トンカツ屋のトミー

文字数 4,082文字

「いや、この度は申し訳ないことをしました。許していただきたい」
 何故か謝っているのは辺利君ではなく、野下さんである。
「そんな……根本的に悪いのはこっちである可能性が高いわけで……」
 辺利君は戸惑うばかり。
 事情があって、辺利君の出発直後に野下さんは会社に電話をかけ直した。辺利君の課長は恐縮して、昼飯抜いてでも早く行くように、と指示して部下を派遣しました、と言ったらしい。そこで野下さんと、もう一人の恰幅のよい人・丸さんは、自分たちも昼を食べずに待っていてくれたそうなのだ。
 「私が上司によく確認せずに、とにかく早く来い!とかどなっちゃったもんでね。すいません、本当に」
野下さんが申し訳ながっているのは、こういうわけだ。
 ケーブルの異常を察知した野下さんは、とりあえずメーカを呼ぼう、と辺利君の会社に電話で話をつけた。その後、野下さんの課長がやってきて、その報告を聞き、
「またあそこか。これが続くようだったら問題だな。測定の時には私も立ち会う」
ということになった。だが、直後に正午少し前から終日予定が入っているのに気づいたそうで、測定を明日に延期しなさい、と命令が下った。いやもう向こうはこっちに向かってますし、私が責任もって立ち会いますから一日でも早く対処したほうが、と野下さんは反論したが、頑として受け入れられなかった。
 部に一つしかない携帯電話を持って出なかった辺利君には連絡がつかず、最初の予定通り―まあ結構遅れたが―本日中に現場に着いてしまった、というわけだ。
 野下さんも、外見はたしかにこわいし、仕事熱心のゆえに電話口で怒鳴りもするが、基本的にまじめな人なのだろう。そもそもの原因が辺利君側にある可能性が高いのにもかかわらず、無理をして飛んでこさせた技術者が自分の側の都合で無駄な時間を費やすことに、ものすごい罪悪感を感じているらしい。
「ともかく申し訳なかったですが、あの課長の考えることは、普通の人間の常識でははかりしれないですよ。評判の課長でねえ。他のメーカさんとか工事業者さんにもね、しょちゅう迷惑かけてるんですよ」とお供の丸さんがとりなすように言う。
「ああ、でもやっぱりご自分で立ち会いたい、っていうのも、職務熱心の現れじゃないですか。別にこちらが出直すなり一泊するなりすればいいだけの話で、普段からお世話になってるんですから、それくらいのことは別に」
 辺利君が言うと、二人は申し合わせたように、ブンブンと首を横に振った。
「そんな立派なこと考えるような奴じゃないです。いつもいかに自分が楽をするか、人の仕事の成果を横取りするか、そんなことばっかり考えてやがる」
 ずいぶんな言われようだ。
「私、今朝一番で大きな新設工事の現場に行って、しばらく見回ってから事務所に帰ったんですよ。十一時くらいかなあ。課長はよそで会議かなんか知らないけど、大事な用事が入っているはずの時間ですよね、ご自分でおっしゃるには。でも、帰り道の途中、信号で止まったとき、何気なく角の大きな喫茶店のほうを見たら、そこに座ってるんですわ、彼が」
と丸さん。
「え、でも不具合の処理を延期させてまで、喫茶店あたりでさぼってる、ってのは……」
「おかしいでしょう?でもそんな奴ですわ。たださぼってるんじゃなかったかもしれんし。」
 野下さんは小指を立てて見せた。
「逢い引き……ですか?」
「仕事中にどうかなあ、とも思うのですが、何度も似たようなことをしてるのを目撃されてるようだし。しかも不倫ですわ。どこにそんな甲斐性があるのか、って思うような、チビの痩せこけた若ハゲなのにねえ。なんでも最近奥さんにばれて、すったもんだの状態らしいです。生傷が絶えないって感じでね、今朝も手に包帯してましたよ」
「ええ、ありゃ夫婦喧嘩なのかい~? 引っ越しのごたごたじゃねえの?」と丸さん。
「あっ、課長、引っ越しなさる……」
「そうなんです。もうほっとしましたよ」
「転勤ですか」
「ああいうおべっか使いが出世するんでしょうな~。近県六県を束ねる支社のほうにね、今月の頭に辞令が出たってことで。その時はもう、腹もたたないじゃないが、いなくなるだけで有り難い、お祝いだってみんなで朝まで飲んだ飲んだ。次の朝定時通りに行った奴はほとんどいなかったくらい、そりゃ~まあ盛り上がりましたわ。本人入れての送別会は、最近忙しいから、ってことでなしにしてるんですけど」
 丸さんはガハハと笑う。
 クレーム処理に来たメーカの担当者に、普通こんな話はしないだろう。よっぽど嫌われているにちがいない。
 話題が話題だけに辺利君がうかつに相づちも打てずにいる間にも、野下さんと丸さんは課長の話を続ける。
 彼は車を長距離運転するのが嫌いなたちらしい。三日程前に、ある同僚が、たいした用事でもないのに隣県にある支社に出張を命じられた。課長の転勤先である。課長は彼を呼んで言った。最近妙に当事務所も忙しい。車で現場に急行しなければならないケースが多い。ついては、今回の出張、費用の問題で少なくとも片道は(?)自動車で行って欲しいのだが、会社の車が出払って不都合があるといけない。今回に限り私の車を貸してやろう。いやいや行くときに乗っていくだけでいいんだ、帰りは別の手段でも。ついでに車はこの場所において、まあ私の新居なんだがね…… 。
 ていよく転居先まで車を運ばされた同僚は、復路は支社から自宅まで、便の悪い鉄道とバスで帰らねばならなかった。
 続いて家族の話。今度家が空くから、と弟が無理矢理高い家賃を払って住まされるらしい。彼は県内で働いてはいるのだが、そうは言っても、おかげで毎日の通勤距離は五十kmに伸びたとか。兄であるこの課長は何年か寝かせておけば家の値段が上がるとふんでいるらしい。「バブル経済」という言葉が流行語大賞で何かの賞かに輝いていたようだが、数年前までは馬鹿のように上がっていた地価も昨年あたりから下落に転じたようで、それだけに今売るのは損だ、夢よもう一度、という意識があるのかもしれない。
 かわいそうな弟夫婦はおまけに今朝から、会社を休んで引っ越しの手伝いで呼びつけられてるそうな。前日までは夜のうちに来るって言ってたんだが、休む段取りのための残業で遅くなるとかで、今朝からってことになったんだ。こちらについたのは本当の朝方だったよ、全く迷惑な、と課長が今朝ヘラヘラ笑いながら言っていたとか言わなかったとか。その本人が、仕事ならまだしも、喫茶店でさぼっているときた日には…… 。
 心から共感できる話題というのは恐ろしいもので、嫌なものの話しをしているのに、二人の表情はなんだか生き生きして、一見楽しそうに見える。だがさすがに我に返ったようで
「長々と内輪の話ですみませんです。注文が来るのも遅くなってるようですが、なんか取り込んでるらしいところを無理を言って入れてもらったんで、もう少し待ってやってください」
 三人は、定食屋に入っていた。野下さんや丸さんはすっかりおなじみらしい。当初駐車場に車を停めてみると、暖簾はかかっていないし、定休日という札はかかってるし、という状態だったが
「あれ、今日はやってるはずだけど。二時半過ぎてないけどなあ」
「まあ、ぎりぎりだけど。田舎だしぽつぽつとしか店ないから、他あたるっても移動するうちに閉まっちまうかな~。ちょっと頼んでみよう」
 ためしに丸さんが引き戸に手をかけてみると開いた。ちょうど先に店の人がいたらしく、しばらく小声で話していたのだが、結局こうやって中に入ることができたわけだ。
 丸さんは
「いやあ悪いね~」
とか奥に向かって言いながら、勝手に茶碗を持ってきて、給茶機からお湯を注いでる。
「大将がどっかに用事で行かなきゃなんなくなって、店開けられなかったんだって」
「まだ、帰ってないんですか?」
「ああ。だからまあ、大将の揚げるトンカツは食えねえけど、仕込んで行ったおでんとかと、あとトミーがなんか作ってくれるってよ」
「ああ、まあトミーも料理上手ですからね」
 え? 外人さんも働いてるの?
「なんか……お店の方にも迷惑かけたようで、すいません。」
「丸さんも言ったとおり田舎ですから、下手するとこれっきりの喰いっぱぐれになるかもしれないし、甘えさせてもらいましょう。それにしてもせっかく来ていただいたのにどうしたことか……」
というところから、前述の課長悪口大会に繋がるわけである。

