解決編後編と解決できない問題

文字数 5,293文字

「わかってるつもりですよ。まずは、彼の様子がおかしくなったのが、智美とプールに行った日から、ということ。頭が痛い、と彼は言ったそうだ。横になって体を休めるとか、そんな方法で解決するようなことではない、と思えるような独り言を漏らしたのも聞かれている。それからしばらくした日付の消印で、さっきからおっしゃっている『クラブクラブ』という団体から、智美のお父さんのところに封書が届いている」
「その情報を元に、君は『クラブクラブ』に侵入してきた。住所は記載しないはずだからどうやって場所を確定したおかは謎なんだが? 何、たんなる偶然か。それはこちらにとっては不運だったな。とはいえあの時の侵入でそれほどの情報は持って帰れなかったとは思うんだが。おまけに『クラブクラブ』は今のところ信頼できる個人の間の口伝えでしか存在を広めていない。子供に一体何をやっている団体か、調べることはできないはずだ」
「推測することはできます。使ってるバッチ等から考えても、『蟹クラブ』みたいな意味でしょう? 商売に置き換えて考えてみましょう。魚屋さん、という線をはずして考えたら、カニで一番先にイメージされる職業はなんでしょう? 童謡にもありますね。春は~♪早よ~か~ら~♪」
「唱歌『あわて床屋』ときたか。ガキの癖に古臭い歌を知ってるな。カニが店出し床屋でござる。カニ→鋏→床屋だから、ありがちな連想であるのは認めるがな」
「実際に『クラブクラブ』の入っているビル、一階は床屋さんだったわけじゃないですか。床屋さんだった人が、自分の前職を生かしてなにかはじめた、という感じかな、と。そこで塚原さんのことが頭をよぎったわけです」
「俺のか?」
「なんでも、智美のお父さんの会社に出した履歴書には、失礼ですがずいぶん髪の毛が薄い状態の写真が貼ってあったと聞いています。でも、今のあなたの髪はふさふさだ。かつらだと思っている人もいるようですが、以前『クラブクラブ』にお伺いしたときに、偶然あなたの髪の毛をかなり強く引っ張ってしまいましたが、別に外れてくるわけではなかった」
「ああ、『クラブクラブ』の博士は元はと言えば床屋だったが、画期的な育毛法を見つけ出した。彼の開発した『クラブクラブ増毛法』のおかげで俺の地毛はこのとおり回復したわけだ」
「智美のお父さんは、娘とプールに行って数時間たってから気がついた。頭が痛い。正確に言うと頭皮がヒリヒリ痛む、と。日焼けだったわけです。彼は考えた。去年まではこんなことはなかった。なんで今回はこうなったのか? 頭皮に紫外線が届くのを邪魔していたもの、つまり頭髪が、今年はずいぶん少なくなったからだ、と」
「頭の上は普通に鏡を見たってわからないからね。みんな、薄くなり始めは、気の置けない、ずけずけ物を言ってくれる人とかに指摘されて気がつくパターンが多い。社長は日焼けの件がきっかけで、鏡二枚使いとかでいろいろ苦労してらっしゃったみたいだが。色々悩んだ末に、入社の面接のときから見違えるほど髪の厚さが増えていた俺に、どうしてそんなにフサフサになったんだ? と質問がきた。俺に声を掛けてもらったのは正解だったよ。実績のある客から、ということで社長を『クラブクラブ』に紹介することができた。」
「そこは、入会記念にバッチみたいなものをくれるんですよね?」
「よく知ってるな。そのこともクラブクラブ社長の感覚がよくわからんという点の一つだ。あんな安物もらってもうれしくもなんともないんだがな。」
「ペラペラ口外するつもりはありませんけど、施術を受けてる人たちが頭にかぶせられる装置は何なんでしょう? テレビのヒーロー物で出てくる悪の組織の洗脳用装置みたいに見えますけど。電気の刺激か何かを頭に?」
「俺も良くは知らないんだが、低周波の電界を頭皮にあててどうのこうの、という話だ。『クラブクラブ』に置いてあったのは開発当時のでかい装置だがな。今は簡単に持ち運べるような小型に改良されたのがある。まあ正確には改良途中っていうべきかな、社長に対するように往診のとき使うとか、博士の夢としては大量生産して家庭向けに機械自体を売りさばけないか、みたいな腹もあるようだが。でもあれはまだまだ駄目だな。多少設計に無理があったのか、出火したりして今回の騒ぎになったわけだ。この低周波電圧と、あと苔だか海藻だかのエキスを含んだ増毛液―緑色で青臭いんだが―を組み合わせたのがミソ、だそうだ」
