玉手箱、あるいは二月の扉の鍵

文字数 4,489文字

「お義母さん、疲れてないですか?」
「いいええ、久しぶりに達彦さんに会えて、しかも外に連れ出してもらえてすごく楽しいんですよ。あの子も、いたらよかったのにね」
「いえ、このほうが良かったんですよ。会えば喧嘩になりますしね。気まぐれで悪いんですけど、お世話になったお義母さんに、なってるかどうかわかりませんけど、孝行の真似ごとでもしたいと思ったんです」
「はい、有難うございます。達彦さんはいい人ね。あの子の男の人を見る目は確かだったようね、私と違って」
 とんでもない。あなたには悪いけれど、俺は最低の婿なのかもしれない。しばらく沈黙。FMラジオの音ばかりが車内に流れる。
「あの子の中学の同級生だった男の子がねえ……」
ああ、またその人の話か。お義母さんのお気に入り。年齢差を感じさせないくらい、懐メロの話で盛り上がれたのだという。
もう七~八年も前になるだろうか。俺もその人を、一度遠目で見たことがある。自分のことながらあずかり知らないところでの一部始終で実感がないのだが、実は警察に疑いをかけられたところを彼に救ってもらったのだという。電車で去って行こうとする彼に、時間ぎりぎりだけど一言お礼しとかなきゃ、と妻は一人必死でプラットフォームまで走っていった。
彼女は結構きつめのひじ打ちをその人に見舞ったりしていて、あれがお礼なのか? と多少の疑問は持ったものだ。ぼーっとした感じの人だったが、昔馴染みならではの阿吽の呼吸が……あったのだろうか? 遠くで見ながらうっすら嫉妬もあったものだが、もし俺などでなくあんな人と結婚していたら、妻は今より……いや、やめよう。
「ちょっと変わった子で、関西だとか九州だとか北海道のラジオとかをね、よく聞くって言ってたの。私たちの田舎からずいぶん離れてるじゃない? ラジオの電波ってそんなに遠くまで届くのかしら、と思ってたけど、本当なのね」
 インターチェンジを示す緑色の看板が目に入った。
「あ、もうすぐ高速降ります。湖すぐ傍ですよ」
 ラジオの時報が正午を知らせた。地道に降りたらラジオをカセットに切り替えよう。お義母さんが好きな加藤登紀子を持ってきている。
    
 何だ? と思った。
 辺利京は某メーカーのサラリーマンだ。一応技術系。
 どうしたことかやたら転勤が多い。
会社が迷走してるせいだ、全部そのせいだ、と本人は思っている。景気のよかった時代に体力も考えずに多角化に向かってなんだか色々な部署ができた。その大半がうまくいかなかくなって、「選択と集中」とかいうお題目の元に今時はやりの方面の人事が強化される。だがまあ、今時はやり、ということがわかっている時点での「選択」であるから、ある意味もう後塵を拝しているわけで、その「集中」も効果が上がらない。そして次の「選択と集中」が行われる。
 本当に、数年おきに全然知らない部門に投入される方の身にもなってみろ、と思うのだが、一方で言えば、事業全廃にならない限り、「誰か人を出せ」と言われた部署は、自分のところにいなくなっても損失にならない人間を放出対象に指定するだろう。まわりと比べあまりにも異動が早いのは会社のせいばかりではないこと、彼もうすうす気がついてはいるが、ありのままに受け止めると暗くなるので避けている、という一面はある。
 とにかくそんなわけで、たまに昔の部署で名刺を渡した相手が思い出したように連絡してきた場合、二つとか三つ前の部署から社内便で封筒がぐるぐる転送されてくる。おなじみなのは出身大学同窓会からの会費徴収のお知らせである。辺利は会費を払ってないし、異動の際は新しい連絡先を教えろ、みたいな但し書きも入っているのだが、行方不明になって請求自体が来なくなればラッキーと思っているので完全放置プレイである。
 席に戻るとまたその手の封筒が来ていた。
 どうせまたなにかのお金を振り込めという類かと思ったがどうもそうではない。
 七~八年前に勤務していた部署発信の社内連絡票付き大封筒を開けると、なんやら弁護士事務所からの封筒が出てきた。
 弁護士とかいう職業の人とかはいまだかつて遭遇したことがない。一体全体なんだろうとドキドキして開けてみると中からまた封筒が出てきた。
マトリョーシカか!
ただ大封筒の中には、中身の入った小封筒の他に一枚ペラのレター―ぱっと見、弁護士事務所が発信名の内容物明細およびそれに関する事情説明、のように見える―と、もう一つ、折りたたんでいるのでコンパクトにはなっているが、元々は大封筒と同じ大きさの、切手を貼った空封筒が同封してある。返信用の封筒、という感じだ。それを抜き去った後でも、底のほうに封筒を振るとガサガサするものがある。小さいが体積の割には重そう。
 とりあえず小封筒を取り出してみる。ど真ん中に手書きで「辺利 京 様」と書いてある。開けてみると、今度は手紙だけが入っていた。これも手書き。

「前略
 こんにちは。
 川崎達彦です。
 かなり前に助けてもらいました。いや、こんなこと言っても憶えてらっしゃらないですよね。五味智美の夫だったものです。その節は有難うございました。十分なお礼もできないで申し訳ありませんでした。

