解決編前編

文字数 4,119文字

「ちょっと付き合ってくれる?」
 翌日の放課後、図書室へ急ごうとする廊下でいきなり腕を掴まれた。守山律だった。
「急いでるんだけどな」
「智美と語らいに行くんでしょう? その前に話があるのよ」
「なんでそれを?」
「壁に耳あり障子に目あり。ワイワイ言ってる教室の中で訳ありげな約束はするものじゃないわ。男子と女子の密会とかに興味津々な子はたくさんいるのよ。まあ、あんたごときと智美とじゃあ、色気のある話じゃないだろうとは思うけど」
 午後が技術・家庭で男女別だし、担任が休みでHRなしのおまけに掃除当番なので、行き違いになるといけない。早めに「放課後図書室で」と予約を入れておいたのがダダ漏れだったか。
「君に付き合う義理はない、って言ったら」
「大声で叫ぶわよ。先生、この人お尻触りました、って」
 ぐいぐい引っ張られて行く。
 昨日の夕方、辺利がしたように、飼育小屋のほうへ上履きのまま、しかし彼女は倉庫の角を曲がったさらに奥まで辺利を連れ込んだ。
 そこに男が待っていた。
「久しぶりですね」
 クラブクラブの時とは違う、火事場で会ったときと同じ丁寧な口ぶりだが、声に威圧感がある。
「塚原さん? なんで、守山?」
「兄さんに頼まれたら取次くらいするわよ」
「兄さん、って、苗字違うのに」
「兄妹で別姓なんてパターンいくらでも考えられるでしょ。頭が回らないあなたは幸せ者、ってだけよ」
「辺利さん、って言うんだってね。君にはいろいろ痛めつけられたけど、まあそれはいい。子供のしたことだから水に流そう」
 思い出されたんですか? その節はどうも、と言いかけて、もしかしてスコップ殴打とか画鋲尻刺さり事件とか全部僕の帳簿に着けられてるのか、と危惧する。なんかフェアではない気がする。
「社長のお嬢さんになにか大事な話をしに行くらしい、って言うんでね。どんな話か教えて欲しいと思ってね」
 辺利が律を見ると
「公衆電話で呼び出したのよ。別に兄さんの雇い主さんには義理はないけど、智美をあなたの言いなりにするわけにはいかないしね」
「僕が智美に何を話そうがあなたには関係が……」
「子供には!」
 低い声だったが、辺利を黙らせるには十分だった。
「知っていいことと、知らないほうが幸せなことがあるんだ。お嬢さんは社長の大事な一人娘だ。傷つけるわけにはいかない。」
「今だって十分傷ついてるよ。少なくともすっごく不安になってる、智美は。僕は、そんな智美を見るのが嫌なんだ。全部話して楽にしてあげたい」
「だから何をだ? 根も葉もないことを大事なお嬢さんに吹き込まれても困る。内容を確認させてもらいたくてね」
「そう……ですか。おそらく僕の推測は間違ってはないはず。いいでしょう、答え合わせということで。社長は、ここのところ、家族には秘密である行為を続けられている。ある種の施術を受けている、と僕は考えていますけど、そこまではいいですね?」
 塚原さんは黙ったままだ。
「近いところで、例の火事の話からさせてください。社長はその施術を受けるに当たって、自社の保養所を使っていた。家族には出張ということにして、定期的に施術者をそこに呼んで、社長自らも通う、という形にしていた。電気とか薬品を使うような作業だったんでしょう? 機械自体は持って運べるような小さいなものだったわけですよね。あの日、雪が降る前から、あの建屋に施術者と社長を含め四人の人間が既に集まっていた。シャッターが閉まっていたから外から見てもわからなかっただろうけど、皆さん相乗りで移動に使った自動車一台もすでに屋内車庫の中に納まっていたわけです。準備をして社長への施術を行っている間に雪が降りはじめて、そして止んだ。止んだ後で別荘管理人の重さんがやってきて、カーテンの隙間から、電線がつながったヘルメットのようなものを頭にかぶせられた社長が横たわっているところを目撃していてます。そして……想像ですけど、持ちこんだ装置の不具合かなんかだったんですかね? 部屋に火の手が上がった。社長も皆さんも御無事でよかったですけど、その時はずいぶん驚いたでしょうねえ。塚原さんは、現場にいらっしゃったんですか?」
 これにも答えはない。
「靴跡から考えて現場、家の中には四人いたはずで、メインの施術者と助手、社長と塚原さん、ぐらいのメンバーじゃなかったのかな。と僕は想像するんですけど。さて火はどの程度燃えるものかわからない。孤立した建屋だから延焼の恐れは低くても、とりあえずこの建屋からは出なければ。そして、できればこの場所でこそこそやっていたことを周りに知られたくない、つまり現場から離れたい事情が彼らにはあった。街まで帰るには、車を出さなきゃいけない。タイヤの跡から見て、載ってきた車は、おそらく小さな車、軽四だったのでしょう。建屋に連結してる屋内車庫から急いで車を出そうとしたところが、運転をしていた人が、つまり車のキーを持っているはずの人が、とんでもないことを言い出した。」
