じゃない。お巡りさんは、あなたは奴に騙されてる、とかいいますけどね。そんなこと絶対ないわ。アリバイの証拠がどうしても見つからないって言ってるみたいですけど、きっと警察は探し方が悪いんだわ。辺利君、ちょっと行って探してきてくれないかしら」
 胸ポケットに入っているメガネを探して机の引き出しを年中引っ掻き回している探し物ベタな辺利に、警察の組織力と張り合えというのはまた過酷な要求だ。
 とにかく母親からは娘と真っ向から対立する要求、アリバイ立証の要請が出てしまった。
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