文字数 3,211文字

 皇国には直系の王子王女であっても王籍を抜ける方法がある、とエメラルドは説明した。
 本人の意思による特定期間以上の完全失踪。それにより、王族としての責務を放棄したとみなされ、期間が過ぎた後は王族としての籍が剥奪され権利と義務が失効する。自分の人生の半分近い七年という長さにはくらっときたものの、それを過ぎればあの王子と結婚しなくて済むのであればいいのかなと思う自分もいる。
 それくらい、母だけでなく自分もあの人を好きになれないのだろう。
 一度会って少し会話しただけの相手をこんなに嫌がるのは逆に失礼だと思う気持ちもあるが、己の中に抱いている感情は偽れない。見た目は美丈夫だったし話し方も紳士的で丁寧だったし具体的に何処がどう嫌かなんて感覚でしか説明がつかないのに、あの人と結婚してこの先一緒に過ごすことが考えられない自分がいる。
 だからエメラルドの説明する内容に対し、サファイアは否とは言えなかった。
 あの人と結婚しない為なら、王女でなくなっても構わない。そう思ってしまう時点で結論は出ている。
「時間かかるんですね」
「まぁね。庶民じゃなく王族なんだからこのくらい仕方ないんだろうけど」
 率直な感想を漏らすクリアに、だらしなく座り頬杖をついた姿でエメラルドが苦笑する。そのエメラルドの姿を咎める様子もなく次元の狭間の主が確認するように尋ねた。
「つまりその期間を此処で過ごしたいという話か?」
「うーん、それも考えなくもなかったんだけど、最後の手段? だって貴方、こういう事情ならこの子を七年くらいここに置くことに絶対反対はしないでしょう」
「それはそうだが」
 二人の会話に驚いたのはサファイアだ。上司部下という関係らしいとはいえ、他人の子を七年という長い期間預かる行為を迷う様子も見せず二つ返事で了承する人がこの世にいるとは思わなかった。
「でも此処、正直言って年頃の子が七年も過ごしたら退屈で死んじゃいそうじゃない。いくらクリアをつけるとしても」
「そりゃそうでしょう」
 続くエメラルドの言葉に相槌を打ったクリアにも驚く。侍従扱いではあるがサファイアにとっては半分血の繋がった実の兄よりも兄らしい家族のような人だ。確かに幼い頃からずっと一緒に過ごしてきた人だけど、城から出て身を隠して七年も生活する間までずっと一緒にいて貰うなんて無理だと何処かで思っていたのに、彼の方は当たり前にそのつもりでいたらしい。
「だからまぁ、七年くらい余裕で隠れられて、しかも多少は閉塞感が少なくて楽しい可能性がある場所をもう一箇所見つけてるのよ」
「そんな便利すぎる場所が?」
「えぇ。精霊の森の中にね」
 さすがに疑わしげなクリアを気にする様子もなくエメラルドが言い切った。
 その言葉にクリアはいまいち要領を得ない様子だったけれど、次元の狭間の主は少し驚いた様子で緑の目を見開く。サファイアの方は何も心当たりがないから大人しく話の続きを待った。
「そなた、娘をアレに預ける気か」
「適任じゃない? だってどうせ放っといたって何もしてない暇人でしょう」
「年頃の娘が心配にならんのか」
「言ったでしょ。クリアをつけるし。それ以上に私の子なのよ? 本人がいいってんなら止めないけど、そうじゃなく何かしようもんなら、あの場所だったら周りが黙ってないわ」
「……アレ相手であってもそなたは負けないと?」
「勝てはしなくても負けもないって程度よ。少なくともみんな私の気持ちは無視できないし、する気もないでしょうね」
「なるほど。故に、か」
「そう、故に、よ」
 最後は次元の狭間の主と母だけ二人で何か納得した様子だが、サファイアには話がまったくわからない。クリアも同じようで、ちょっと怖いものを見ているような顔をしてその会話を眺めていた。
「ただし、そうなると貴方の許可は必要でしょう?」
「そなたに対して隠し事というのは不可能らしい。本当に困ったものだな……」
