働くシテンノーと考える辺利

文字数 6,198文字

 放課後。
 シテンノーこと、小田淳仁・並岡安徳・中川弘文・大山孝昭の四人がたらたらと文句を言いながら教室を出ていく。
「なんだよな。授業中、漫画回し読みしたくらいでよ」
「おめえの話が詰まらなさすぎるんだよ、ってなあ」
「だからって罰として草取りはねえと思うけど」
「枯れてるから増えやしねえし、逆に抜きづらいってのに、一本残らずとは…」
 鞄をかかえてたまたま辺利の机の傍にいた智美が
「シテンノー、何したの?」
と聞いてきたので事情を説明してやる。
「知らなかった? 昨日の国語の時間にさ……」
「そういえば、水ちゃんが中川君の頭叩いてなんかしてたのは見えたけど……」
 水ちゃんこと水堂先生は国語の担当、まだ若いが影が薄い。見るからに気が弱そうだが、舐められまいとしてか厳しい対応をすることもある。
「智美の席と教室対角線の両端で離れてるからな。さっきも言ってたけど『少年ジャンピョン』を回し読みしてたの見つかって」
 現状四人の席が固まっているし、だれがどう関わっていたかというのは一目瞭然なので四人の連帯責任として
「水堂先生が『罰として校舎回りの除草だ』って言ってた」
「私は席遠いし水ちゃん声小さいから聞こえなかったわ。でも水ちゃんって言うのは言うけどいつも口ばっかりで」
「そう、いつからどこどこやれ、って指示しないんだよね。本当にやらす気はないんだ。だから放っておきゃいいのに、小田の奴が今日さ。あいつ姉ちゃんいるだろ?」
「ああ、おととしだかに卒業したんだよね」
「その姉ちゃんの中学時代の制服、セーラー服借りてきて、昼休みに着替えてさ。職員室の水堂先生のところへ行って、これから校舎を一回りしてきます、って言った訳」
「え? 何で? 小田君そういう趣味が?」
「いやいや。先生がおっしゃったとおりに『校舎回りの女装』をする、って」
「うわ~」
「とりあえず女物の服用意できたのは俺だけだから、一人だけで勘弁してください、とか。水堂先生もすっかり職員室の注目の的になって、引っ込みがつかなくなってさ、馬鹿野郎意味が違う、って一生懸命になって怒鳴ったらしい。結果として実際に作業場所と今日の放課後っていう日時も切られちゃって、それでこの冬場にああやって出動していったわけ」
「そこまでして思いついた駄洒落を披露したいかな~、小田君の趣味のために他のシテンノーもちょっと迷惑だよね。まさに藪から棒ってわけね」
辺利は『もしかして藪蛇っていいたいわけ?』という言葉を飲み込む。そういう発言こそ『藪蛇』の最たるものだ。
 智美はふと顎のへんに一指し指をあてて
「そういえば彼らのこと、シテンノーって京が呼び始めたのよね?」
「そうだけど、何か?」
「なんかあの四人のイメージと違うかな。馬鹿やってるだけでさ。あんまり強そうな感じじゃないし」
「ああ、この『四天王』だと思ってる? 仏教の守護神の?」
 辺利は後ろの黒板に「四天王」と書きながら訊ねる。
「違うの?」
「あんまり関係ないな~。そもそもあいつらのイメージを表そうとか思ってなかったもん。思いつき。四人とも名前が面白いだろ」
「え、そう? 大山とか中川とか普通でしょ?」
「いやいや下の名前。淳仁(あつひと)・安徳(やすのり)・弘文(ひろふみ)・孝昭(たかあき)だから、一人一人は普通だけどさ、四人つるんであるいてるのが」
「そう?」
「全部あるものの―ものと言ったら怒られるかもしれないけど―名前なんだ。並岡の、『安徳』で俺はあれ? と思ったんだけど」
「やだ。わかんない。教えなさいよ」
「平家滅亡のおり壇ノ浦の合戦でわずか八歳で入水して崩御されたのは……」
「ああ、あれだ『浪の下にも都のさぶろうぞ』。安徳(あんとく)天皇だ! じゃあ他の三人も?」
「第五代と言われる孝昭天皇、第三十九代の弘文天皇―この人は壬申の乱の大友皇子のことだね―、第四十七代の淳仁天皇。名前を音読みにすると全部歴代天皇の名前になる」
「だから『四天皇』なわけ?」
「そう」
「ふ~ん、案外面白くなかったな。京の名づけのセンスって最悪だね」
 あれれ。まあ、自分でもそんなにしゃれてるとは思ってなかったけど、そんな面と向かって言わなくても……
「センスは悪いけど、京ってさ、物知りではあるよね。でも知ってることって……お母さんの好きなマイナーな歌の話に年の差もものともせずあそこまでついてけるのは京だけで、だからって何かいいことあるわけじゃない。戦争中じゃないんだから天皇の名前知ってたって特にどうってことなくて、ましてや社会のテストの点があがるわけもない。全部知ってても全然役に立たないことばっかりだけど」
 智美はクスッと笑った。
「京のそういうとこ、嫌いじゃないな」
 え? 英語でノットバッドだったら、どっちかというと「良い」側に振れてるって教わった気がするけど、今の「嫌いじゃない」の意味って?
 一瞬固まってるうちに、智美はヒラヒラと手を振って、バイバイと教室を出ていってしまっていた。
 
