31(了)

文字数 2,405文字

 通信方法で色々あったものの、それ以外は特に大きな問題もなく森での生活は始まった。
 サファイアたちにとっては数日前まで名前も知らなかった相手との同居生活だったけれど、アミルやセバスが特別な態度を見せることもなく普通に接してくれたこともあって直ぐに屋敷の雰囲気に慣れた。むしろ昔から知っていたと思える位に馴染んだようにすら思え始めたのは、後宮に比べて敷地内には警戒すべき相手が何処にもいないということが大きかった。
 どちらかといえば食事の時には出来るだけ顔を見せるようになったアミルの方が、それまでの生活に比べ変えた部分が多かったかもしれない。後日それが気になって無理をしてないか尋ねたサファイアに、元からこだわりもなかったからなと彼は笑った。


 そんな日々を過ごし始めた中。
「…………本当に、大丈夫なんですよね?」
「えぇ。大丈夫ですよ」
 隣に立っているセバスを見上げてサファイアが最後の確認をすると、セバスは何度も繰り返された問いかけに嫌な顔を見せることなく同じ返事をしてくれた。
 それに勇気付けられて頷き、彼女は目の前の扉を叩く。
「開いてる。勝手に入っていいよ」
 中から返事が聞こえて、ごくっと喉を鳴らした後に扉をそおっと押し開いた。顔だけ先に中に入れて、部屋の主がいつもと同じような姿で今日も本を読んでいるのを見つけると、声を掛ける。
「アミルさん、今、何か食べられる?」
「食えるけど……どうしたの」
 普段なら改めて問うようなことでもない内容を尋ねたサファイアに不思議そうな顔をしてアミルが顔を上げつつ答えてくれる。
 その顔を見てまた少し怯んだけれど、後ろにいるセバスから促すように優しく背中を押されてサファイアは部屋の中に足を踏み入れた。前よりも人の歩ける床面積が増えたアミルの部屋に入った彼女の後ろからは、セバスが黙ってついて来る。
 返事を待ってるアミルに、サファイアは持っていた皿を見せるように少し前に突き出した。
「あのね。セバスちゃんに教えてもらったの」
「ふぅん?」
 椅子から立ち上がって近寄って来たアミルが、皿の中を確認した瞬間に納得したように頷く。
「エメラルドさんが持って帰ってったヤツか」
「うん。砂糖漬け。母様大好きみたいだったから、作れるようになりたいなって言ったら、教えてくれたんです」
 ね、と後ろを見たらセバスが同意するように頷いた。そんな二人を見てから、再度皿の中に視線を戻したアミルがしばらく観察して笑う。
「見た感じ、よく出来てるんじゃない?」
 そう言って貰ってちょっとはにかんでしまうけれど、別に見せびらかしに来た訳じゃないと思い出して立ち直った。
「アミルさん食べられるってセバスちゃんには聞いたから、良ければと思って、これ」
 いくつも作った中で一番綺麗に美味しそうに出来た数個が乗った皿をちょっと上げながら言うサファイアに、くすっと笑うとアミルが皿を受け取った。緊張が滲む顔でじっと見ている彼女に対して笑ったまま首を軽く傾げる。
「貰うよ。感想も必要?」
「んんんっ、あの、私も食べたし、セバスちゃんは大丈夫って言ってくれたし、クリアも美味しいって言ってたから、味は大丈夫なはずなので」
 二人に大丈夫だと言われても感想なんて怖くて聞けない。
 そんな思いでぷるぷると空いた両手を振って丁重にお断りしてみたら、ちょっと驚いた顔をした後で何か考えている様子を見せた後に恐る恐るといった様子でアミルが口を開く。
「もしかして、これ食べるの俺が一番最後?」
 複雑そうなその表情が何を意味しているのかサファイアには思い当たらない。
 ただ事実なので頷いて、理由は分からないけれどそれが引っかかっているように見えるアミルに説明をする。
「一番美味しそうに出来たのをアミルさんにあげようって思って、でも試食しないでは駄目だし、ちょっと形が崩れたり壊れたのを先に食べたんですけど」
 何か問題があっただろうか。
 不安になりつつ彼の顔色を窺ったサファイアに、説明を聞き終わったアミルが今度は苦笑を零した。肩を竦めて、返事を待っている彼女の前で砂糖漬けの中の一つを指で摘むとぽいっと口の中に放り込んでしまう。
 まさか目の前で食べられるとはあまり考えてなかったサファイアが驚きと緊張で動けない中、口の中のものを飲み込んだアミルはさらにもう一つ食べてしまった。
 そのまま黙々と残りも全部食べてしまう。
 吃驚したまま何も言えずにそれを見守った彼女に、全部食べ終わり空になった皿を渡しながらアミルが微笑む。
「美味しかったよ」
 いつもより優しい声でそう言われて全身の血がわっと顔に集まったような気がしたサファイアは空の皿で思わず顔を隠した。嬉しいけれど、ものすごく居た堪れない。恥ずかしい。
「……感想はいいって言ったじゃないですか……」
「でも俺だって美味しそうじゃなくても失敗作でもいいから一番に感想言いたいんだけどな」
 皿から顔を出さないサファイアを見ながら優しい声のままでアミルが理由になっていない言葉を告げて来るのに対し、サファイアはぶんぶんっと頭を横に振った。
 頑なに拒否の姿勢を見せる彼女を困ったようにアミルが見たけれど、皿に隠れている彼女には見えない。
「どうしても駄目?」
 少し寂しげに問われてサファイアは迷わず頷いた。
 これに関しては彼女の方にだって譲れない言い分がある。恥ずかしさでこの場から逃げ出す前にそれだけは言っておかないとと皿に隠れたままで理由を告げた。
「だって。好きな人にあげるなら一番いいのをあげたいんです」
 だから駄目。
 そこまで言ってから耐えきれなくなり部屋から逃げ出したサファイアは、部屋に残された方が追いかける気も起きないくらい顔を赤くしていることなど知ることもなく。
 庭で野菜作りの準備のために土を耕しているクリアの元まで走っていくとしばらくその側で唸りながらしゃがみ込んでいたのだった。
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