「私だって必要がなきゃ暴かないわよぅ。今はこういう事情なもんだからね。前に私が一度ヘマしちゃったのもあって、いざって時のために必要そうな話は全部教えてもらうようにしてるのよ」
「アレが嫌がった場合はどうする」
「森のかかってるヴィンスには月の庭があるわ。精霊の森ほどじゃないしヴィンス管轄だけど、親友が管理者だからお願いすれば滞在許可が貰えると思うの。精霊の森より古い領域だし、そこならクリアがいればどうにか大丈夫でしょう」
 微笑みつつ言うエメラルドに、次元の狭間の主は仕方ないとでも言いたげな深い息を吐いた。
「……良かろう。アレには私の名を出すがいい。一人よりは二人が良いだろう」
「あらありがと。助かるわ」
「但し、三人はさすがに許可できぬ。前例云々ではなく、役目の性質上好ましくないからな」
「わかってる。クリアだけでいいわ。私は戻ってやることあるから」
 どうやら何かの許可を得たらしい。満足げに頷くエメラルドに対し、仕方なさそうに頷く次元の狭間の主。そこで話は終わった様子でしばらく沈黙が落ちた中、次に声をあげたのは不安げな様子を強くしているらしいクリアだった。
「すいません。今の話、半分以上わからないんですが」
「これから七年、貴方たち二人は精霊の森ってトコに住んでてねっていうだけよ。貴方は今まで通りサフを大事にして、もしもサフが森の生活が嫌だって言ったらその時は此処に連れてきてくれればいいわ」
「お母様は?」
「私は皇国に戻って貴方たちの追っ手が最小限になるよう最大限の嫌がらせをするの。無いと思うけど、もしあの人が離婚するっていうなら貴方たちと合流ね」
 にっこり微笑んで言う母だが、それはないとサファイアですらわかる。
 何人もの妃がいる父であるけれど、その中でも母に対しての思い入れは他の妃へのものとは比較にならない。決して欲目ではなく父は母を失うことを最も恐れているし、それを回避するためならば王としての役目や尊厳だって投げ捨てる覚悟があるだろう。王として娘の婚姻では最後まで強く出られない父であっても、自分自身の婚姻に関しては絶対に譲歩できない一線があって、それがエメラルドだった。
 王妃としての順位も一番下で、小さな民族の長の娘であるが本来ならばせいぜい側室であって妃扱いにすべきでない出身であったのを、王がどうしても正式な婚姻をしたいが為だけに強引に正妃にしたようなものと聞く。
 それほどまでに愛されているからこそ他の王妃との折り合いが悪い。
「一人で大丈夫ですか?」
 少し硬い声でクリアが確認するのは、過去から何度もエメラルドが他の王妃に命を狙われているのを知っているからだろう。
 後宮に彼以外の侍従が居ないのは、見知らぬ人間を安心して雇えないからだ。仮に身辺が潔白な人間を入れたとしても、何か弱みを握られたり金を握らされて寝返る可能性が皆無ではないから、絶対に裏切らない彼以外雇えていない。
「油断はしないようにするけど、もう大丈夫だと思うわよ? あの人たちからすれば私は、娘の家出を助けたという大不祥事を起こすんですもの。正々堂々と叩ける存在になるわけだから、命を狙う理由までは無くなるんじゃないかしら」
「でも」
 言いかけたクリアにエメラルドがじろっと強い視線を投げる。
「いざとなったら貴方を呼ぶから来なさい。それでいいわね?」
「はい」
 諦めたようにクリアが返事をした。師匠と弟子という関係以上にクリアは母の身をいつも案じてくれている。周りに頼ることの少ない母も、クリアに対してはあまり遠慮せずに寄りかかっている節があって、それはいつもサファイアを安堵させた。皇国では味方の少ないエメラルドだが、どんな状況でも絶対の味方になってくれる存在がいることが嬉しい。
 母と離れて暮らすことは不安だが、何かあれば確実にクリアは自分の側を離れ母の元に向かうのだろう。
 それがわかっただけでも少し、未来への不安が減った気がした。
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