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文字数 2,684文字

 昨日の夕食同様、アミルとセバスを除く三人で朝食をとった後、食事の終了を見計らったように現れたアミルを引きずるようにしてエメラルドは審査へと向かってしまった。嬉々として外に向かう母の姿に心配になって何か言おうとしたサファイアよりも先、見守っていたクリアが呆れたような声を上げる。
「張り切るのはいいですけど審査ですからねー」
「わかってるわよ〜ぉ!」
 釘をさすみたいなクリアの言葉に、廊下の向こうからエメラルドの返事が届く。
「絶対わかってない返事だアレ。はぁ」
 それに独り言とため息を零してクリアが肩を落とした。離れたところにいるセバスは食器の後片付けを始めている。今日も片付けを手伝わせてくれる気がないらしいのはセバスの雰囲気からはっきりと伝わってきた。だからもうクリアも気にしない様子で椅子に腰掛けている。
「取り敢えず昼前にまた迎えに行けばいっかな」
「今日は直ぐ終わるかもしれないよ」
 昨日と同じく審査が長引く前提で予定を立てているクリアに一応サファイアが可能性を示唆すると、ちょっと驚いた顔をしたクリアが彼女の方を見た。
「何かあった?」
 決して単なる楽観視や当てずっぽう、適当な発言として扱わず、そう主張するだけの根拠が何処かにあることを前提に話を続けるあたりがクリアらしい。サファイアが小さい時からずっとクリアは、彼女の些細な発言やおかしな発言にも呆れたりせず耳を傾けてくれた。
 母とは異なる立場で自分を絶対に信頼してくれるクリアの存在が、幼いサファイアにとってどれだけ大きかったかは言うまでもない。
「昨日の夜、お水をもらいにきた時にアミルさんに会って」
「本人がそう言ってた?」
 不思議なことにクリアに対してはエメラルドの時に感じたような後ろめたさは出て来ず、冷静に話せた。確認するような相手の問いかけにこくっと頷くとクリアがふぅんと相槌を打つ。
 普段通りのその表情からは、アミルの言葉に対して何か感情を抱いた様子は読み取れない。
 サファイアと同じ歳、クリアから見ればかなり年下の少年の言葉に対して、特に感じることはないようで椅子の肘掛けに頬杖をついてぼんやりと言う。
「まぁ、そう出来るのならそうしてもらった方がいいけどね」
「そういえばアミルさんも、長引かせるのは良くないみたいなことを言ってたよ」
 クリアの言葉にアミルが言ったことを思い出して何となく教えたら、ばっと頬杖を外したクリアが少し焦ったような表情でサファイアの方を凝視した。突然の変化に吃驚している彼女に、恐る恐るといった様子で問いかけてくる。
「……それ、理由何か言ってた?」
「ううん。何も言ってなかったけど、聞いた方がよかった?」
「いやいいんだ。きっと大した理由とかないだろうから、いいよ」
 そう言いながらクリアが椅子の背もたれにぐったりと倒れ込む後ろから、セバスがそっとお茶を差し出している。湯気の立つそれを受け取って姿勢を戻しつつクリアはお茶を一気に飲み干して立ち上がった。
「そういうことなら僕はそっちで待ってようかな」
「あ、私も」
「いやサフは危ないかもなのでここで待ってて。セバスちゃん、片付けてるとこ悪いけどサフの相手お願いできる?」
 昨日と同じ理由を出してからセバスに話を振ったクリアに、新緑色の髪の青年は黙って頷いた。それを確認した後でクリアも部屋を出て行く。
 本当はついて行きたいけれど、危ないと言われてついて行くほど子どもにはなれない。それに勝手な行動は頼まれたセバスにも迷惑をかけるだろう。複雑な気持ちで見送っていたらお茶が差し出された。
 さっきのクリアと同じお茶がサファイアの前にも置かれる。
「魔術で審査しているからこそ、ああ仰っているのでしょう」
「うん……」
「リリアもアミルも、貴方に万が一があることを望んでいないですし、ご自身が魔術士だからこそクリア様はそれがよくお分かりなのでしょうね」
「うん、わかってるけど」
 優しく諭すような言葉に頷いてお茶を一口飲む。昨日の夜出されたものとは異なる、スッキリした感じの後味がして気分が少しだけ晴れた。状況に合わせてお茶を用意してくれているんだろうかと思いつつセバスを見上げたら、相変わらず感情の薄い表情をした青年と目が合った。
 その緑の目は母の色よりも明るくて、でも落ち着いていて。
 同じ緑のはずなのに全く違う印象だと思いつつ、そういえばと気になっていたことを問いかけてみる。
「セバスちゃんは、お母様のことをリリアって呼ぶんですね」
 少なくとも城ではそういう人はいなかった。エメラルドもリリアもどちらも名前ではあるけれど、サファイアの名前もそうであるように母をリリアと呼ぶ人間はいない。でもセバスは最初からリリアと呼んでいた気がする。それが不思議だと思って問えばセバスは特に悩む様子もなく言う。
「どちらで呼んでも構わないのですが、私にとってはリリアの方が馴染み深いので」
「お母様のこと、ご存知なんですか?」
 意外な回答に吃驚して身を乗り出したサファイアに対し、セバスは珍しく表情を見せた。僅かだったけれど悪戯っぽく微笑んで、なんでもないことのように教えてくれる。
「リリアが貴方よりもずっと小さな子どもの時から存じています」
「えぇ……そう、なんですね」
 ずっと一緒に暮らしてきたけれど、サファイアの周りでエメラルドの過去を知るものは殆どいたことがなかった。
 父は大人になってから出会ったというし、クリアはもう少し前だったらしいけれど、その二人ですらあまりエメラルドの昔を話してはくれない。母方の親戚など会ったこともないから、幼少時の思い出などを母以外から聞いたことはなかった。だからセバスは初めて会った母の子どもの頃を知る人になる。
 あの母の幼少時。
 興味がそそられない訳がない。
 好奇心に任せて教えてくれとねだるのは無作法だと思いつつも気になって仕方ないサファイアに、セバスは空いている席に腰を下ろした。サファイアの隣、さっきまでエメラルドが座っていた席。
「待っている間、昔話を聞いて頂けますか?」
「い、いいのかな……」
「我が子が己の昔話を聞くことを嫌がるほどリリアも狭量ではないでしょう。それでも怒られるならば、私と一緒に怒られてください」
 頷いたサファイアに、セバスは淡々と話し始めた。
 昔話にありがちな誇張も虚飾も、語り手の感情表現もない。それはまるでずっと傍観者だったかのように第三者視点で語られるものだったけれど、だからこそセバスの目に映っていただろう幼い母の姿が見えるようで、あっという間にサファイアは話に夢中になっていた。
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