文字数 3,752文字

 立ち話で進めるの? というエメラルドの言葉に次元の狭間の主が連れてきてくれたのは小さな家だった。
 三人が最初に現れた場所とはあまり離れていない。
 家を前にしたら、真っ白な世界の中でそこだけが色がついた場所のようで、空も大地もなく全てが白いこの場所では逆に酷く浮いているように見えた。むしろ何故此処にきたその時にこの家の存在に気づかなかったのだろうかと不思議に思うくらい、家はぽつんと目立っている。
 中に案内されて置かれている椅子に座るより前、我が物顔でエメラルドはお茶を用意するわと言って隣の部屋に行ってしまった。
 その様子からどうやら母はこの家の中に入ったことがあるらしいと知る。全く遠慮のないその様子は単に知ってるだけでなくまるで我が家のように使っているようにも見え、ああ見えて意外に周囲と一定の距離を置く母にしては珍しく打ち解けているんだなとサファイアは思った。上司という話だが、エメラルドに限っては上司というよりは気のおけない関係の先輩と後輩といった雰囲気がある。
 母が気を許した相手の元で好き勝手に振る舞うのは珍しくない。家の持ち主が気分を害していない限り邪魔をする気も止める気も無いので、待っていようと自分の座る椅子を探して部屋の中を見た彼女に、家の主が白い座椅子を手で示した。
「そこで良い」
「うん、ありがとう」
 見るからに柔らかくふわふわしたその椅子にぽふっと腰を下ろしてしばらく、茶器と人数分の食器を持ったエメラルドが部屋に戻ってくる。こちらは迷うことなく床の空いている場所にそのまま座ると、慣れた手つきで全員にお茶を淹れてくれた。
 王妃ではあるが後宮のエメラルドの居住区には使用人がいない。
 王族である母娘以外で住んでいるのは侍従扱いのクリアだけで、食事すら城に仕える料理人たちには頼まず自分達で用意している。だからエメラルドは家事全般全てを余裕でこなす王妃だ。しかもこう見えて料理は城の専門の料理人達よりもうまかったりする。
「事情は一部理解した。だが、そなたらはこれから何をしようとしている」
 受け取った茶を一口飲んですぐに発言した次元の狭間の主に、サファイアはクリアとエメラルドを見る。
 そなたら、と一括りにされても彼女は現在ここにいる事情を全く知らないので答えようが無い。見ればクリアも何とも言えない表情をしていた。おそらく彼も同じような状態の筈だ。城を出ると母が言ったあの日から数日経っているけれど、揃って今日まで何も説明されていない。
 結局二人してエメラルドの方を見たところで、当のエメラルドははぁ〜っと大きなため息をついた。
「実はねぇ。サフに縁談がきててね」
「え」
 唐突な母の言葉に我が事ながら言葉が出ないサファイアと、さすがに目を丸くして一言零したクリア。次元の狭間の主は何も言わない。
 周りの反応など気にする様子を見せずエメラルドは話し続ける。
「いえ縁談自体は今までもいっぱい来てるのよ? まぁこんなに可愛い子だし当たり前よね。問題は今回申し込みしてきたダイダルジニアの第一王子殿下が想像以上に強引に事を進めようとしてるトコ」
「と、言うと……無理やり婚姻を結ぼうと?」
「皇国から見れば大きな貿易相手国でしょ。それを逆手に取ってこっちの気持ちや意見も無視して乱暴に話を進めようとしてた訳」
「あーなるほどそういう事ですか」
 話しながら不機嫌な顔になっていくエメラルド。さっきから唯一合いの手を入れているクリアも珍しく不快な表情を隠していない。
 サファイア個人としては王家の姫に生まれた以上、いつかはどこかに嫁ぐ事を覚悟していたので突然の縁談話自体にどうこう思うことはなかったけれど、母の言った王子殿下には心当たりがあった。
 つい最近のいつだったか城で行われた行事に関係国の招待客として招かれていた人だ。
 王女の一人としてその時に挨拶をした記憶もある。華やかな席に見合う服装をして整った顔には笑顔を浮かべてはいたけれど、ずっとこちらを強い視線で見ていたのが印象に残っていた。ただ注目されていたというよりは細部まで値踏みされているかのような不躾にも思える視線で、すごく居心地が悪かったのも覚えている。
 見た目の問題で大勢から不躾に見られることには慣れているけれど、あれは外見に対し人としての興味を向けられているというより、価値ある物かどうかを観察されてるような感じだった。その後すぐに気分が悪くなって、様子の変化に気づいたクリアが気を使って退場させてくれたのだ。
 あの日の、どこまでも絡みつくような視線を思い出し、ぞわっと背筋が寒くなった。
