同級生やら五味家のその後

文字数 5,608文字

 思ったとおりシテンノーは陽気に迎えてくれたが、守山律は終始厳しい目つきで辺利を見るばかりで、結局二言三言しか話さなかった。
 大山と中川は高校卒業とともにこの会社に就職している。プラスチック射出成型装置の金型メンテナンスの職場にいる、ということだ。
この工場にはコネクタ等の筐体、外側のプラスチック部分を製造している部門があるが、結構複雑な形状のものも多い。それを作るための金型のほうもいくつもの部品やらピンやらを組み合わせたややこしい造りになる。定期的にこれを分解して、清掃・メンテナンスのあと再組立てするというそれなりの熟練がいる職場で、職人的な希少価値があるのだと言う。
 彼らはこのT市に家を持っている。社内結婚なので奥さんもこの土地の人だ。二人ともすらっとした長身で、見た目も若い。近寄ってみると、目尻とかのしわで、もしかしてそこそこの歳かも、と思われるくらいだ。二人の印象が似ているので、記憶力の衰えている辺利は、次に会ったときにどっちがどっちか覚えていられるかな、とつまらぬ心配をしたりする。
 守山律は品質保証課で、主任様である。検査装置についての知識は彼女の右に出るものはいない、ということで、メンテナンス全般一手に引き受けている。
 ちなみに彼女が流動している製品の試験とか品質管理をしているとすると、辺利は開発品の試験、恰好よく言うと信頼性評価の部署に配属になったので、やっていることが結構彼女とかぶる。試験装置も同一のものを使うことが多くて、品質保証課所有の設備を借りに行くときに守山に冷たい目で見られるのが今の辺利の一番のストレスである。
「なんかみんな専門家、って感じでいいねえ。」
というのが、途中入社、皆の元々故郷から三~四十分かけて通ってきている並岡である。背丈は大山・中川と同じくらいだが、彼は昔よりずいぶんと体重が増えたようだ。
「俺の今日の仕事なんか、社有車のタイヤ、スタッドレスに替えることだったぜ」
総務課勤務である。こないだ暖房の効きにくい作業場に、灯油ストーブを配ってあるいているのを見た。
「まあ、専門家って意味じゃあ、小田が一番だけどなあ」
「そうだよなあ。医者になったんだって?」
と聞くと、当の本人は
「そうだよ。焼肉の時は、肉を包んで食うのに俺を使ってくれ」
「………… もしかして『それは医者じゃなくてチシャだろ?』って突っ込んで欲しいのか?」
「ああ、そうか。確かに医者で焼肉包んで食う奴はいないだろうな。そんな奴がいたらどうやって食うことができたか訊いてみたいもんだな。一体ドークッター? てな」
 確かに全然変わっていない。ただ、おそらく髪の毛の減少具合はシテンノーで一番激しいかな。
「まあ、あれだな。辺利も来たことだし、俺たち△中学出身者でいっそう団結を強くして行こうじゃないか」
と並岡が言う。
「まあ頑張れ、最初は多少溶け込みずらい面はあるかもしれないけどな」
「えっ、そうなのかい?」
「まあその点については俺たちも同じ立場だったんだけどさ。元々この土地の人間じゃないからな」
「ああ……やっぱりそう思う? 別によその土地の人をのけ者にする、ってことはないんだけど」
「感覚が違うだけなのかもしれないけどね。ここの人たちって、生まれた土地に対する執着が珍しいくらい強い気がするよなあ」
 霊的なものかもしれない、と並岡は言う。全国にあまねく存在するある系統の神社の総本社がある。様々な特色ある祭事が伝わっているが、大和民族に対抗した先住民の狩猟神とか竜蛇神信仰由来のものとおぼしきものも多いとも言われる。満六年毎に山中から大木を切り出し、境内まで引き込んで建てるというお祭りの盛り上がり方は半端ではない。
「この土地がなんかのパワーを出しててさ、ここで生まれてそれを受けて行きてるのが当たり前になっちゃった人はもう離れることができない、とかそんなのがあるんだぜ、きっと。大山や中川は、嫁さんにそういうとこないか?」
「オカルト的な話じゃないけど、この土地が好きなんだなあ、とは思うね。ほら、ここ冬寒いじゃん。歳がいってから少し辛く思うことあってさ、定年になったときに手元に小金でも残ってたら、どっか暖かいところで暮らしたいなあ、とか思うんだよ。それを嫁に言ったらさ、『そういうことをしたいんだったら私と離婚してからして下さい』だとさ。中川は?」
「同じだよ。転勤になったら一人で行ってくれ、と普段から言われてる。『私はこの土地で生まれてここで死んでいくんだ』が口癖でさ」
「私の知り合いもそういう人多いよ。なんか……魅力があるんだろうね。私には良くわからないけど」