 ああ、火事の現場で踏んづけたヌルヌルした液体がそれかも。
「ただ、いい施術者は見つけたものの、営業場所が良くなかった。奥さんの実家のすぐ近くのN商店街の中でしたから。しげしげ通って知人に見つかるのを智美のお父さんは恐れた」
「むしろこのほうが見つかり難いだろうと会社の保養所としても使っている別荘に毎度『クラブクラブ』から出張してもらって施術を受けていた、とそこまでわかっているわけか。君は頭がいいな。同じように人の気持ちもよくわかる子であることを願うよ。社長はな、奥さんと娘さんに対しては、頼りがいのある夫、かっこいい父親でありたい、と強く思っている。今回のように外見を維持するためにはいろいろ手段を講じなければならないことも多いが、一方で抜け毛くらいでクヨクヨオロオロする姿を見せたくないという気持ちもある。単なる見栄じゃないか、とでも言いたそうな顔をしているな。大人になったらよくわかると思うが、見栄で世界がひっくり返ることもある……ちょっと話がそれたが、君には社長の気持ちを踏みにじらないで欲しい、私のいいたいことはそこだ」
「それで、家族には何も言わずに施術を受けてる、わけですか? 何日も家を空けたりして、逆に智美には不安を与えてるだけですよ」
「効果的な発毛のためには一時的に低周波治療の間隔を結構つめなければならないし、休憩時間も増毛液を保持するために、頭に包帯を巻いておかなければならない。家族に説明なしに、不審感を持たせずに普通に生活するのは難しいんだ」
「だから家族に相談した上でやったらいい。お父さん、恰好いいままでいるためにこんなことしよう思っているから、協力してくれ、って言ったら智美だって安心できるし」
「君とは根本的に考え方が合わないようだな。社長はハゲていく程度のことに小心翼々している姿を家族に見せたくはないんだ」
「だったら正々堂々と胸を張ってハゲていけばいい」
「それは駄目だ。ハゲた姿を家族に見せるなどもっての他だ」
「全然わからないよ。ハゲるのが嫌で治療するのはいいけど、それで家族を不安にさせるくらいだったら、ハゲの治療のことを説明すればいいんだよ。誰だって歳をとればハゲる可能性があるんだし。ハゲなんか別にたいしたことじゃないじゃないか? ハゲたからってそれで人間の価値が下がるわけでもないだろう」
「わからん奴だな。おまえら中学生男子はみんな五分刈だから、感情的にハゲに近いし、自分だけハゲてる苦しみがわからんのだ。とにかく社長のハゲ治療のことはお嬢さんには絶対内緒にしてくれないと困る。ハゲのハの字でも口にしたら、泣きを見ることになるぞ」
「もう遅いわよ。二人して何回ハゲハゲハゲハゲ言ってるの?」
 後ろから声がした。智美が立っていた。
「お、お嬢さん」
「飼育小屋に行く道は図書室から見えるの、知ってるでしょ。話があるって人を待たせてるのに、律ちゃんに連れられてく京が見えたから、何してんの? と思って来てみたのよ。倉庫の陰でみんな聞かせてもらったわ」
「あ、智美。お父さん……大丈夫だよ。別に変なことに巻き込まれたわけじゃない。ちょっとだけ髪の毛が薄くなって、それで頭の日焼けが……」
「嘘つき!」
「え?」
「京の嘘つき。そんなの全部でたらめだ。お父さんは何年経ったってハゲたりしない。白髪にもならないし、お腹が出てくることだってない」
「落ち着けよ、智美。そんな訳ないじゃないか。誰だって歳はとっていくんだし、外見は変わっていくよ。お父さん、それでも恰好いいままでいようとして努力してるんだから……」
「そぉんな話、もう聞きたくな~い!」
 一歩近づいた辺利に、智美の強烈なミドルキックがクリーンヒットした。智美は走り去ってしまっているが、膝を付く形で崩れ落ちた辺利は、ダメージでもう後を追うこともできない。
「言わんこっちゃない。知られてしまったものはしかたないんで、社長にはあきらめてもらうしかないが、あの調子じゃ、お嬢さんのショックのほうが大きかったんじゃないかねえ」
 大きくため息をついた塚原さんが、肩をポンポンと叩いた。
