解決編前編

文字数 5,023文字

 行き詰った。
 少々休憩しよう。智美の家から預かってきた写真を取り出す。
 これは先回りし過ぎだったが、運よく目撃者と遭遇するようなことがあった時に使えるかもと夢見て、とりあえずなにかお母さんと達彦さんが映っている写真を、と智美に出してもらったものである。
もし達彦さん達が訪れた歌碑が見つかったなら、同じような時間にそこらへんをうろうろしたら、「近江あたりなんかもうなかなか見られない」の話をした男の人が日課の散歩をしていて出会うことがあるかもしれない。それらしき人に写真を見せて、何月何日にこの人とこの人の二人連れを見ませんでしたか、と聞いてみようという、今思うと妄想としか思えない計画だったのである。
 智美のお母さんが画面の中央で飲み物のグラスを持って微笑んでいる。後ろに達彦さんと、それに寄りそうように智美。そんなアップの写真。
 お母さんの誕生日に食事に行ったときに撮ったという。家族三人とも映っているので、誰が撮ったの? と聞くと上の男の子、知輝君だという。
「三歳になってなかったと思う。このときは沙紀がちょうどお腹にいて」
「酒飲んじゃ駄目じゃないか」
「私は飲んでないわよ」
それにしても構図もしっかり決まっているし、子供が撮ったとは思えない。
「並みの子供だったら入店断られかねないような店だったのよ。『躾ができてるお子様』だったからね。なにしろあの子は賢い子でね」
 結局全然使わなかった写真ではあるが、智美が映ってるから知らんぷりしてこのままパチッちゃおうかな、とストーカーもどきのことを考えている自分にまたちょっと嫌気がさす。このときの智美がまた、写真からでも後光が見えそうなのだ。幸せだったんだろうな。本当に持って帰っちゃおうかな、あ、でも旦那が映ってるのは心理的に嫌だ、取っておくんならこの部分には上からシールでも貼っておこうか。
 しげしげみると旦那、太い眉と張り出した頬骨と、やっぱり体育会系に見える。子供にキャッチボールとかは教えてやっても、夜な夜な絵本を読んでやる人には見えないし、「二月の扉」みたいな文学的(?)なことを言い出しそうな人にも見えない。まずは「二月の扉」の意味がよくわからないのだ。
 だが、ここでまた辺利はたいへんなものが映っているのを見つけてしまった。
 写真内のある人物が、達彦氏の言うところの「二月の扉の鍵」を、あるいはそれと全く同じデザインの指輪をはめている。
どういうことだ? 達彦さんこの人から譲り受けたのか? ぱっと考えてそれは不自然なようにも思うが?
 ああ、思い出した。でも何故今まで思い出せなかったんだろう。すごく昔、もう一人この指輪をつけた人に一度会ったことがある。普通二つで一組として使わるものだから、それ自体は不思議なことではないのだが。
だとすれば、どうなる? 何故達彦さん経由で入手したこの指輪を、智美に絶対に見せてはいけないのか? もしかして……

 指輪の件での驚愕で押し出されたかのように、先に発生していた謎、達彦氏が書き連ねてきた伊丹市情報の中の何をアピールしたかったのか? のほうの答えは魔法のように頭に浮かんできた。
上島鬼貫なのだ。その原理を応用すれば、達彦さん達がたどり着いた歌碑のありかも、多分わかるはずだ。「われは湖の子」なのだから。
 地図を広げてみる。ゆうべガイドブックから得たたった三文字の知識だが、探したい地域を絞るにはずいぶん役に立つ。
そこそこの大きさがなければいくらなんでも誤魔化しきれまい。地域内では見ただけで最大と思われるところから始めることにする。電話をかけてみよう。おそらく自治体単位でこういう情報を提供してくれる窓口はあると思うから、これで当たりなら最悪三か所かければいいはずだ、と思って始めたのだが、結局引っかかったのは三か所目だった。引きは悪かったにしてももうそれで十分。事実の確認はとれた。
「近江あたりなんかもうなかなか見られない」の意味だって今は明確にわかる。散歩していた地元の人が観光客に話しかけるとしたら、かなり妥当な内容だ。
あとは実地で確かめなければ。辺利は高速でまた移動した。歌碑の場所は電話でちゃんと聞いてきていたわけだが、もしあてずっぽうで来たとしても結構簡単に見つかったかもしれない。それくらい簡単に見つかった。大きな水門も、噴水もある。ボタンを押せば「琵琶湖周遊の歌」を流してくれる歌碑も、ちゃんと湖のほとりにあった。
 わからないのは、何故こんなことを警察が気づかなかったか、ということ。いや、もしかしたらもう知っていて裏付けもとり、しかるべき対応を始めているのかもしれない。警察にしてみれば捜査の進捗状況を逐次智美のところに報告にくる義務はないのだから。
そしてもう一つの疑問は。何故達彦氏が、この致命的な情報を、こんなまわりくどい方法で辺利に伝えてきたのか、ということだ。

