解決編前編

文字数 3,912文字

 マンホールキー(マンホールの蓋を安全に持ち上げるために使用する金属製の道具。蓋にひっかける鈎に大きなリング状の持ち手がついている。)を手にして構える野下さんと丸さんに向かって、辺利君は声をかけた。
「余計な事かもしれませんが、開けた蓋を地面にしっかり降ろすまで、マンホールの中はのぞきこまないほうがいいですよ」
 二人はきょとんとする。
「なんで?」
「いや、あの……びっくりして手をはなしちゃったりするとね……足の上にでもこの重い蓋落としちゃったら大変ですから」
「なにをびっくりすることがあるもんですか。マンホールの中にあるものなんか決まってる。ケーブルとクロージャ(ケーブル接続部の保護用品)とそいつらの支持金物、後はせいぜいあって雨水くらいのもんです」
 辺利君はこんなこと口にするんじゃなかった、と後悔した。言われて逆に意識してしまった野下さんは、蓋を持ち上げて脇にどける作業中、わざわざ中をのぞきこんでしまったのだ。マンホールキーが彼の手から離れ、蓋の片側のふちが舗道にあたって鈍い音をたてた。反対側を持っていた丸さんがバランスをくずす。
「なんだよ、野下。あぶないじゃないか」
 辺利君もそばによって、丸さんと一緒になかをのぞきこんだ。丸さんがぎゃっ、と言って腰を抜かした。
髪を振り乱し、目をくわっと見開いたおばさんが、下から三人をにらみつけていた。
「や、思った通り」
「し、死んでるのか?」
 辺利君は呆然としている野下さんの肩をぽんぽんと叩き、通りの向こうを指さしながら言った。
「さっきからこっちのことをうかがってる怪しい小男がいます。きっと犯人ですよ。つかまえて下さい」
 野下さんは猛然とダッシュしていった。
 近くの家の塀につかまりながらようやく立ち上がった丸さんが口の中で
「だけどこのおばさん、どっかで見たような気が……」
 辺利君はうんうんとうなづいて
「もしかして、課長の奥さんじゃないですか?」