「人に真実を全部伝えることが、必ずしもいい事とは限らない。特に女の子の場合はね。向こうだって本当のことなんか知りたくない場合も一杯あるんだ。よく勉強しておくんだな、少年」
 じゃあな、と言って、塚原さんも守山律を連れて行ってしまった。重要な人生訓をくれた感謝の言葉を言いたくても、脇腹が痛くて浅い呼吸しかできない。そのせいというわけではなかろうが、何年もの後、彼は同じような失敗を再び繰り返してしまうことになる。

 重度ファザコンの智美にとっては、塚原さんのいうとおり、この件はかなりのショックになったらしい。その後、智美が辺利に話しかけることはほとんどなくなったし、目があってもそらされる、というような状態が続いた。勉強のサポート役には守山律が復帰していたらしい。
一か月二か月くらいではそれは元にもどらなかった。もしかしたら、半年とか一年とかの期間を置いたら、仲直りはできたのかもしれないが、悪いことに事の真相が明らかになったのは中三の二学期が終わろうという時期だった。
 気まずい状態のまま高校が分かれた二人は、顔をあわせることがなくなった。

***
 三十年ほどもたって、知り合いになった高校生に辺利はこの事件の話をした。
「え~」と彼は言った。
「嘘だ~、軽って言ったって自動車を人間四人で持ち上げられないでしょう?」
「まあ、君らはそう思うだろうね。無理はない。こないだちょっと今の軽のカタログ見たら、乾燥重量で900㎏ほどのもあったからね。それだと一人頭220㎏とか担当しなきゃならないもんな。たとえば日本の重量上げ記録って、ジャークっていうんだっけ? 肩のとこで一回止めてから上げるやつ、体重53㎏級で130㎏とかだってね。この件じゃ、とりあえず地面に触れない程度に持ち上げさえすればいいとはいえ、トップアスリートの二倍近くを一般人が持ち上げるのはきついかもしれんな」
「じゃあ、なんでこの人たちはできたの?」
「『今の軽自動車』じゃなかったからだよ。規格が全然違ったんだ。例えば今の軽の排気量って660㏄だけど、この事件では……ええと……」
「どうしたの?」
「ごめん。本当は俺、あんまり車のこと詳しくなくてさ。シテンノーたちが持ち上げた先生の車はたしかスバル360ってやつだったと思うんだよ。それだと排気量360㏄で、重量は385㎏だった、と」
「半分以下の重量だった、ってわけ?」
「だからまあ、頑張れば持ち上げられないこともなかった、ってとこだね。溝にはまったのをしかたなく二~三人で引っ張り上げたって話はいくらでもあるようだし。ただ俺なんかはまさかあんなもの人手で持ち上げられるなんて思ってもみなかった、実際シテンンノーたちが担って運ぶのを見るまではね」
「僕のこと色々言えないじゃん。先入観って奴だね」
「スバル360だと1958~1970が販売期間だっていうから、事件のときは販売終了後8年ってことになるけど、昔はみんな物持ちよかったし、デザインが可愛いとかで人気もあったそうで、当時まだ結構走ってた記憶もある。それどころかネットで見たらいまでもオーナーズクラブとか活動してるみたいで、人気衰えずってとこらしいね」
「排気量少ない分、力が弱いとかないの?」
「どうだろ? でもさっきのオーナーズクラブさんのホームページ見たら、八ヶ岳のリゾート地、清里へのツーリングの記録とかもアップされてたりするんだぜ。あれ結構きつい傾斜のとこもあるから、パワー的にも、いい線いってるんじゃないの? 当時の技術、恐るべしってとこだね」
「ふ~ん、辺利さん時々言うけど、物ごころついて以来そろそろ四十年生きてきて、あんまり色々変わったような気がしない、ってのはそういうこと?」
「そんな感じ。でも細かいことは色々変化あるんだよ。たとえばN市のクラブクラブを探索しに行ったとき、土曜日に半日授業受けてから行ってるだろ?」
「あ、半ドンって奴? 週休二日じゃなかったんだ? とはいえ、今じゃまた、高校行ったら土曜も授業ってとこもあるけどね」
「ともかく小中学校が月に一回だけ週休二日を取り入れ始めたのは1992年からだっていうから、十四年後の話なんだな。ちょうど次に話したい事件はその年のことで……」
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