 出来ればもう会いたくない。率直にそう思う相手である。
 どこかに嫁ぐ事は覚悟していても、あの人の元に行けと言われたら躊躇するだろう。
「お母様、私は」
 でもそれで国を逃げ出す程でもない、はずだ。
 他国や貴族領主との良好な関係を保つための婚姻は王位を継ぐ以外の王子王女の義務にも近い。他の兄弟姉妹だっていつかは用意された相手との縁談を受けるものを、自分だけが単なる好みを主張し断れる筈がなく、それだけを理由に国から逃亡するのは死罪にも等しい罪だ。
 確かに好きになれそうにない相手だとは思う。
 どれだけ時間をかけても打ち解ける未来が想像つかない。きっとあの人は自分を物として扱うのだろうという予感がある。価値ある物としてなら大事にされるかもしれないが、人間としては向き合ってもらえない。そんな気がする。だからあの人と結婚なんて嫌だ。
 でも自分だけがわがままを貫くならまだわかる。母やクリアまで巻き込むのは違うだろう。
 そういう事情なら国に帰るべきだと言いかけた彼女に、エメラルドはばんっと空になった入れ物を床に叩きつけた。
「この際っ! サフの気持ちはどうでもいいのよ!! 私が、許せないの! 嫌いなの! あんな奴にサフを渡したくないのよ絶対に!! あいつに渡すくらいなら離縁するわ。いえ皇国なんて私の手で潰したっていいのよ」
「……………………」
 普段の母のわがままならば幾らでも諌めるサファイアでも。
 本気で怒っている母を止められる言葉など持たない。
「あぁもういっそその方がいいかしらねぇ? 条件は前からずっと出してるってのに国益のためだけにこの子を無理やり結婚させようだなんて奴らがいる国、潰れちゃった方がいいんじゃないかしら」
 たとえどんなに冗談に聞こえても、本気で怒っているエメラルドの発言は全て本音。
 常日頃だって思いつきで適当な言葉を吐いたりはしない。出来ないことは言わない。
 そしてこの母ならば国一つ簡単に潰せそうな気がすると思うのは、決して娘目線での過大評価では無い筈だ。
 ちらっと視線を流した先、クリアは仕方ないといった様子で頷いている。おそらく彼もエメラルドの発言を冗談とは受け取っていないだろう。でも止める気がないのは態度から明らかだ。むしろこの分では率先して参加しそうに見える。
 二人にとっては思い入れの少ない国でも、サファイアにとっては故郷だ。話がこのまま進んでしまうのは非常に困る。
「それは最後の手段で良いだろう。そなたもそう思っているからこそ此処にきたのではないか?」
 どうやら次元の狭間の主もエメラルドと同じような意見のようだ。だが困り切ったサファイアの視線を受けて話の流れを変える質問を投げてくれる。その問いかけに怒りに燃え上がっていた母がすっと激情を引っ込めた。感情豊かな母は、けれどいつだってどんな感情だってそれを長く引きずることはない。
「そう、それよ。話を勝手に押し切ろうとしてるのは大臣どもとそれを唆してる第一、第二王妃とその関係者で、この子の父親は私側なのよ。じゃなきゃ今頃本当に離縁してるけど。ただ、それでも王の立場である以上は難しいこともあって、情けなくも押し切られかけてるのね?」
 はぁ〜っと大きくため息を吐いて情けなさを表現するエメラルドだが、サファイアは母の言葉に少しほっとしていた。
 父は反対してくれている。
 縁談が出ていて母が逃げ出した限り、それを強引に進めようとしている誰かがいるのはわかっていた。恐らくそれは王家に代々仕える大臣達だろうことも。彼らの多くが国益は守るべき一番のもので、王以外の王族は全て使える駒という感覚なのだからそれは仕方ない。ダイダルジニアはそれだけ大きな国だ。
 でももし父まであの王子との婚姻に積極的なんて言われたら、かなり悲しかっただろう。
「でもお母様、どこに逃げたところで、私は」
 王妃である母は離縁すれば元の地位に戻るだけだが、公的に王の血を引くサファイアは母が離縁しても王女の地位は変わらない。たとえ逃げても地位が無くなる訳じゃない。仮に逃げだしても一時しのぎでしかないだろう。国から追っ手がかけられ、いつか捕まる。捕まらなくても、いつまでも逃げ続ける日々がいかに現実的でないかくらい想像は出来るから母に話しかけた。
 言いかけたサファイアに向かってエメラルドが制止するように手を上げる。
「大丈夫、その辺は全部計画した上で実行してるから」
 にっこり、と擬音がつきそうなほど鮮やかな笑顔を浮かべる母を見て、なんとなくもう手遅れなのだなとサファイアは悟った。
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