 さて、ご存知のように私は山梨県O市に店を構えてはいましたが、僕はあの土地から見れば全然よそ者。実は関西人で、兵庫県の伊丹市っていうところの出です。大阪空港(正確に言えばその一部)のある街。
空港の他には……辺利さんは推理小説がお好きだそうですね。昔、鬼貫警部という警察官が活躍する推理小説を読んだことがありますが、もしかしたらそのネーミングに影響したかもしれない江戸時代の俳諧師、上島鬼貫の出身地です。家の近くに「にょっぽりと 秋の空なる 富士の山」とか歌碑もあったかな。
 昆陽池っていう大きな池があって周辺は公園になっているのですが、ここ『昆陽の御池』という上方古典落語にも出てくるんですよ、江戸時代なのかな、殺生禁止に指定されてた時代があるようで、水が三分鯉が七分の割合というくらいに鯉の楽園だったとか。今はなぜだか南米産げっ歯類のヌートリアで満ち満ちてるようで…… このヌートリアという奴、鼠に似てるんですが、四十から六十センチ程も体長さがあって、近くで見ると結構不気味です。昔は毛皮を取るために輸入・飼育されていたものが第二次大戦後の需要激減で逃がされた結果、いろんなところで繁殖し過ぎて問題になってるようです。
つまらない出自の話ですいません。いきなり何を言ってるのか、と思われましたよね。本題に入りましょう。
 智美のことが心配なんです。彼女は今、ちょっと困った状況に陥っていると思います。いや、正確に言うと、私がその状況に陥れた、というほうが正確ですが。誰かに助けて欲しい。
 彼女と同郷の辺利さんにお願いできないか、というわけです(故郷、というキーワードでいらないことを思い出して冒頭長々と書き連ねてしまいました。弱気になったとき、私は故郷をよく思い出します。心の拠り所、とでもいうのか。だから、そんな記憶を彼女と共有しているあなたに。できればお願いしたく)。
私はいろいろ事情があって、彼女と会うことはできません。いや、たとえ会いにいくことができたとしても、今の私には誰かの力になることなどできないし、仮に援助を申し入れたところで、彼女は鼻で笑うでしょう。
詳しいことは私のほうからはちょっと説明しづらいのです。彼女に対して今でも友情を感じておられるのなら。誠にお手数ですが、会いに行って相談にのってやっていただけないでしょうか? 今の住所はN市□□□町○○○の市営住宅の△△△号室です。辺利さんの、それに智美の故郷の近くです。
是非、顔を見て話を聞いてやってください。なにとぞよろしくお願いします。

一生のお願い、と言いたいところですが、ここではまだその言葉をつかえません。厚かましい奴だとお思いになるでしょうが、前述の頼み以外にもう一つ、お願いを追加したいと思っているからです。
子供の頃、「浦島太郎」とか「見るなの座敷」とかの昔話を読んだときに、ものすごく不思議に思うことがありました。「浦島太郎」は当然ご存知でしょうが、「見るなの座敷」はどうでしょう? 差し出がましいですが、念のためにまとめると……
山中で道に迷った青年がとある屋敷に宿を求めると、妙齢の美女が出てきて歓待されます。何日か夢のように過ごした後、娘は外出しますが、その際鍵束を渡して「退屈だったら屋敷内の部屋を見て回ってもいいが、『二月の部屋』だけは絶対に見てはいけない、と言い残していきます。
若者は言われたとおりに退屈になって、部屋を順繰りに見てまわります。それぞれに珍しい風景が見られてしばらくは楽しい思いができるのですが、しばらくするとまたぞろ退屈が戻ってくる。結局最後の鍵、二月の部屋の扉の鍵を手にした青年は、ちょっとくらいならいいだろう、と二月の部屋を覗いてしまいます。その瞬間、ウグイスが飛び立つと、屋敷自体が一瞬で消え失せて、若者は荒れ野原の中に一人佇んでいるだけでした、というようなお話です。
ヴァリエーションにより、若者は以前弱っていたウグイスを助けたことがあって、そのウグイスの恩返しが、彼が約束を破ったことで崩壊した、という解説がつくこともあります。
さて私の子供の頃の疑問というのは。なんで乙姫様は、浦島太郎に害を及ぼすことがわかっていて、わざわざ玉手箱なんぞを渡したのか? あるいは、ウグイスの精である娘は、若者が禁を破れば閉じている至福の空間が崩れていく可能性があるのをわかっていて、何故問題の部屋の鍵が混ざっている鍵束を彼に渡したのか? 退屈しのぎをさせてあげたいのなら鍵束からその部屋の鍵だけ抜き取ってから渡せばよかったのではないか? どちらも元々の狙いは報恩だったはずだったのに、結果的にそれが全うできなくなってしまっている、何だこれ? というものでした。
でも、今はわかるような気がします。

本当にすいません。私もあなたに玉手箱を、あるいは二月の扉の鍵を送ってしまいます。
これは…… ちょっと捻った玉手箱です。別にあなたご自身がいくらしげしげ見ていただいても構いません。ですが、智美には。彼女には何があっても、絶対に見せないで欲しいのです。つまり、「見」のは良くても「見せる」ことを戒めさせていただきたいのです。
もしあなたが、こいつの意味に気づいてしまわれたら。場合によってはこのお願いはとても過酷なものになるかもしれません。でも…… このお願いのとおりにしていただくのが、私にとって一番嬉しいことだ、ということを忘れないでいて下さい。くれぐれも。

色々無理を言ってすいません。
お忙しいところと大変なご足労とは思いますが、なにとぞよろしくお願いします。
                                 草々   」
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