 今日は数学も理科もないので智美との「宿題会」もないわけで、辺利は一人で図書室に行くことにする。
渡り廊下を通るときに、シテンノーたちの声がした。
「飼育小屋から倉庫までって言われたからこんだけだわ~」
「や、だけど、ちょうど一番草生えてるとこに、軽が停めてる。どの先生の? 今日職員会議とか言ってたから、終わるまで車の下、できんぞ~」
「こんなの車の下に潜り込めんしな。手も全部にゃ届かん」
「とりあえず倉庫から鎌持ってこようや~」
 みんな農家の子で手伝いもよくするらしい。段取りがいいから普通ならすぐ終わるんだろうが、車の件は運が悪かった。まあ、事情が事情だからその部分だけ抜けてなくても許してもらえるとは思うが。
 二階にある図書館の窓際の席からは、働くシテンノーの姿が見える。辺利はノートを広げると、勉強もせずにこう書いた。
『クラブクラブ事件に関する考察
 問題:タイヤ跡と足跡の謎
Ⅰ.雪が止んだ後でやって来た自動車は、いかにして消失したのか?
① 降雪中にやって来たタイヤ跡は、雪で覆われ、出ていった跡のみ残った。
→それであれば車体下だった部分は雪がないか少ないはずだが、そんな痕跡はない、駄目。重さんの話でも、雪が降り終わった時点で車はそこになかった。
②来たタイヤ跡を全くそのまま踏んで出て行った→検証済、無理』
 ここまではこの間現場でも考えたこと。あとは……
『③クレーン車なりなんなり、アームを伸ばして車を釣り上げて運ぶことのできる重機を使って、いったん入ってきた車を運び去った。乗っていた人間は実は二人で、まず歩いて建物に入り、靴を替えてまた車に戻ってきた。車に乗りこんだ後、人間ごと運び去られていったのであった。
 →だいたいどこに重機を置いた? 近辺の別荘の敷地内? 通りすがりに見たときそんなの見えなかったし、立ち去っているにしてもそんな重機の出入りした跡はなかった。入ってきたのは雪がふる前でも、否応でも自動車を持ち上げるのは雪が止んだ後でのはずなので、出ていった跡は必ずあるはず。
④雪が降る前に建屋の中に歩いて入った四人が、一人一個づつタイヤを持ってシャッターから出てくる。タイヤ跡の終わり(始まり?)のところからタイヤを地面におろし、後ずさりしながら後からタイヤを転がして、先行した自分の足跡を消していく。そのままずっと進んで……
→まずはタイヤの幅が狭いので、まちがいなく足跡をタイヤ跡で消してしまうためには、ものすごく慎重に足の方向をまっすぐに、その上、左右の足跡が一直線上にならぶようにおそろしく不自然な歩きかたをせざるをえない。しかもタイヤを転がす以上腰を曲げて。そんな不自然な姿勢で、どこまで進む気だ? タイヤの跡は車道に出てからずっと続いてた。二百メートルや三百メートルは軽く続いていた。どう考えても四人の人間が二人づつ並んでというやり方には見えない―実際の自動車がつけた跡としか思えない―左右間に一定の間隔を保ち、ブレることなくまっすぐ続く跡が。人間技ではほぼ無理』
 ここまで書いた部分全部に大きくバツをつける。
 あ~、なかなかうまい解決法は思いつかないものだ。
 うまい、というより「何故そんなことをしたのか?」が腑に落ちるような解決例が。例えば超人的な技と忍耐力、あるいは動作を補助するような特殊な道具を用意したことにより④が実現できたとしても、なんのためにそんなことをしたのか? という説明が自然につくような気がどうにもしない。
 火事の日、智美のお父さんはああいう形で帰ってきたが、またいつ長期で家を空けるかわからない。今は上機嫌な―ニコニコして一割増しくらい可愛く見えるし、少しだけ俺にも優しい―智美が、また暗い顔になるのは見たくない。それにストレスのはけ口にされるのも御免だ。
 辺利は、智美のお父さんがどういうことに関わっているのか、なんとなくはわかったような気がしていた。ただその推測が正しいのかどうかに今一つ自信が持てない。あのヘンテコな足跡の謎があるからだ。
何故あんなことが起こりえたのか? 意図してやったのなら、目的は何なのか? それがわからないと、とんでもない勘違いをしてしまうような気がして怖い。
再び鉛筆を取って、ノートに向かう。
 ちょっと違う視点から考えてみようと、隣のページの一番上に、こう書いた。