「それにしても遅いですね」
「今から思うとちょっと無理させ過ぎたかなあ。トミーの顔色も少し冴えなかった気もするし」
「丸さんちょっと強引だったんじゃないですか?」
と言ってるうちに、三角巾をした女性がお盆を持ってやってきた。
「ああ、トミー、なんか悪かったね」
 え? トミーっていうから外人の男の人かと思っていた。女の人だし普通に日本人だ。どこかで会ったような気がするくらい。トミーって元の名前からの愛称なのだろうか? だとすると考えられるのって……
「すいません、遅くなっちゃって。続けてすぐ持ってきますから。今日は丸さんも野下さんも……」
順番に視線が移って、辺利のところで止まった。
「あ……」
しばらく固まった後
「京だ、京が来てくれた……」
どこかで会った気がしたのも当たり前、智美だった。
 イメージの摺合せに何分の一秒かはかかった。中学の頃はどちらかと言うとふっくらしていた感じだったのに、すらりと痩せて綺麗な大人の女の人である。あ、でも胸は昔より大きくなっているような気がする、とついついそんなところを見てしまう。
 こんなところで会うとは、と辺利もずいぶんとびっくりしたのだが、彼女の感情の起伏のほうが激しかった。見据えた瞳がみるみる涙であふれた。ずいと歩み寄ると、野下さん丸さんが唖然とする前で、辺利の胸倉をつかんだ。
「京! パパを助けて! あの時みたいに、謎を解いて!」
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