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文字数 2,634文字
話が終わったと思ったら早々にエメラルドがアミルを引き摺るように外へと連れ出してしまった。
恐らくもう審査を始めるのだろう。今まで城で何度も審査を見てきたサファイアとクリアは後を追うことなく二人を見送る。セバスも何か言う訳でもなく黙って見送っていた。
静かになった部屋の中でサファイアは小さく息を吐く。
「どうしたの?」
いつだってクリアは彼女の変化に聡い。この時もほんの小さな仕草から何かを察して問いかけてくる。優しいその声に促されるようにサファイアは気になっていることを打ち明けた。
「アミルさん、ああ言ってたけど本当は嫌なんじゃないかなって」
彼は、何か断りにくい事情があって、やりたくない事を無理して引き受けようとしているんじゃないだろうか。もしそうなら、自分たちの都合でそこまで無理を通したくない。
森の中にあるこの大きくて静かな屋敷で穏やかに暮らしていた彼の生活の邪魔をしようとしているんじゃないか。
そんなことを考え始めたら申し訳なくて仕方ない。
元を辿れば一度会っただけの相手から結婚を申し込まれたらしいけれど全く好きになれそうにないから嫌だ、なんて一国の王女と思えない身勝手な理由で逃げ出してきている。アミルには何も関係のない個人的な事情の逃亡なのに七年も巻き込まれて、審査までされて。
彼には付き合う義理なんてない問題なのに。
「あの人と結婚は嫌だけど。それは本当だけど。でも、それでアミルさんに迷惑かけるのは違うと思う」
もっと他に、誰かに迷惑をかけない良い方法があるんじゃないかなんて思い始めたら止まらなくて、でも何か思いつくわけでもなくて、ただ落ち込むばかりだ。言葉を選ばないと言うべきじゃない弱音がいくつも飛び出しそうで、膝の上に置いた自分の手を見ながらどうにか言えそうなものを選んでみる。
誰かに迷惑をかけないと自分の気持ちも通せないなんてもどかしい。
でもそれならクリアだって迷惑をかけられている側なのだから、こんなこと言うべきですらないのに。
ぐるぐると考えていたら自分の手の上にクリアの手がぽんっと置かれた。小さい頃から何度も感じてきた温かさにはっと顔を上げたら、困ったような顔のクリアと視線が合う。
「そういう思考はとても大事だと思うよ」
でもね、とクリアが続ける。
「迷惑かどうかを決めるのはアミルくん自身だからね。確認する前からサフがそう決めつけるのは、違うとも思うよ」
「そうだけど、でも」
こんな状況で迷惑じゃないなんてそんなことあるんだろうか。そう言いかけたらぎゅっと手が握られて言葉が止まる。クリアは苦笑しながらその手を離した。
「せめてそれは本人に確認してから悩んだ方がいい。その上で、もしそれが辛いって言うなら僕が責任を持って他の場所を探してくるから、ここを出て行こう。師匠の希望とはちょっと違っちゃうけど、そこはまぁ僕も頑張るから心配しないで」
「そんなこと、出来るの?」
「出来るって断言出来ないのは申し訳ないけど、僕だってやるときはやるからね」
そう言って肩を竦めるクリア。
子どもの頃からずっと一緒にいるせいもあって、同じように迷惑をかけるのだとわかってはいてもクリアに対してはあまり後ろめたさは感じない。そう感じること自体が傲慢だと言われればその通りなのだけど、クリアの場合は何となく彼自身が本気でそうすることを望んでいるという事実に確信があるせいだ。
本人から直接そう言われたことはないけれど、恐らくクリアは自分に対して何かそうするべき理由を持っているんじゃないかとサファイアは思っている。
だから、クリアに対しては迷惑かけたくないなんて気持ちで遠慮する方が嫌がられるんだろうという認識がある。
こうして申し出られた言葉に甘えてしまえる程度には、サファイアにとってのクリアは特別な存在だ。
「わかった。確認してから考えるね」
頷いて返事をしたらクリアも同じように頷いた。
その二人の会話が終わったのを見計らったように、ずっと何も言わずに立っていたセバスの声が飛び込んでくる。
