再々会

文字数 4,556文字

 意外だった。
 智美の旦那さんか。「夫だった」と過去形で書いてるので、そこらへん、色々あったのだろう。
 智美に名刺は渡しておいたから、多分それを見て前の部署を連絡先にしたのだろう。何年前だろか、駅のホームから、線路際に立っているところをちらりと見たきりだったが、遠目での印象を一言でいうと、体育会系、というイメージだった。
手紙を書くにしても、用件だけずばっと書いてくる人のように見えた。文学的、というのかどうか(一応)工学部出の辺利にはよくわからないのだけれど、本題とは無関係、もしくはとても稀薄なつながりしかないよしなしごとを連綿と書き綴ってくるようなタイプには思えなかったのだ。
 まず自分の故郷の回想をつかみにして、(元?)妻の同郷の辺利に援助を求めてくるあたりなど、話のつなぎ方にかなり無理がある。
 玉手箱の話にいたっては、ほぼ他人といえる相手にこれを書き送るのは、申し訳ないが多少精神的に不安定になっているのではないか、と心配してしまう。
 続いて弁護士事務所からの手紙を読んだ。
 川崎達彦氏がどうして今、智美に会いに行けないのか、それで事情がわかった。そういう事情であれば、多少精神的に混乱していたり、弱気になっていたりしても不思議ではないので、本人の手紙の不自然さについてもさもありなん、という気にはなる。
 弁護士事務所からの連絡では、辺利君の身辺がある状態なのであれば、手紙の内容について対応を検討して欲しい、対応いただけることになった場合はその旨を同封の返信用封筒で連絡をお願いしたい。依頼者の指定と違った家族状態であるのであれば、同封の手紙は開封せずにもう一つの同封物とともにやはり同封の返信用封筒に入れて返送してほしい、とか書いてある。
変な話だ。
 根がひねくれているので人の行為を悪いようにしか取らない傾向が強い辺利は、こんな状況を想像する。実は達彦さんは昔入手した職場の情報を元に、弁護士が辺利君の現在の居場所を探し、直接会って状態を直接確認した上で、それに応じて判断し渡したり渡さなかったり(渡さない場合は依頼の詳細自体を辺利には教えないで)してほしい、という依頼をした。ところがそれを面倒臭がった弁護士が、丸投げ状態で昔の職場に郵送してきているのでは、という疑惑だ。
さすがに届かないかもしれない相手に物品をいきなり送りはしないかもしれないが、元の職場の庶務が辺利のいたころから相変らずの気のいいおばちゃんのままなら、弁護士事務所からの電話を受けて、一応今の職場をやめていないかどうかくらいの確認をとり、こちらに送っていただけたら社内便で転送しますよ~、とか対応したのに、弁護士さんがちゃっかりのっかってしまった、というのは有り得る話かと。
 辺利の実情としては、手紙の内容に対応検討して欲しい場合に指定された状態ではあるのだが、そんなことを言ってくるとは達彦氏の意図とは、もしかして? と妙に意識してしまう。
最後に「もう一つの同封物」、達彦氏の言う「二月の扉の鍵」を封筒を斜めにして、滑り出てきたところで右手のひらで受け止める。見たことがあるような気がするが、思い違いかもしれない。そもそも辺利はこの手の物に興味がないので、微妙な違いはわからない。だが、割と派手なイメージはある。
 達彦氏の手紙の追伸に、今の智美の住所が書いてあった。結局、故郷に、二人が中学時代を過ごした地に戻っている。市営団地やらができたそうなので、住所に記載された聞きなれないカタカナ言葉はその建物名なのだろう。今の辺利の勤務地からは遠い。行って帰って一日仕事だ。
「面倒くさいなあ。どうしようかなあ」
口に出して言ってみる。だが。

