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文字数 1,874文字

 翌日、セバスから壺いっぱいの砂糖漬けを渡されたエメラルドは大喜びだった。
 来た時からあまり荷物がなかったこともあり、あっさりと準備を済ませると昼にはもう屋敷の玄関先に出ていて、見送りに来たサファイアとクリアを振り返ると何時もと変わらない笑顔で手を振った。そのままちょっと出かけるみたいな様子で去っていこうとしたエメラルドに、はっと何か気づいたらしいクリアが制止をかける。
「師匠、ちょっと待ってください」
「何よぉ。まだ何かあった?」
「今後の連絡方法! 決めてないでしょう」
 どうするんですか、と言うクリアにエメラルドは指を一本立てて何でもない事のように告げる。
「用意はしてあるわよ。私とサフが泊まってた部屋に置いてあるから、後で確認しなさい。まさか貴方とアミル、二人も揃ってて使い方がわかんないなんて情けないことは言わないでしょうし」
「…………いや用意したのが師匠の場合、その可能性が残るんですけど……」
 サファイアの隣でクリアがぽそっと小さな声で嘆く。
 離れた場所にいるエメラルドまで届くような大きさではなかった筈なのに、エメラルドは立てていた指を倒して今度はサファイアの方を指差した。
「いざとなればサフに聞きなさい」
「私?」
 突然指名されたもののサファイアは母が用意した何かに関しては何も聞いていない。だから本気で戸惑ってしまったのだがエメラルドは動揺する娘を見ながら腰に手を当て空いている方の手をぱたぱたと振り、笑う。
「大丈夫よぉ。貴方なら知ってる方法だから。まぁ? 魔力を入れるのはクリア達なんだけどね。どーせ他に使うアテもないんだから大丈夫でしょ」
「あーなんか嫌な予感してきた」
「此処なら足りなくたって増やす方法には事欠かないんだから問題ないわよね」
「うわぁ……」
 にこにこと言い募るエメラルドに対し、クリアの顔色は悪くなっていく。それ以上説明する気は無かったのかエメラルドは言葉を切ると、サファイアの方を見た。
 母の緑の目が潤んでいるようにも見えてどきっとする。
「じゃあ、またね」
 そう言われて、永遠の別れではないと分かっているのにサファイアは飛び出してしまいそうになった。
 それを止めたのはくるっと背を向けたエメラルドで。
 何か言おうと口を開けたその瞬間にも、母の姿は消えてしまった。魔術で転移したのだと気付いたのは少し後で、こみ上げて来た何かを堪えるためにぐっと手を握ったサファイアの頭をクリアが撫でる。
 本当にあっさりと置いていかれてしまった。
 それがひどく母らしいと分かっているのに、何故かとても胸が苦しい。ひとりきりじゃないのが分かっているのに、ものすごく寂しい。こうなると分かっていたのに、悲しい。
 此処でそれらを口に出すほど小さな子どもにはなれなかったけれど、すぐには飲み込めない感情を前にサファイアはクリアにしがみつくと胸元に顔を埋めた。泣きはしないけれども顔を上げられない彼女の状況を察しているクリアは何も言わずに頭を撫で続けてくれる。
 しばらくそうしてくっついていた。
 最初は収まることなんて想像できないくらい強い感情も、頭を撫でる手の優しさを思い出す頃にはかなり小さくなっていた。
 きっと無くなることはないのだろうけれど我慢出来ない程じゃない位に小さくなったのを自分自身に確認してから、サファイアは顔を上げる。
「大丈夫」
「そう? 今夜一緒に寝ようか?」
 じっと窺うように見て来る金茶の目を見て告げれば、悪戯っぽくクリアが提案して来た。
 幼い頃から稀にあったエメラルド不在の夜にいつも一緒に寝ていたのを指しての発言だとわかっているから、サファイアはふるふるっと頭を横に振る。
「もし寝れなかったら、行くね」
 ここで絶対行かないと言い切れる程、強くない。
 素直にそう吐露したらクリアは揶揄することもなく頷いて肩を叩くと、促すみたいに彼女の背中に手を置いて屋敷の方へ戻っていく。
「ねぇクリア。もうちょっと一緒にいてもいい?」
「いいよ。じゃあ、師匠の言ってた連絡方法でも確認に行こうか」
「うん」
 特に用などなかったけれどまだ一人の部屋には戻りたくなくてお願いしてみたら、まるでそれを予想してたみたいにクリアは即座に提案してくれたので安心して頷く。きっとただ一緒にいるだけではすぐ気にし始めるだろうと分かっていての提案が嬉しい。
 落ち込んでいた気持ちが、昔と変わらないクリアの態度で浮上して来る。
 無意識に伸ばした手が子どもの頃からそうしているようにクリアの服の裾を掴んだけれど、気づいたクリアは何も言わずに扉を開けてくれた。
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