「京、また来たの? もういいのよ」
既に智美も心配顔になってきている。
「いや、今となっては俺が引っ込みがつかない。お母さんに会わせてくれないか? 二人きりがいいんだが」
「あんたの尋問でお母さんが弱ったら元も子もないんだからね。ちょっとだけよ」
 お母さんがいつも使っている部屋に入れてもらった。この家は、2LDKというよりも、1LDK+Fというほうが近い。これはほぼ納戸だ。だが、智美だってこれが精一杯なのはわかる。箪笥の上に綺麗な刺子だとかフェルト細工だとかの手芸品が飾ってある。お母さんの趣味なんだろう。
「辺利君ですか? どうだったですか?」
「お母さん、ちょっと追加でお伺いします。この間来たときに、少し昔話をさせてもらいましたね。中学生の頃、僕が色々な県のラジオを聞いてたのを思い出されて、そう言えば『最近私もすごく遠いところのラジオが聞こえてびっくりしたことがあります』っておっしゃってましたよね。あれは、もしかしたら、達彦さんと琵琶湖に行ったときのことではないですか?」
 二十数年前、BCL(ブロードキャストリスニング)という趣味がはやった。男子ははまった奴が多かったのではないかと思うが、言葉のとおり放送を聴くのである。ただ、普通に聴くのではなくて、海外の放送局からの電波、受信が困難な局をキャッチするのを目標にしたりする。外国語がわかればそれに越したことはないが、駄目なら時間限定とはいえ当時は日本向けに日本語放送を行っている海外局も十を超えるくらいはあったと思う。ただ必ずしも受信状態がいいとは限らなくて、アルゼンチン国営放送の日本語番組などよっぽど工夫しない限り受信できないレア局とされていたし、そこまでいかなくてもノイズや電波強度の変動で快適な聴取というわけにはいかない場合が多い。親にそこそこいいグレードのラジオを買ってもらったのだが、結局海外局狙いは脱落して、国内のAM局ばかり聞いている、というのが当時の辺利だったのだ。せめてもの見栄、ではないが普通に地元の局だけではなく、大阪だの福岡だの北海道だの他県の局も聞いていた、ということ。そういう話を昔智美のお母さんとの雑談のおりに話していて、彼女はそれをおぼえていたのだろう。
「ああ、そうそう。そうよ、達彦さんに連れて行ってもらったときのね。琵琶湖って言ったら滋賀県でしょう? でも高速道路を出るちょっと前にね、それまで聞こえてたラジオの局が局名を言ったの。全然違う県の放送局だったのよ。」
「なんて局だったかおぼえてらっしゃいますか?」
「エフエム…… 長野だったかしら」
 駄目押しだ。
お母さんはどの電波でも同じように遠くから受信できる、と思っているようだがそういう訳ではない。AMラジオで使っている周波数の電波は、地表に沿って進む。これはそこそこの距離を進むことができるし、ちょっとやそっとの障害物なら回り込んで伝わる。夜になると地球をとりまく電離層と地表の間で反射を繰り返すようになるのでより遠くまで伝わることができるようにもなる。辺利が昔聴いていたのはこういう電波だ。だいたいは普通の人が快適と感じられるような受信状態にならないことが多いけれど。
だが、周波数の高いFM放送に使われる電波は回り込みも電離層反射もできない。一般に「見通し距離」つまり出力アンテナから見通すことのできる範囲しか伝わらないと言われている。夏頃太陽からのエネルギーが強いときに、スポラディックE層というこの周波数帯も反射する特殊な電離層が突然発生することがあるそうだが、こんな季節には有り得ないだろう。
 つまり。達彦さんは滋賀県で高速を降りたのではない。エフエム長野がカバーするエリア、おそらくは長野県内で降りたのだ。
「お母さん、もう一つお願いがあります」
 辺利はあるものを見せて欲しいとお願いした。まあいやだ、何を今さら、と言いながらお母さんは箪笥のなかから小さな箱を出して、こんな結末になってはしまったけど一応私の人生の記念の品ですからねえ、普段は表に出さないんだけど、と言ってそれを見せてくれた。
 これはここにある。
 だから今、辺利のかばんに入っている全く同じデザインの「二月の扉の鍵」とは別物だ。普通こういうものは二つで一組のはず。これを持っているもう一人の人から、達彦氏は譲り受けたのだ。