「私の知る限りですが、アミルは迷惑なことを押し付けられて、納得もしないまま自分から仕方なく了承するような性格ではありません。上からの命令だった場合ですら最後まで抵抗するでしょう」
低く綺麗な声に吃驚しながらセバスの方を見ると、明るい新緑色の目がほんの少しだけ細められた。
「少なくとも今回の結論は自分自身で選んだものだとアミルは考えているでしょうし、突然のお話ではありましたが、嫌がってはいないと思います。リリアの性格は苦手としているようですが、それは嫌悪とはまた別の感情でしょう」
言いながら茶器の片付けを始めたセバスを茫然と見ていたら、一瞬手を止めたセバスがサファイアを見る。感情がほとんど見えない無表情なのに不思議と違和感なく馴染んだ感覚すらある青年の顔は、どこかで見たことあるような不思議な既視感があった。何を考えているかわからないのに、セバスの場合それが当たり前のような気すらする。
「私から申し上げるのが無粋とは存じますが、後ろめたさに心を曇らせては、見えているものも見逃しますよ」
「…………わかりました」
淡々とした声なのにとても優しく聞こえるその言葉に頷いて、折角なのでサファイアはセバスに問いかけてみる。
「セバスさんは。貴方にとっては、私は、迷惑じゃないですか?」
本音を言って貰えるとは限らないけれど確認せずにはいられなかった。両手を握って質問を投げたサファイアに、一瞬動きを止めたセバスが茶器と椀をまとめて入れた盆を持ち上げ立ち上がる。
「いいえ。普通に暮らして頂く分には何も問題ありません。アミルとリリアが希望するのならば、私が貴方を拒絶する理由はないのです。ただ一つだけ」
言葉を切ったセバスが纏った重々しい雰囲気に、何か重大なことを言われる予感がして無意識にサファイアは姿勢を正した。
クリアの方も真面目な顔をして言葉の続きを待っている。
神妙な顔で言葉を待つ二人を見下ろして、セバスははっきりと言い放った。
「お二方は、私のことはくれぐれも『セバスちゃん』とお呼びください」
「え?」
「ん?」
「それでは、これからよろしくお願いします」
あまりに予想を超えた発言を前に首を傾げた二人に対し綺麗な一礼をしてセバスは部屋から出て行く。
その後ろ姿を見送った後も、サファイアとクリアはしばらく青年の消えた扉の方を揃って見つめてしまった。
恐らくもう審査を始めるのだろう。今まで城で何度も審査を見てきたサファイアとクリアは後を追うことなく二人を見送る。セバスも何か言う訳でもなく黙って見送っていた。
静かになった部屋の中でサファイアは小さく息を吐く。
「どうしたの?」
いつだってクリアは彼女の変化に聡い。この時もほんの小さな仕草から何かを察して問いかけてくる。優しいその声に促されるようにサファイアは気になっていることを打ち明けた。
「アミルさん、ああ言ってたけど本当は嫌なんじゃないかなって」
彼は、何か断りにくい事情があって、やりたくない事を無理して引き受けようとしているんじゃないだろうか。もしそうなら、自分たちの都合でそこまで無理を通したくない。
森の中にあるこの大きくて静かな屋敷で穏やかに暮らしていた彼の生活の邪魔をしようとしているんじゃないか。
そんなことを考え始めたら申し訳なくて仕方ない。
元を辿れば一度会っただけの相手から結婚を申し込まれたらしいけれど全く好きになれそうにないから嫌だ、なんて一国の王女と思えない身勝手な理由で逃げ出してきている。アミルには何も関係のない個人的な事情の逃亡なのに七年も巻き込まれて、審査までされて。
彼には付き合う義理なんてない問題なのに。
「あの人と結婚は嫌だけど。それは本当だけど。でも、それでアミルさんに迷惑かけるのは違うと思う」
もっと他に、誰かに迷惑をかけない良い方法があるんじゃないかなんて思い始めたら止まらなくて、でも何か思いつくわけでもなくて、ただ落ち込むばかりだ。言葉を選ばないと言うべきじゃない弱音がいくつも飛び出しそうで、膝の上に置いた自分の手を見ながらどうにか言えそうなものを選んでみる。
誰かに迷惑をかけないと自分の気持ちも通せないなんてもどかしい。
でもそれならクリアだって迷惑をかけられている側なのだから、こんなこと言うべきですらないのに。
