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文字数 2,633文字

 その日の夕食にはアミルの姿があった。
 サファイアたちが来る前から食堂として使われている部屋にいたアミルは、三人が入ってきてもしばらく手元の本を読んでいた。セバスはそれを気にする様子もなく配膳を続けている。ただ周りを見ていない訳でもないようで、セバスが最後の皿を置き終わった辺りで誰に言われるでもなくぱたりと本を閉じて脇に置いていた。
 特に何か会話をするでもなく食事を始め、全員が終わった頃にエメラルドが口を開く。
「取り敢えず明日中にこの子達が住めるようにしてから私は帰るわ」
 サファイアを視線で示して話すエメラルドに、アミルがセバスから食後の飲み物を受け取りながら頷く。
「俺はそういうの詳しくないし好きにすれば良い。魔術書を捨てないならどこでも適当に移動させて良いし、部屋の模様替えも何か新しく家具とか入れるにしても好きにしていいから。俺が使ってないだけで昔の家具もどっかにあるし、その辺りもセバスに聞いてくれ」
「あと、これ」
 エメラルドが部屋に持ってきていた大きめの袋を食器のなくなった卓の上に乗せた。
 なんでもない動きでエメラルドの細腕に持ち上げられ卓に乗ったように見えたその袋だが、卓の上で響いたどさりという重い音でアミルが少し驚いたような顔をする。その中身が何か知っているサファイアとクリアは何も言わない。
 庭での話し合い後、夕食までずっとエメラルドがかかりきりになっていた成果である。
「何だよ」
「原書って訳にはいかないけど、私が作った写本よ。受け取りなさい」
 卓の上でぐいぐいと押し付けられた袋を受け取ったアミルが、ちらっと中を見て驚いた顔になった。その様子を満足げにエメラルドが観察している。
「貰えるもんは貰うけど。何冊あるんだ、これ」
「二十冊くらいかしら。これでもまだ一部なんだけどね。全部、この屋敷の中にはないものの筈よ?」
「……どこでそんな大量に読んでんだ……」
 言いながら中にある一冊を手に取りぺらぺらっと中を捲ったアミルは唐突にぱたっと本を閉じてエメラルドの方を凝視した。だがその強い視線に動じることなくエメラルドは発言を促すように挑発的な表情を見せている。仕方ないといった様子でアミルの方が呆れた声を上げた。
「なんつーもん読んでんだよアンタは」
「貴方に言われたくないわねぇ。貴方だってそこに魔術書があったら内容関係なく読むんでしょうに」
「そりゃそうなんだけど」
 納得のいかない表情をしつつも、袋を卓から下ろし自分の椅子の隣に置いたアミルにクリアが同情の眼差しを向けている。
 そのクリアといえばエメラルドが写本を作るその時に「貴方は私の弟子なんだから全部読むのよ?」とその場で全て読まされていた。自分の意見は言うけれど、基本的にクリアはエメラルドに逆らうことはない。昔サファイアがその理由を尋ねたら「逆らうほどの意見もないからね」と彼は困った顔で教えてくれた。
「一応それ全部、禁忌書庫の中から出るはずのない物だから、他の人には見えない場所に保管してね」
「だろうな」
 もう突っ込む気力もない様子でアミルが頷き、その返事に満足げな顔をしたエメラルドが朝と同様にセバスが用意していた花の砂糖漬けに手を伸ばす。話している間にセバスは全員に飲み物を配り終え、今はアミルの後ろに佇んでいた。特にそうすべき理由はなさそうだが、どうやらそこが一番落ち着くらしい。
 しばらく全員静かに飲み物に口をつけていたけれど、一人で半分以上砂糖漬けを食べてしまったエメラルドが満足そうに大きく息を吐いた後、セバスの方を見る。
「ねーセバス、この砂糖漬けお土産に貰ってもいいかしら?」
「ではこの後用意しておきます」
「ありがとー」
 嬉しそうに礼を言うエメラルドを見てから、アミルが背後のセバスを振り返った。
「セバスは何かこの人に対して心残りとかないのか? 大丈夫か?」
 その言葉から、どうやらアミルはセバスとエメラルドの関係を少しは知っているらしいとわかってサファイアは思わず彼と母の顔を交互に見てしまった。疑問を感じて以降この食事までの間、結局それを聞くような機会がなかったためサファイアはまだ何も知らないままだ。
 積極的に隠している様子はないけれど、娘であるサファイアですらエメラルドの過去や人間関係は知っていることが少ない。
 だからアミルが何か知っているのが少しだけ羨ましくなる。
「私と彼女はそのような、改めて会話が必要な関係ではありませんので大丈夫です」
 セバスの答えはそのまま受け取れば少し冷たく突き放しているようにも聞こえるものだった。
 けれどエメラルドの方は嬉しそうに頷いている。
「そーそー。貴方がサフにうっかり何かしても全部筒抜けちゃうくらいには私たち仲良いものねー」
 ごふごふっ、とアミルが激しく咳き込んだ。その背中をセバスが黙って撫でているが、エメラルドの発言を訂正する様子はない。どうやって連絡するんだろうなとサファイアが思っていると、呼吸を整えたアミルが少し赤い顔できっとエメラルドを睨みつけた。
「そういうっ! 根拠のない、人聞き悪いこと言うなっつーの」
「例え話よ。それともそういう予定あるの?」
「しねーよ!」
「そうよね。貴方はそういうトコ考えられる子だもんね」
 明らかに怒っているアミルの返答にも楽しそうに頷いて、しかしふっと表情を険しくするとエメラルドがクリアを見た。いきなり視線をよこされたクリアが不思議そうな顔をしているのを見ながら静かに語る。
「でも、本当に気をつけてね。サフ絡みで怒ったクリアは、私にだって止められないんだから」
 冗談の延長のようでいて、けれどあまりに静かな声は室内に突き刺さるみたいに広がった。
 何か言おうとしたクリアが何も言えず、サファイア自身も言うべき言葉が見つからない中、最初に音を発したのはアミルだった。ふーっと長い息を吐いた後で、誰の方にも目を向けないまま呟くように言う。
「予定なんかねーけど、覚えとくよ」
 さっきまでの怒りがすっかり消えた、真面目な声音。
 なんとなくアミルの方をじっと見てしまったサファイアの視線に気づいたのか、窓の方を見ていた目を食卓の方に戻してサファイアと視線が合うと、少し困ったように笑った。その笑った顔の意味はわからなくて、でも見ていたらちょっと気恥ずかしくなって視線を手元に落としてしまう。
「そこで納得されると僕が困るんですけども」
 途方にくれたようなクリアの言葉には、誰も答えなかった。
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