「『クラブクラブ』―当然この名前は知ってるね―の社長、正確なところはどうか知らんが、私たちは『博士』と呼んでいる。その彼がたいへんな慌て者でね」
 塚原さんが口を開いた。
「おまけに変なこだわりをいくつも持っている。何年も前に販売終了になった小さい軽を後生大事に使い続けてるのもそのうちの一つだ。他にもちょっと私のような凡人には理解しがたい部分も色々あるが、そういう粘着質なところから成功が導き出されたのかもしれないがね。それにしても慌て者なのは困ったものだ。あの切羽詰まった状況で『車の鍵がない』とか言い出すんだからな。どこに置いたのか憶えていない、と。まあ、そういうのはたいがいいつもとは違うポケットに、財布とか他の物の陰になってすぐには手が触れない状態で入ってたりするもんだからね、落ち着いて探せ、と言ったんだがすっかりパニックになっちまってらちがあかない。服のポケットというポケットを順ぐりに叩きながら『ない、ない、ない、ない』とそれの繰り返しさ」
「やっぱりそうですか。で、その『博士』が『落ち着く』前にあなたがたは応急処置を取らなければならなかった。本当にどうしようもなかった時は人間だけ屋外に逃げればいい話ではあるけれど、それだと焼け死ぬことはなくても、もし建屋全焼とかになった場合には、車なしで寒空に放り出される。延々と歩いて帰るという選択肢もないではないけれども、現場の近くにいるうちに火事が見つかったりしたら、いろいろ説明を求められる可能性もある。それは避けたかった。だからとりあえず建屋から人力で車を出すことにしたわけですね?」
「ギアも入れてサイドブレーキ引いたまま鍵をかけたもんで、押したって動きやしない。しかたがないから四人で車を持ち上げた。もし車庫まで燃えたとしても、とりあえず火の手のかかりそうもないところまで運んだのさ。『クラブクラブ』の社長に、『大丈夫だ持ち上げられる』って言われるまでまさか上がるとは思わなかったが、古い規格の小さい軽だったら、地面すれすれで移動させるくらいならなんとかなるもんだな、火事場の馬鹿力ってのはまさに言いえて妙だね」
 辺利も似たような認識だった。軽とはいえ仮にも自動車と名のつくものが、人間四人の力で持ち上げて運べるとは思いつかなかった。「一本たりとも残さぬ」草取りを命じられたシテンノーたちが、意地になって、邪魔になっていた軽を四人がかかりで持ち上げて横にどかしてしまうのを目撃するまでは。
 タイヤ跡の終点(始点?)から建屋までつながっていた四つの横歩きの足跡。あれは人間だけが移動した跡ではなかったのだ。彼らは、自動車を車庫の中から屋外の火の手のかかりそうもない場所まで運んでいたのだ。二人づつ両側に分かれて。横歩きになっていたのも伊達や酔狂や蟹に憑りつかれていたせいではない。あの大きさのものを担うなら自然とああいう形になってしまうだろう。
「鍵のほうはしばらくして落ち着いてからやってみたら、一番最初にさぐったポケットの奥のほうにあった、っていうんだから。まさに『お約束』みたいなものさね」
そう、そして何故そんなことをしなければならなかったかと言えば、あわて者ならよくやる失敗、ポケットの中に入れたはずのものを見つけられない、ないしは見つけられないと思い込んでしまうボケのせいだった。鍵がなければ自動車は普通のやり方では動かせないから。まさしく、この行動の動機は「鍵」だったのだ。
「君はなんか火事場のどたばた騒ぎに興味があるようだが、俺にとってはそんなことはどうでもいい。問題は、社長が繁々家を空けなければならない事情について、どれだけ知っているか、ということなんだが」
 推理小説好き、特に不可能犯罪を愛する者と一般の人の感覚は違う。ほぼ事件を解決してしまったような気分でいる辺利に、塚原さんはせっついた。
「ああ……そうでした。ただ結論から言えば、そっちのほうこそどっちでもいい話に僕なんかには思えるんですがね。智美のお父さんだって、なんでそんなことを家族に秘密にしなきゃならないんだか、僕にはさっぱり……」
 本当に辺利には理解できないのだ。特に智美のお父さんの気持ちが。なんでそこまでしてそのことを隠そうとする? 一旦火事の現場を逃げ出した後だって、すぐ下にあった別荘管理人棟(重さんの奥さんはいたわけなのだが)に連絡するでもなく、消防に連絡するでもなく、「博士」の車で自分たちの車のところまで送ってもらった後、自分たちだけで状態の確認に来た。運よくボヤで収まってはいたけれど、それにしても何か……外見はすごくいいのだが、自分一人の外面とか面子のことだけ何にも増して最優先させる、そんな人じゃないか? と疑ったりもする。まあ、智美のアイドルであるお父さんをあんまり悪くは思いたくもないのだが。
塚原さんは、その社長を代弁するかのように詰問してくる。
「なんでそんなことが君に言えるんだ? 本当に事情を知ってるのか?」
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