「知輝がね。お母さんの友達の人にまた会えるといいな、って言ってたの。ここに越して来てから少しした頃よ」
 借り上げの辺利の部屋と智美のアパートが近かったので、お開きの後、残りの面子とは別れて二人で夜道を歩いていると、彼女はそんなことを言い出した。前の旦那が自ら命を絶った直後、彼女はその時住んでいた故郷の市営住宅から、辺利に黙ったまま引っ越した。そうしてこの会社に就職したわけだ。
「え、それ俺のこと?」
「うん。ダンナの件の時、何回かうちに来てくれたよね。その時、京と本の話をして良かった、って。京がすすめてくれた、熊さんが北風の女の子と楽しくホットケーキを食べる話、沙紀ちゃんに読んであげたらすごく喜ぶんだ、って。自分でもその作者さんの話を探して読んでたようよ。怖い話も多いけど、なんか面白い、って言ってた。」
「ええ? ああ『北風の忘れたハンカチ』かな? 安房直子さんか、確かにそうかも」
「でも二回目に来たときお土産に置いていってくれた、なんとかの壺ってのは絵が怖くて沙紀ちゃん泣いちゃった。知輝に買ってくれたブラウン神父? だっけ。あっちはすっかり彼のお気に入りになってたわ」
「『ドン・ローロのつぼ』かなあ。あれ結構いい本なんだけどなあ」
「そう? 私も見せてもらったけど、酔っ払いが大騒ぎするだけの変な話だったような記憶があるけどなあ。そんなこんなで、京の読書センスにちょっと一目置いてたみたい」
「ふーん」
「最近、京が転勤してきたこと話したら、そういう話になってね。私が『そういえばお母さんが中学のとき、ロマンチックな話かな、と思って『魔女の隠れ家』っていう本を借りたの。貸出カードにあの人の名前があって、何乙女みたいな本読んでんの、キモッ! とか思ってたんだけど、間違ってたのはお母さんのほうだった。確か井戸の中に死人を投げ込むとか代々首を折って死ぬ家系とか、物騒な話で懲りたわ。あのおじさんはそういうの好きだったみたいだけどねえ。』って話をしたら、知輝が目を輝かせてね。ええと、作家さん『ツー』とか言うんだっけ?」
「いや、違う。『カー』。ジョン・ディクスン・カー」
「なんかその作家さんの作品読みたいんだけど、おじさん持ってないかなあ、って」
「最近また絶版増えてきてたのかな。愛書家じゃないから汚いけど、荷物の中になんか入ってたはずだよ。『恐怖は同じ』とか『幽霊屋敷の秘密』なんか今じゃ珍しいのかも。前の奴は歴史ものだけど」
「ああ、あの子歴史も好きよ。今度来てもらったら喜ぶと思う」
 それからちょっと星を見上げて
「ごめんね」と言った。
「何が?」
「六年前のこと。色々私たちのためにしてくれたのに、酷いこと言っちゃったよね」
 いや、いいよ。あれは本当のことだったと思うし。
「それで、どうしてももう京には会っちゃいけない、と思って逃げてきた。どうかしてたとは思うけど、でもあの時はそうするしかなかった。結局こうやってまた会っちゃったけどね」
「今は、どう? 少しは落ち着いた?」
 襟元のマフラーを引き絞るようにしながら彼女は言った。
「まだもうちょっと……かな」

