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文字数 3,187文字

 用意された良い匂いのする暖かいお茶を一口飲むと、いつの間にか強張っていた体もほぐれるような気がした。
 長椅子に座ったサファイアの向かい、立ったままでアミルも同じお茶を飲んでいる。一人だけ座るのはと最初渋った彼女に対し、この部屋に椅子は一つしかないしセバスも座らないなら立つのは自分しかないだろうと冷静に説得してくる辺り、さすがあの母と会話出来るだけあるなぁと感心してしまった。
 なんとなく二人して黙ってお茶を飲んでいる間、セバスは何も飲まず黙って佇んでいる。
 普通なら気になりそうなのに、何故かセバスだとそうして立たれていても違和感がなく不思議と自然に思えてくるのだった。
 ほぅ、とお茶で温かくなった息を吐いたところで、先に飲み終わったらしいアミルが尋ねてくる。
「今日は、寝られそう?」
「え?」
 はっと顔を上げたら心配そうな赤紫の目にぶつかって、どうやらここまできた理由を見抜かれていたらしいと気づいて恥ずかしくなった。初めての場所ですぐ寝られないなんて子どもみたいだ。そしてそれを、いきなり自宅へ押しかけて来られた側のアミルに心配されるなんて、情けなくなる。
「私は大丈夫です」
 心配かけたくなくてそう返事したけれど、今ひとつ信じてもらえてないのは視線から明らかだ。
 でもあれこれと付け加えても白々しくなるような気がして、どうしようと思いながらサファイアは別の話題を探した。
「それよりも、アミルさんこそ大丈夫なのですか?」
「うん? 俺は別にここが自宅だし」
「いえそうじゃなくて……母の審査は終わらなかったみたいですけれど、無理されてないですか?」
 クリアから本人に直接確認してから考えるようにと言われた事。聞くなら審査も終わっていない今が一番良い機会なんじゃないだろうかと思い至って、訊いてみる。
 サファイアの言葉に絶句したように言葉を失っているアミルに対し、一度始めてしまった確認は止まらなかった。
「こちらの事情を押し付けるような形になってるのはわかってるんです。今更迷惑だって言い辛いとかもしあるなら、そういうのは飲み込まないで教えて欲しいし、私は迷惑をかけてまでお世話になるわけにいかないから。母様はあんな感じだけど私が本気でお願いしたら必ず止まってくれる人なので」
「待って。ちょっと待って。わかったから一度止まって?」
 話す言葉に段々熱が篭ってしまったのが伝わってしまったのか、片手を上げてアミルが制止した。言われた通りに話は止めたけれど気持ちは昂ぶったままじっと彼の方を見ていたら、上げた片手を額にやって少し考えた後で唸っている。
 それが深刻そうに見えて、やっぱり迷惑だったのだろうなと思い始めたら気持ちが落ち込んだ。
 ずっと見てるのも怖くなって手元に視線を落としかけ、別に視線を感じた。
 気になって顔を上げてみると、アミルの後ろ。ずっと黙っているセバスの明るい緑の目が、こちらを見ている。視線が合うとセバスはものすごく微かに笑って首を横に振った。どういう意味だろう、と気になってその顔をぽかんと見ていたら声が飛び込んでくる。
「あのさ。なんか思い詰めてるみたいだけど、俺は別にサファイアさんを迷惑だとは一度も思ってないから」
 アミルの言葉にはっとそちらを見たら、困ったように笑いながら彼は続けた。
「敢えて言えばエメラルドさんの方は迷惑だって何回も思ってるけどな。事情はわかったし、サファイアさんがそう考えても仕方ないってのも分かるけど、本当に全部迷惑だって思ってたら審査なんか受けてない」
「…………でも」
 何時間しても終わらないような審査まで受けて、この先七年もサファイア達を引き受けて。
 エメラルドは対価を用意したと言っていたけれど。