「何よ、京。いろいろしてくれてるのは悪いと思うけど、私だって暇なわけじゃないのよ。それにおじさんたちにだって悪いし、一体何がしたいの?」
 一旦仕切り直して翌日、辺利は再び智美のところを訪れた。先日、事件の輪郭が確かめられたが、そのまますぐ彼女にそれを話すだけのふんぎりがつかなかったのだ。
今日の智美は顔色が悪い気がする。
 辺利は実家の両親に頼んで、知輝君と沙紀ちゃん、それに智美のお母さんと食事に出かけてもらった。人見知りらしい沙紀ちゃんがちょっと可哀そうだったが、お兄ちゃんの袖をぎゅっとつかんで、おばあちゃんに背中を押されて出かけていった。まあ可愛いねえ、私たちにもこんな孫がいたらいいのにねえ、と母は余計なことを言った。
「ちょっと話がしたいだけなんだ。ただ長い話になるし。あまりお母さんや子供たちには聞かせたくないから」
「あの人のことで何かわかったの?」
 辺利はうなづいた。
「あの人、お母さんを騙してたんでしょ? わかるわよ、京すごく話すの辛そうだもの。別にあの人がどんな人でももう驚かないわ。ちゃっちゃと話してちょうだい」
「うん。確かに達彦さんのアリバイは偽物だったよ。智美のお母さんを琵琶湖に連れて行く、って言っておいて、実は諏訪湖に連れて行ってただけなんだ」
「諏訪湖?」
「そう。N市から諏訪湖なら一時間あればいける。だからO市で十時過ぎに貸金業者の絶命を見届けて顧客情報のファイルを持ち出し、一時間弱でN市まで移動してお義母さんを拾い、十一時台中頃にここらを出たとしても、十二時四十分とかには余裕で湖畔にいることができる。ビデオを撮ったりすることができるんだ」
「なに? 良くわからないわ。『琵琶湖周航の歌』の歌碑と湖が一緒にビデオに入っていたんでしょ? その湖は琵琶湖じゃなかったの?」
「琵琶湖じゃなかったんだ」
「ていうことは諏訪湖に琵琶湖の歌の歌碑がたってた、ってこと? どうして? あの人がこれを見越して石工さんに作らせておいたとでも言うの?」
「いいや。事件自体は偶然だったわけじゃないか。貸金業者の心臓がいつとまるか、ましてやその場に自分が立ちあう羽目になるかどうかなんて、予想することはできない。あらかじめ計画されたものじゃなくて、達彦さんもこういう事態に陥って、初めて思いついた行程だと思うんだ。よく思いついたって感心しちゃうよ。予備知識として諏訪湖のこの歌碑のことは知っていたんだろうけど。歌碑って、普通の個人で建てられるようなものじゃないと思うんだ。ずいぶん立派なものだったし。岡谷市の観光協会でも把握してたくらいで、ゆかりの人たちがお金を集めて、正式に、っていうと変だけど、ちゃんと作ったものみたいだよ。十年以上前からあるって」
「なんで諏訪湖で琵琶湖の歌の碑なのよ?」

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み