 それからなんやかやで二年が過ぎた。
 辺利はしばしば智美の家にお邪魔している。
 いや、知輝君と話をしようとしてさ、と自分で自分に言い訳する。彼は本が好きだが、母子家庭であることを考えて、少しでも出費を減らそうと、図書館と辺利をフル活用しているわけだ。
 辺利は自分の若い頃は普通に売っていた今現在の絶版本とかをちょこちょこ貸してやっている。今でも入手可能なものも貸す。
 時々智美も知輝君から読んでみたら、と勧められるようだが
「こないだ、口から飲んでも全然害はないけど、血管の中に直接入るとほんのちょっとでも死んじゃう毒を使って、どうやって密室の中で被害者を殺したのか、っていう話を読んだわ」
「ああ……クラーレを使ったあれね。面白かっただろ?」
「うーん、そういう毒があるんだ、とかいうのは驚きだったけど、それをちまちま使って不可能だなんだ、と言われてもなんかピンとこない感じ。ま、若い頃は私も推理小説読んだけど、この年になるとねえ。京もいつまでも子供っぽい物好きなのね」
なかなか面白さがわからないらしい。
 さて推理小説好き、という点では高校生の頃の辺利と今の知輝君は似ているが、他の点では対極に位置してるとも言える。
「お母さん、今月の電気代払った? 期限切れると追徴取られるよ。僕コンビニ行ってくるからお金ちょうだい」
とか
「一つ向こうのおばあちゃんがさ、きゅうりがなり過ぎちゃって取りきれない、っていうから取ってあげる約束した。取ったら食べきれない、っていうからもらってきた。トマトも頼みたい、って」
とか、なかなかしっかりしている。勉強もそこそこできるらしい。男前だし。
 当然お母さんも一緒に住んでいる。相変らず達者で、いまだに可愛らしい。少しラジオも聴くようになったようで
「こないだNSPの『便所虫』がかかっててね。懐かしいわね」
とかいう(どんな番組?)。そうそうこういう話題にのってくれる人はいないらしく、対応できてしまう辺利は歓迎されるのである。
 お母さんは「マレットゴルフ」というスポーツに凝っているようで、老人会の御友人とかとちょくちょく出かけるらしい。柄の長い木槌みたいなもので玉を打つということで、やらない辺利はゲートボールと区別がつかないのだが、要はその木槌を使ったパターゴルフのようなものらしい。市民体育館の周りの野原がほとんどマレットゴルフ場と化しているらしく、体育館の窓口で用具を数百円で借りればあとはフリーに回れて安上がりという。
「まあ、お母さんが達者でいてくれるから助かるわ。出歩く仲間が出来たせいね」
と智美も感心している。

 彼女がちょっと心配しているのが沙紀ちゃんのことだ。お兄ちゃんと二つ違いで、辺利がやって来たとき小六だったのだが、中学に上がったときに色々うまくいかないことがあったようで、学校に行けないような状態がしばらく続いた。
 ちょっと好転しはじめたきっかけを作ったのは辺利だと曲解すれば言えないことはない。
 二○○七年のある日、知輝くん(当時中三)の部活の後輩の一年生、沙紀ちゃんと同い年の子が智美の家に遊びにきた。下衆な勘繰りをすると、彼女としてはもしかしたら知君に多少気があったのかもしれないが、表向きの理由は以下の通りであった。
 彼女は、最近売れっ子の女性経済評論家・著述家のファンだという。かりにその著述家をK間K代とでも呼ぶことにする。
たしか「無理なくできる収入がン倍になるための勉強法」みたいな本を書いていた人だと思うので、そのファンだという女子中学生もちょっと辺利の想像を超えているのだが、その女性著述家が、エッセイで少女の頃良く読んでいた本として、ある日本人女性SF作家の名前を挙げていた。こちらはとりあえずA井M子先生とでもしておこうか。
 その作家さんは、辺利がたしか中学生の頃、高校生でデビューしていて、ポップな文体で人気を博していた。今で言う「ラノベ」のはしりだという人もいる。辺利も良く読んだ。
 ファン心理に突き動かされて、女子中学生はそのSF作家の本を読みたくてしかたがなくなっていたのだが、なにげなく話したら知輝君が今家に何冊かあるよ、と言う。
何故そんな本が五味家にあったのか? 元はと言えば、辺利が彼に「ミステリーっぽいSF」特集ということでデイビッド・ブリンの「サンダイバー」とかと一緒に何冊か貸し出したのがきっかけだったのだけど。ちなみにうち一冊は、辺利の購入当時大学生協書籍部のおすすめチラシにピックアップされていたが、誤植で「畠に行く船」と紹介されていた(どんな船だ?)。
 知輝君へと貸したのだが、想定外にそれにはまってしまったのが、たまたま読み終えて積んであったそれを拾い読みしてしまった沙紀ちゃんだった。お母さんの陰に隠れるようにして、もしよかったらこの人の本もっと貸してもらえませんか? とリクエストがあった。女子中学生からのお願いに張り切った辺利が実家の倉庫あたりからいろいろ発掘してきたので、その頃智美の家には、この作家さんの本が何冊となくあったわけだった。
 本は沙紀ちゃんの机のある部屋(個人用の子供部屋はないので)に置いてあるので、やってきたお兄ちゃんの後輩であり、本来自分の同級生である訪問者に沙紀ちゃんも挨拶せざるを得ない。本を返しに来たときにはその内容に共感して話題もできた彼女たちは、少しづつ仲良くなっていった。元々馬があう性格同志だったようなのだが、小学校が別だったから、入学後すぐ不登校になる前にはあまり接点がなかったのだ。
 割と社交的な彼女がバックアップしてくれるような形で、沙紀ちゃんはぼちぼち学校に行けるようになっていった。まだ体調が悪いと言って休むことも多いが、ずいぶん前進にはなっているようだ。
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