23

文字数 2,522文字

 色々と疲れていたのだろう。
 夢も見ないほど深い眠りから目覚めた朝、先に目を覚ましていたエメラルドがいつもと変わらない顔で朝の挨拶をしてきて、それに返事をしながらサファイアは昨日の夜のことを思い出していた。長いような短いような時間、言葉を交わした。彼女にとって同年代の男子とあんな風に会話をしたのは初めてのことだったけれど、後から思い出すと自分は何か変なことを言わなかったかとか、気になってくる。
「あら、それ、どうしたの?」
 挙動不審な娘を興味深そうに眺めていたエメラルドが、その枕元にある見慣れぬ布を見つけた。
 エメラルドが寝るまではこの部屋になかった布だ。それ、と指差されて思わず手に取ったサファイアは両手で布を握る。
「これは昨日の夜、アミルさんに」
 言いかけて、けれどそれ以上言葉は出なかった。何故だろう、悪いことはしていないのに後ろめたい気分になる。
 自分自身の感情についていけずに黙り込んだサファイアをじぃっと眺めながらエメラルドが首を傾げた。
「あの子ってば私の寝首でも取りに来たの?」
「ち、違うの! 私がお水貰いに下に行った時にいて、少しお話ししただけ! これはその時に……アミルさんは部屋まで来てないよ!? 自分が送るよりセバスちゃんの方がいいだろうって言って、それで」
 もしかしてセバスが送った方がいい理由というのはこういうことだったのだろうか? 母の言葉に慌てて否定をしながらサファイアは迂闊だと言った時のアミルの顔を思い出していた。確かにこんな誤解をされるかもしれないなんて簡単なことも思いつかないようでは、ああいう顔をされても仕方ないだろう。
 とにかく違うのだと主張するサファイアの様子を面白そうに眺めていたエメラルドだったが、続く娘の言葉に緑の目を瞠いた。
「寝首なんて取らないよ。だって今日の審査はすぐ終わらせるって言ってたし」
「…………へぇぇ?」
 少し声音の変化した母の声に、はっとサファイアは言葉を止めた。
 腕組みして彼女の方を見ているエメラルドは怒っている様子はないものの、非常に好戦的な表情になっている。もしかして言葉が過ぎただろうかと気づいたものの、口から出てしまったものはもう回収できない。
 どうしよう、と思うもののこれ以上何か言っても母を焚きつけるだけのようが気がする。
 強い不安感がこみ上げてしまい握っていた布を胸元にぎゅっと抱きしめたサファイアの変化に気づいたエメラルドが、表情を変えると小さく苦笑をこぼして問いかけてきた。
「貴方としては、アミルくんは嫌いじゃないって思っていいのかしら?」
「私?」
 改めて問われて、サファイアは数回瞬きする。
「私はアミルさんのこと、好きだよ?」
 母の問いかけに素直に心情を吐露した彼女に、訊いたエメラルドの方が少し戸惑った顔をする。何かを言いかけ、けれど珍しく言葉を飲み込んだ後に、また話しかけてくる。
「それはお友達として仲良く出来ればいい感じの?」
「お友達……?」
 アミルは優しくていい人で、好きだと思う気持ちに嘘はない。だから仲良くして貰えるならとても嬉しいと思う。でも友達としてかと改めて問われると、そうだと何故か断言できない。友達が過去にほとんどいなかったせいもあるのだろう。ただ、最終的に友達になれればそれでいいのかというと、それだけじゃない気もする。
 例えばそれ以上の。
 物語とかで読んできた、もっと親密な関係にまで進んだとして。
「それとも、家族になりたい感じの?」
「……っ!」
 続けて問われた言葉に、その先を想像しかけたこと自体がとても恥ずかしい気持ちになって顔が熱くなる。いつかの未来で知らない誰かとそういう関係を築く可能性は分かっていても、今までそれを具体的に考えたことはなかったし想像しても実感なんかなくて、絵空事の話にしか思えないものだった。
 ダイダルジニアの王子からの求婚ですら、嫌だなという気持ちはあっても実際のところ想像が難しい。
 それなのにアミルとそういうことを考えようとすると、すごく恥ずかしい気持ちになる。
「母様、なんでそんなこときくの?」
 布で熱っぽい顔を隠してもごもごと言い返せば、エメラルドからは長い溜息のようなものが聞こえた。
「我が娘ながら貴方って子は……いやむしろ我が娘だからかしらね?」
「母様?」
「いえ、母としては娘の成長を嬉しく思ってるわよ? 相手にも不足はないしね」
 それにしても、と何やらぶつぶつと喋っているエメラルドの様子にそろそろと布から半分顔を出したサファイアは、組んでいた腕の片方を解いて額に手を当てている母を見つけた。怒ったり困ったりしているというよりも何か込み入ったことを考えている様子でエメラルドは呟いては頭を振っている。
 どうしたんだろうと見ていたら、ばっとエメラルドが顔を上げた。
「一個だけ言っておきますけど」
「は、はいっ!?」
「私としては、貴方のことは当然応援しますけど、あの子の方は別に応援しないから。この先お世話になることとそれは別問題として考えますから。そこは混同しないわよ?」
「? えっと?」
 真顔でエメラルドが力説してくるものの、サファイアには内容がよくわからない。
 ぽかんと母を見上げている彼女をどう見たのかエメラルドは苦笑してから、近づいてきてサファイアの頭を撫でた。子どもの頃から一番よく知っているその手の感触に、気持ちまで撫でつけられ落ち着いてきたところで母の声が落ちてくる。
「この先、どんなに離れていても、何があったって私は何時でも貴方の味方だってことよ。それだけ覚えていれば大丈夫」
 小さく頷けば、頭を撫でていた手が離れて、代わりにぎゅっと抱きしめられた。
 伝わってくる慣れ親しんだ暖かさと匂いに胸がぎゅっと締め付けられるような気がして目を閉じたサファイアに、楽しそうな母の声が続けて届いた。
「取り敢えず今は、アミルくんがどうやって審査を直ぐ終わらせる気なのか楽しみだわ」
「っ! 母様、その、それは」
 その言葉にさっきの母の好戦的な表情を思い出すと同時、自分の失言も思い出したサファイアだったけれど。
 まるで悪役のような笑い声を漏らしているエメラルドに言い訳は届かなかった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み