ぐるぐると考えていたら自分の手の上にクリアの手がぽんっと置かれた。小さい頃から何度も感じてきた温かさにはっと顔を上げたら、困ったような顔のクリアと視線が合う。
「そういう思考はとても大事だと思うよ」
でもね、とクリアが続ける。
「迷惑かどうかを決めるのはアミルくん自身だからね。確認する前からサフがそう決めつけるのは、違うとも思うよ」
「そうだけど、でも」
こんな状況で迷惑じゃないなんてそんなことあるんだろうか。そう言いかけたらぎゅっと手が握られて言葉が止まる。クリアは苦笑しながらその手を離した。
「せめてそれは本人に確認してから悩んだ方がいい。その上で、もしそれが辛いって言うなら僕が責任を持って他の場所を探してくるから、ここを出て行こう。師匠の希望とはちょっと違っちゃうけど、そこはまぁ僕も頑張るから心配しないで」
「そんなこと、出来るの?」
「出来るって断言出来ないのは申し訳ないけど、僕だってやるときはやるからね」
そう言って肩を竦めるクリア。
子どもの頃からずっと一緒にいるせいもあって、同じように迷惑をかけるのだとわかってはいてもクリアに対してはあまり後ろめたさは感じない。そう感じること自体が傲慢だと言われればその通りなのだけど、クリアの場合は何となく彼自身が本気でそうすることを望んでいるという事実に確信があるせいだ。
本人から直接そう言われたことはないけれど、恐らくクリアは自分に対して何かそうするべき理由を持っているんじゃないかとサファイアは思っている。
だから、クリアに対しては迷惑かけたくないなんて気持ちで遠慮する方が嫌がられるんだろうという認識がある。
こうして申し出られた言葉に甘えてしまえる程度には、サファイアにとってのクリアは特別な存在だ。
「わかった。確認してから考えるね」
頷いて返事をしたらクリアも同じように頷いた。
その二人の会話が終わったのを見計らったように、ずっと何も言わずに立っていたセバスの声が飛び込んでくる。
「私の知る限りですが、アミルは迷惑なことを押し付けられて、納得もしないまま自分から仕方なく了承するような性格ではありません。上からの命令だった場合ですら最後まで抵抗するでしょう」
低く綺麗な声に吃驚しながらセバスの方を見ると、明るい新緑色の目がほんの少しだけ細められた。
「少なくとも今回の結論は自分自身で選んだものだとアミルは考えているでしょうし、突然のお話ではありましたが、嫌がってはいないと思います。リリアの性格は苦手としているようですが、それは嫌悪とはまた別の感情でしょう」
言いながら茶器の片付けを始めたセバスを茫然と見ていたら、一瞬手を止めたセバスがサファイアを見る。感情がほとんど見えない無表情なのに不思議と違和感なく馴染んだ感覚すらある青年の顔は、どこかで見たことあるような不思議な既視感があった。何を考えているかわからないのに、セバスの場合それが当たり前のような気すらする。
「私から申し上げるのが無粋とは存じますが、後ろめたさに心を曇らせては、見えているものも見逃しますよ」
「…………わかりました」
淡々とした声なのにとても優しく聞こえるその言葉に頷いて、折角なのでサファイアはセバスに問いかけてみる。
「セバスさんは。貴方にとっては、私は、迷惑じゃないですか?」
本音を言って貰えるとは限らないけれど確認せずにはいられなかった。両手を握って質問を投げたサファイアに、一瞬動きを止めたセバスが茶器と椀をまとめて入れた盆を持ち上げ立ち上がる。
「いいえ。普通に暮らして頂く分には何も問題ありません。アミルとリリアが希望するのならば、私が貴方を拒絶する理由はないのです。ただ一つだけ」
言葉を切ったセバスが纏った重々しい雰囲気に、何か重大なことを言われる予感がして無意識にサファイアは姿勢を正した。
クリアの方も真面目な顔をして言葉の続きを待っている。
神妙な顔で言葉を待つ二人を見下ろして、セバスははっきりと言い放った。
「お二方は、私のことはくれぐれも『セバスちゃん』とお呼びください」
「え?」
「ん?」
「それでは、これからよろしくお願いします」
あまりに予想を超えた発言を前に首を傾げた二人に対し綺麗な一礼をしてセバスは部屋から出て行く。
その後ろ姿を見送った後も、サファイアとクリアはしばらく青年の消えた扉の方を揃って見つめてしまった。