『Ⅱ横歩きの人間の足跡はどう解釈されるべきか?』

 なにぶん、発見直後に智美のお父さんと塚原さんにさんざん車で踏みつぶされてしまったがために、今となっては辺利の頭の中のおぼろな記憶としてしか、人間の足跡の記録は残っていない。
 ええと、確か。四種類ある足跡は二種類づつ組になっていた。左右のドアから二人づつ降りて―足跡の始まる場所で、ちょっと横へのいたりその場で足踏みするようないろんな方向の足跡があり、ドアを開けたり閉めたりするためにちょこちょこ移動している様子がうかがえる―そのまま前に、車の進行してきた方向の延長上に歩いていった感じ? まあ、横歩きにはなっていたのだが。横歩きで二列、左右の人同志は向かい合わせで進んでいった、みたいなイメージ(時間的には前後してたかもしれないが)。つまり爪先の向きは、左側の列は進行方向に対して右側を、右側の列は左側を向いていた。二つの列の間の間隔は、最初から最後までほぼ同じ。タイヤ跡の間隔より少し広いくらいをキープしている。(とはいえ、右によったり左によったりが変則的で、乱れが周期的でないから、建屋の少し前で普通のタイヤから、接地部が靴底の形をして車体の横に少し張りだした特殊タイヤに履き替えて屋内車庫に入っていった、みたいなバカ話は成立しない。)
 もう一つ。気がついた瞬間に、塚原さんたちが乱入してきたので、一瞬の記憶にすぎないのだが……
 横歩きの足跡の上を、タイヤが部分的に上から踏みつぶしている所があったような気がするのだ。これでさらにわからなくなるのだが、人間の足跡の上にタイヤの跡がある。つまり、自動車が入ってくる前に、人間の足跡があった、ということになってしまう。
 どういうこと?
 時系列を追って想像する。辺利たちが現場に立つ三時間前に、重さんが確認した雪の降り止んだ地面には、なんの跡もついていなかった。続いて、ある時点で、現在タイヤ跡が終わっている付近から屋内車庫までの地面に、横歩きの人間の足跡だけが作製された。その次に自動車が外の道路から入ってきて、人間の足跡の始点(終点?)のあたりまでやってきて停まる。そして、自動車はいずこへともなく消えてしまう……
 ちょっとシュール。
 人間の足跡だけでいいなら、つけるのはそんなに難しくない……かな?
 雪の止む前から家の中にいた人間二人が、まずシャッターを開けて、横歩きで外に出て行く。タイヤの跡が終わってる点あたりで、片足で立ちながら逆足の靴を履きかえ、えいっ、と車幅の分だけ―左右の列の足跡は互いに向き合う方向だったから体を半回転させながら―片足ジャンプし踏み切ったのと逆の片足で着地する。片足で立ったままもう片方の靴を履き替え、そして家のほうにまた横歩きで戻っていく。これは別に一人の人間が二往復かけてやっても構わない。その後、車が入ってきて足跡を踏む、という構図だが。