「まずおかしいと思ったのは、死体の姿勢のことなんです」
 警察で何時間か足止めされてすっかり遅くなってしまったが、まだ東京まで走る電車はある。野下さんに駅まで送ってもらって、四十分の待ち合わせ時間、まあコーヒーでもと立ち寄った喫茶店で、話題は当然事件のことになった。
「最初はうつぶせだったのが、電話かけて戻ってきたら横向きになってたという?」
「それも当然関係はするんですが、むしろ最初の『地面にべったりとうつぶせ』だった、てのがひっかかったんです。普通だったらそんなこと有り得ないはずだな、と」
「なんで? 前向きに倒れたらうつぶせになるんじゃないですか?」
「いや、だって長さ七十cmの日本刀が体に突き刺さっているんですよ。しかも切っ先は背中から垂直に飛び出していた、っていうし。七十cmから突き抜けた十cmの分と被害者の体の厚みをさっぴいたって、結構な長さの刀身がお腹から垂直に飛び出てるはずですよね。それがつっかえ棒になって、地面にべったり、とはいかないはずです。じゃあどうしてこんなことが起こり得たのか考えてみましょう。
「一つは実際に凶行に使われた刃物は被害者の体の厚みと背中から突き出た十cm分の長さしかなかった、という解釈です。一旦現場を離れた目撃者が帰って来た時、お腹のほうには見せかけの刀身を付けて横向きにころがしといた、あるいはたいへんだろうけど一回凶器を引き抜いて、長い日本刀と差し替えといた、とかね。なんでそんなことしなきゃならないかがわからないのですが、本当の凶器はごっつい日本刀とかじゃなくて、例えば遠方から飛ばすのに適した形の武器、極端なことを言えば背中から飛び出した刃の部分だけが異形なだけで、凶器は矢だった、とか。あ、駄目か、矢だとしたってお腹側には弓を引き絞る分の長さはいりますものね。
「まあお腹側に長さが要らないでなおかつ飛び道具として使いうるような物が仮にあったとしても、後で凶器を差し替えるようなことをしたとしたら、それは何の為だったのか、という疑問は残るんです。そんなことをして一体なんの利益があったのか、思いつかなかったんですよ。どっちにしろ検視をした警察じゃあ、大将の見た凶器のお腹側の部分が付けたし物だとか、一旦刺された凶器が別のものに差し替わってるとか、その手の偽装があったのかどうかすぐわかるんですし、そうとわかれば大将もすぐに解放されるだろうから、大将がなかなか帰してもらえないことを考えると、この仮説はまあなしだな、と。で、被害者が地面にべったりとうつ伏せになっている理由として、もう一つ思いついた説があって……」
「あー、わかりました」
と野下さん。
「地面に穴が開いていた、でしょう?」
「その通りです。その穴がお腹側の刀身を呑み込んでしまっていた、というわけ。ところがあそこは歩道もきれいに舗装されたところですから、そんなに簡単に穴が掘れるわけもありませんよね。倒れ伏したこの被害者の立派な体格と、墜落したこうもり男のように広がったコートの下に隠されていたのは、まず間違いなくマンホールでしょう。そう考えると、自然と透明人間現象がどうしておきたか、わかりますよね」
「犯人はちゃんと被害者の向かいに立っていたんですね。だけど真後ろからついていった大将には被害者の影になって見えなかった。日本刀を突き立てた後、相手が倒れかかってくるのに押されて犯人はマンホールの中に落ち込んでしまった、というわけですか」
「その後、目撃者がいなくなったのを見計らって、犯人は死体をどけて上に出てきた。後で説明しますがマンホールに注意を引きつけたくない理由があって、蓋を閉め、目撃者が被害者の倒れていた場所を正確に記憶してないことを期待して、少し死体をうごかしたんじゃないかと。
「実際あの町は似たような建て売りの家ばっかりだったから、大将も少々死体が移動しても気がついてないんじゃないですかね。死体発見でいくぶんかは動転してたでしょうし。おそらくだけど最初は死体からそんなに離れてない場所にマンホールの蓋が置いてあったはずですが、それも特に印象に残ってない、というかそんなことまで気がまわらない程度にはね。
「とにかく犯人は、今度は穴のないところに死体を転がしとかなきゃならなくて、横向きにせざるをえなかった。
「さて、死体の倒れた場所がマンホールの直上だったという仮定を導入することで、一見透明人間の仕業かと見えた犯行が、普通の人間にも手段としては可能かもしれない、と思えてきました。ただ不思議だったのは、なにゆえこんな状況下、夜とはいえ街灯が明るい住宅街の舗道の上で、殺人犯がマンホールの蓋をあけたまま、被害者がやってくるのを待っていたのか、という点でした。たぶん凶器の日本刀を持ってね」
「道路で殺しの準備して待ってるとこ、関係のない人間に見られたらたいへんでしょうね」
「そうでしょう? まあ人通りが少ないだろうから、あらかじめ呼び出すかなんかしていた被害者以外に誰も来ないだろう方に賭けて実行したのかな? もし『関係のない人間』が通りかかって、その誰かに見られるとかそんな『運の悪い事態』が発生したらそいつも殺しちゃえばいいや、と開き直ってたのかな、とかいろいろ妄想してるうちにふと思いついたのです。本当にその『運の悪い事態』が起こってしまっただけなんじゃないだろうか、と」
「え? ちょっと待ってください。どういうことですか?」
「犯人は、大将が目撃した殺人を犯すのが本来の目的ではなかった。被害者はただの通りすがりの目撃者、『関係のない人間』だったという案です。そして、犯人はすでになにか見られてはまずいことの、後始末をしていた、と。地上で目撃されたのは口封じの殺人にすぎなかったのです」
「じゃあ、もし友達の家とかを出るのがもうちょっと早かったとしたら……」
 辺利君はうなづいて
「大将自身がこの疑似透明人間の餌食になっていたかもしれないということです。さて、見られてまずいこともいろいろあるでしょうけど、人を殺してまで口封じをしようということでまずは思い付くのは……」
「殺人、ですか?血は血で洗え、とかいうやつですね。死体をマンホールに隠し終わってあがって来たところに、被害者が通りかかったんじゃないかとお考えになったんですね」
「そうです。不謹慎な話ですが、それで私はほっと胸をなでおろしたわけで」
「そりゃまた何で?」
「いや、光ファイバケーブル不具合のご連絡があったときに、また温度の変化による特性劣化かと一瞬思いまして、重ね重ねのことでどうおわびしたものか、と気が重かったんです。工場側は万全の対策はとったはず、と言ってはいたんですがね。それがこんなふうにマンホールの中で刃傷沙汰がらみの事件があったとすると、犯人が抜き身―やっぱり見られた時の口封じ用に持って出て、心配した通り使う羽目に陥ったんでしょうけど―を持ってごそごそやってる間にケーブルが切られるなり、死体を投げ入れたり犯人が落っこちたりしたときに強い衝撃を受けるなり、なんらかの外因によるケーブルの損傷って可能性が高くなってきましたから。この町をみたら、新しい町ですし、電柱も全然立ってない。すなわち問題のケーブルが地下を通ってるのは明白でしたし」
「それがずばり当たって、OTDRで当たりを付けた光ファイバの異常点があるマンホールから死体が出てきた、と。なるほどねえ。でも何であの課長の野郎が犯人だとわかったんです?」
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