「京なの? なんで? あんた、またこんな時に?」
 玄関先に出てきた智美、しばらく口がぽかんと開いていた。息継ぎの後喋り始めたが、顔を見ると左右の眉の上がり具合が違っている。全く歓迎されていない、というわけではないのだろう。だが一面、放っといて欲しいのに面倒くさい奴が来た、という思いもあっての困惑なのだ、きっと。
 智美は、全然変わらない。若い頃からのおばちゃん顔は歳をとっても老けない的俗説にのっとっているのかも。前に会ったときは髪を伸ばしていて何処のお嬢様? 感もあったのだが、今は肩のところで切りそろえていて、むしろ中学生の頃のイメージに近くなっている。あ、でもだいぶほっそりした感じは前に会ったときのままだ。
「普段だったらまだ働いてる時間だからいないのよ。たまたま休みで。あんた運がいいというかなんというか。ってか、あんたのほう仕事は?」
「なんか最近、有給の取得率上げろ、ってうるさいんだよ。別に仕事が減るわけでもないんで、結局回りまわって残業が増えるだけなんだけどね」
「よくここがわかったわね。誰に聞いた?」
「旦那さんから……なんか行って様子見てきてくれ、って言われた」
「え、旦那って誰よ? なんでそんな、あんたに……」
 これこれしかじかと事情を説明する。
「何考えてるのかしらねえ……もう私には全然わからないわ」
 智美は下を向いて一つため息をついた。
「ええと、智美はその達彦さんとは今?」
「もう旦那じゃないの。離婚した。私、今もうバツイチよ」
「嫌なこと思い出させたらごめん。最後に見た時―まあ回しか結婚してた君たちを見てないけど―すごくうまく行ってるみたいだったけどな。ちょっと意外な感じだな」
 あの時、俺に対する態度は相変らずだったけど、智美が素直で可愛い奥さん風になってるのはちょっとびっくりだった。旦那に色々委ねきっていられるんだろな、と思ったりもしたものだ。
「どんな夫婦も最初はそんなものじゃないの? それにいろんなことがうまく行ってたからね。お店もそこそこだけど繁盛してたし。それがだんだん不景気のあおりをうけてうまくいかなくなったりしてね」
 ああ、でも智美だって、金の切れ目が縁の切れ目、的考えをする子ではないはずだ。辺利の思いに気づいたわけでもないだろうが
「あの人、見かけはごっつかったけど、すこし逆境に弱い人だったのかな。でも自分で選んだ人だものね。ちょっとくらいは苦労してもいいから二人で頑張ろうと思ったんだよ。でも彼が変に意地っ張りでね」
 よくはわからないが、一発逆転を狙い私には隠して裏で何かやっていたんだと思う、と智美は言う。
「『一攫千金』みたいな甘い言葉につい逃げちゃうような、そんな弱い人じゃない、先が全然見通せなくても、こつこつ堅実で地味な努力を続けてく、そういう強い人だと思ってたんだけど、思い違いだったのかな。知らないうちに商売の赤字だけじゃとうていそこまでは、ってくらい膨大な借金ができていてね」
 口論が増え、いろいろ生活に支障も出てきたので、智美は夫と別居して故郷の近くに部屋を借りた。その件が起こるまで、生活費というつもりだろう、安定はしなかったがいくばくかの金額は達彦氏から振り込まれてきてはいたという。
「悔しいじゃない? 私あんたの嫁なんだから、苦しいんだったら、相談してよって、何度も言ったんだよ。でも、お前には関係ない、みたいな態度とられたらもうどうしようもないじゃない。あげくの果てに、あんな……金貸し殺しみたいなことをして……」
 元々、智美の旦那の店があったところを、仮に山梨県O市としよう。今、智美が戻ってきている彼女の故郷同県N市とは高速を使えば通常四十分弱というところだ。
 さて、O市で個人貸金業を営んでいた老人が、事務所でこと切れているのが発見された。暴力の痕跡は残っていなかった。元々心臓に持病があったようで、かなりの確率で病死であろうという見解が出ている。
 ただし、その死亡時間の前後に、誰か事務所にいた人間がいたらしい。
 故人が顧客の情報を管理していたと思われるPCが、ボコボコに壊されていた。鍵付きキャビネットのガラスが壊されていた。借用証書や顧客情報のプリントアウトを閉じていたファイルには、「か」行のファイルがなかった。
「あの人が借りていた金貸しだったの」
 金貸しの事務所が何やら騒がしかったのを気にしていた隣にテナントで入っていた会社の事務員が、ファイルをかかえて出てくる男の顔を見ていた。
 老人の死亡時間と、その男がファイルを持ち出したところを目撃されている時間がほぼ同じである。つまり、もしかしたらその男は老人を直接手を下して殺していないにしても、発作をおこした彼をこれ幸いとほったらかしにし、場合によったら助かった命をあえて見殺しにした、という可能性は高い。
「どうやって目を付けられたのかは詳しく聞いてないけど、しばらくするとあの人のところに警察がやって来た。疑いを晴らせないでいるうちに、目撃者があの人の写真を見て、あの日こそこそ金貸しのところから出てきたのはこの人だ、って断言したみたいで、それからは容疑者って扱いね。だけどあの人はアリバイがある、って頑張ってる。うちのお母さんが証人だって言ってね。おかげでお母さんたいへんなの。何度も何度も警察が来てね。本当に、勘弁してほしい」
「今、お母さんは?」
「奥でちょっと休んでる。さっきも刑事さんがきて二時間近く同じようなことを繰り返し訊いていったわ。疲れたのね」
 少しそのアリバイとやらの話を聞いていたが、急に智美は立ち上がった。
「下の子を保育園に迎えにいかなくちゃならない。その間に上の子の知輝が小学校から帰ってくるわ。おばあちゃんがいると思ってベル鳴らすと思うから、ドア開けてあげてくれる? そこの戸棚にドーナツが入ってるからおやつに食べさせて。京の分はないわ、ええと……お腹が空いたなら、一つ下の段に柿ピーが入ってるから。悪いわね」
「え、あ、ちょっと」
 どたばたと出て行ってしまった。ていのいい留守番にさせられてしまう。
 お母さん、いらっしゃるんだよな?
 ダイニングの横の襖をそお~っと少し開けてみる。この和室にはいない。玄関ドアから左がダイニングへとつながる廊下だったが、右側にもドアがあったからそちらにいらっしゃるのだろう。
 ここは学習机が置いてあるから、子供の部屋か。いや、でもここ2DKだとして、もう一つの居室にお母さんがいるのだとしたら、智美もこの部屋で寝たりするのかもしれない。机の本棚には整然と教科書類がならんでいるし、天板上もきれいに片付いている。八年前に旦那さんに抱かれてるところをちょっと見た赤ん坊、それがこの子なんだろう。もう八歳にはなっているということだから、小学校三年生ということか。几帳面な子らしい。智美に似たんじゃないな。中学のときの彼女の机の上は、ファンシーな消しゴムだとか、意外にベーシックな金属部だけの画鋲だとか、アイドル系雑誌だとかが満載だったものな。この部屋だってベランダ側窓際に布団はさみと布団たたき、洗濯バサミの入った籠、角がちゃんと重なってない状態に畳まれたシーツらしきものが乱雑に積み上げられているが、こちらは彼女の管理領域なんだろう。
 その下にもう一人の子供か。大変なんだろうな。
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