 ああ、ものすごく無理そう。車の幅だけその場片足飛びでジャンプ、しかも半回転して片足着地、バランス崩して両足つくの厳禁、というのでは少なくとも俺にはできない。
 万一すごく運動神経のいい人間がいて足跡作製だけ可能だったとしても、人間はその後で「なんらかの方法で」、燃える家の中から消失してしまわなければならないし、さらに自動車も出てくるにしろ消えるにしろ、異次元との行き来をしなければならないという問題がある。人間の足跡だけ解決できてもあんまりご利益はない。
 辺利はⅡ項については何一つノートに記載できないまま、行き詰った問題からまたしても逃げるため、次の項目を描きこんだ。俺の人生、逃避の連続さ~、と呟きながら。

『Ⅲどうしてこんなことをしなければならなかったのか?』

 結局ここに戻ってきてしまう。
 何か超特殊な方法でこういう足跡が残せたとしても、一体なんのためにそんなことをする必要があったのか?
 ほ~ら、こんな不思議なことをする力を持った蟹星人が地球を襲ってきますよ~とか愉快犯的宣伝する動きも特になかったし。
 どうやってやったか、なんてのは二の次だ。なんでこんな訳のわからないシチュエーションが出現する必要があったのか? なんのためにやったのか? つまり動機。
「動機がカギなんだよなあ。動機が……」
と呟きながら窓の外を見て、辺利はギョッとした。
 え、まさかそんなことが、という事態が起こっていた。
 辺利は一瞬立ち上がり、それから脱力してストンとまた椅子へと落ちた。えへ、えへえへ、と思わず笑いが口を突いて出た。少し横にいた下級生が気持ち悪そうに帰っていった。
「そんなのありかよ~。本当に馬鹿みたいじゃないか」
 目の前のノート全面に大きく×を付けた。
またしばらく考える。それがありだとすれば、何であんな跡が残ったのか? なんてのは一気に解決だ。問題と思っていた動機についてだって、自分がおっちょこちょいなだけに、そういうことをしなければならない状況、十分想像できる。文字通り動機がカギだった、というわけだ。それで全部解決しちゃったじゃないか。あとは、智美にどう話そうか、そればかり考えて過ごした。
 下校放送が流れて、図書当番が「もう閉めますよ~」というのに押されて図書室を出た。渡り廊下から眺めても、とっくの昔にシテンノーたちはいなくなっている。まつろわぬ者を気取っていても、根は働き者の彼らである。草取りを指示されていた場所は、それはもう綺麗なものだ。
 辺利は上履きのまま地べたに降りて、飼育小屋の向こうの軽四のとこまで行った。かがんで覗き込んでみる。車体の下に草は一本たりとも残っていなかった。
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