 どんなすごいものであったとしても彼の色々なものを奪うことに変わりはなく、迷惑じゃないと言われても俄かには信じられない。出会ったばかりの相手だから信じられないというのではなく、少なくともサファイアはこれまで自分の両親とクリア以外で利害を超えた優しさというものを感じたことがなかった。
 でもそんなことを相手に直接言うのがとても失礼な、それこそ相手の気持ちを踏みにじるような言葉だというのは分かる。
 何て言えば良いのかわからなくて言葉を止めた彼女にアミルは少し考えた後で、真面目な顔になった。
「じゃあ、そんなに気になるってなら。本当は言う気無かった事があるんだけど今言ってもいいか?」
「はい」
 やっぱり何かあるのだ。
 無意識に姿勢を正して言葉を待つサファイアにアミルが真顔で尋ねてくる。
「変な勘違いとか無しに言葉通りに受け取って答えて欲しいんだけど」
「はい」
「その、縁談の相手ってのは、サファイアさんの中で絶対にあり得ない、この先何年経とうが何があろうが、どうしても結婚とかしたくない相手ってことでいいのか?」
 言葉通りに受け取れと言われたから受け取ってみるものの、なんだかすごく悲しくなってしまった。
 改めて考えるまでもなくダイダルジニアの王子との結婚はありえない。今もそうだし、この先何年過ぎたって気持ちは変わらないだろうと思う。母が反対しているとか関係なく、彼女の中でそれは出来るだけ行き着くたくない嫌な未来だ。
 長い時間かけて向き合ってみれば違う側面が見えるのかもしれない。けれど、その長い時間が耐えられると思えない程度には一緒に過ごしたくない相手。だから結婚なんて無理だ。
 ただ悲しくなったのはそんな未来の可能性を思い出したからじゃなくて、アミルに異なる可能性があるかの確認をされたからだった。変な勘違いはしないようにと言われていても、そういう選択肢が選べないのかと求められている気がしてしまう。
「私は……」
 きっと質問の意図は違うと分かっていても、悲しい。でも答えようと、質問の答えをどうにか絞り出す。
「あの人は嫌です。お母様が嫌ってるとか関係なく、一回しか会った事ないんですけど、私を見るあの人の目は凄く嫌で。見られるのは慣れているんですけど、あの人の視線はそういうのと違って、まるで物を見てるみたいな感じで、怖くて、あの人と結婚とかすごく、嫌。こんなの、理由にもなってないって、わかってるんですけど」
「わかった。もう良いよ。嫌な事思い出させてごめんな。サファイアさんの気持ちはよく分かった」
 出来るだけ自分の気持ちを正しく伝えようとしてみたけれど、まるで子どもの言い訳のようになってしまった。話せば話すほどそれが情けなくて語尾が弱くなっていくサファイアの様子を見かねたようにアミルが止めてくれる。
 ほっとしながらも情けなさは消えなくてサファイアは項垂れた。
「すいません。王女としては間違ってるって自分でも分かってます」
「俺は皇国の人間じゃないしこの森はどこの国でもないから、王女様ってのがどうあるべきとか知らないけど」
 冷たくも聞こえる言い方なのに、声がひどく優しくて恐る恐る顔を上げたらアミルがその場に膝をついて座ろうとしている所だった。視線が合うとうっすら微笑んでくれる。それがついさっき見たセバスの笑う顔とよく似ていて、ぼんやりと見ていたらどう思ったのか面白そうにアミルが笑った。
「人間としちゃ間違ってないから、問題ないと思う」
「間違ってない、ですか?」
「一般的には結婚っていったら一生もんだろ。そんな相手をどうしてもどう考えても受け入れられないのに無理やり結婚させられそうになったら、逃げるにしろ戦うにしろ何かはする。何もしないってのは無理なんじゃないか?」
 だからそれでいいととあっさり言い切るアミルの言葉に、拍子抜けな気分になりつつも酷くほっとしてしまう。
 つられるようにふにゃっと笑ったサファイアを見たアミルがちょっと困ったように視線を彷徨わせたことは、残ったお茶を飲もうとした彼女には見えなかった。
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