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文字数 2,723文字

 寝る準備も終わった夜更け。
 緊張しながらこんこんと扉を叩いて待っていたら、直ぐに驚いた顔のアミルが出てきた。彼の方も濡れた髪や服装から、風呂まで終わって寝る前であったのが分かる。昨日貰った布を肩にかけて立っているサファイアを見たアミルは少し動揺しつつも心配そうに尋ねてきた。
「どうした? 何かあったのか?」
 サファイアが少し緊張しているのが伝わっているのだろうか。こころなしか優しく声をかけられて、拒絶されたり怒られたりしなかった嬉しさと、こんな夜更けに会いにきた気恥ずかしさからちょっと笑いつつサファイアは頭を横に振る。
「何も。お部屋を見にきました。今、お邪魔してもいいですか?」
「俺はいいけど……親と一緒にいなくていいの? 早けりゃ明日にもいなくなるんだろうし。俺と話するのは今日じゃなくたって出来るんだから」
 予想していなかった返答だったのだろう、戸惑った様子で了承し、けれどこちらの事情を知っているからこそ気遣ってくれる言葉が続く。それは予想できていたサファイアはこくっと頷いた。
「母様には言ってからきてますよ。それに」
「それに?」
「親がいない時にこっそりお部屋に来る方が、すごく悪いことしてるみたいな感じしませんか?」
 実際はどうであれ、本当に見るだけなのだとしても、なんとなくそっちの方が後ろめたい感じがする。
 そう言うとアミルは一瞬驚いた顔をした後でぷっと吹き出した。そのままくすくすと肩を震わせて笑った後、扉を大きく開けて彼女を部屋の中へと手招きしてくれる。
「そういうことなら。どうぞ、適当に中に入って見て行って。面白いものなんか無いですが」
「おじゃま、します」
 ぺこっと入る前にお辞儀をした後、一歩踏み出した。
 部屋の中に入った瞬間にも慣れない匂いと空気感がして足を止めてしまう。その場でまずアミルの部屋をぐるっと端から眺めてみた。
 暖色の明かりが奥の方で灯っている為、中の様子を見るのは難しくない。
 サファイアが使わせてもらうことになった部屋と同じくらいか少し小さめに見える部屋の中は、壁一面が本棚の状態。そうだと知っていなければそれがアミルの部屋だとは気づけないかもしれない。奥には大きめの窓や寝台があったり、長椅子や文机などもあるけれど、それらの周りや上にも本が沢山置かれていた。
 あまりに本が床を覆っていて、歩ける場所は限られているようだ。但しはっきり動線が出来ているので、そんな状態でも日常が送れているのが分かる。
 文机の上には昼間エメラルドが渡した袋が乗っていた。
 よく見れば、明かりは魔術で作られたもののようだ。エメラルドやクリアがよく作っているので見た目で直ぐに分かる。
「別に面白いものなんか無いだろ?」
 扉は開けたままで部屋の奥に戻りながら、顔だけ振り返ったアミルがそう言って笑う。
 もう数歩前に進みながらサファイアはふるふるっと頭を振った。
 確かに、見えるものだけならば屋敷の他の部屋とあまり代わり映えのないものでしかない。でも、他の部屋ではあまりなかったアミルの生活感がこの部屋からは伝わってきて、だから全然違う場所に見える。
 本の隙間に置かれた椅子や、棒に掛けられている衣服。乱れた寝台に、書きかけの紙。知らない匂い。
 この屋敷の中で本当に彼が暮らしているんだなということが此処にきて初めて実感できて、途端にぶわぁっと緊張が全身を覆ったような気がした。何もしていないのに此処にいるだけで何だか悪いことをしているような気になってきて鼓動が変に乱れ始める。こんな感じは初めてで、サファイア自身戸惑ってしまった。
 動けない。
 前にも進めないけれど、後ろにも下がれなくて、唐突に揺れる細い橋の上に置かれたみたいだ。
「どうした?」
 彼女の変化に気づいたのか、不思議そうにアミルが首を傾げて問いかけてくる。
 けど、どうしたのかなんてサファイア自身も説明がつかない。自分で部屋にやってきたのに、自分で中に入ったのに、今更すごく緊張してるなんて、何故と問われても困る。
「サファイアさん?」
 返事がないサファイアの方にアミルが戻ってくる。
 目の前までやってきて顔を覗き込むように少し屈んだのが見えた瞬間、サファイアはびくっと全身震わせて肩にかけていた布を両手で持ち上げると顔を覆った。今、顔を見られるのが無性に恥ずかしいことに思えて仕方ない。
 突然の彼女の動きに目を瞠ったものの、アミルはそれ以上無理に覗き込もうとはして来ずに顔を上げた。
「ご、ごめんなさい……」
 心配してくれているだけなのに大げさな反応をしている自覚はあるので、思わずサファイアから謝罪が漏れる。
 それに対し苦笑してアミルは一歩離れた。
「いいよ。何か困ってるみたいだし。俺は離れてるから、飽きたら何時でも戻ればいい」
「あの、アミルさんは何も悪くないんですよ」
 夜に突然やって来た自分を嫌な顔せずに部屋へ入れてくれたのに、これじゃ本当に申し訳ない。
 そう思うものの動悸はまだ治らないし顔は赤い気がするしで、布で顔を隠したまま喋るサファイアにアミルは何か言おうとしたものの、困った様子で何度か言葉を飲み込んでいるようだった。言いたいことをぽんぽん口に出しているように見える人なのに、かと思えばそうやって言葉を選んでいることも多くて、きっとそれは周りのことを考えてのことだから本当に優しい人なんだなぁと思う。
 こんなわけのわからないことをしていたら嫌われそうだな、と思ったら緊張とは別に悲しくなった。
 普通にしなきゃと思うものの、なかなか落ち着かなくて、焦ると余計に情けなさから悲しくなる。
 思考が負の流れに入ろうとした辺りでぽつっとアミルの言葉が届いた。
「次からは、出来るだけ誰かと一緒に来た方がいいよ。セバスでもクリアさんでも」
「…………ですよね」
 その言葉に迷惑なんだなと落ち込みつつ返事をしたサファイアに、アミルは居心地悪そうに目を逸らしながら続ける。
「俺もどうやらサファイアさん相手じゃうっかりする事がありそうだからさ」
「………………はい?」
 うっかりって何がだろう。
 思わず顔をあげてぽかんと見てしまったら、ふいっと背中を向けたアミルは寝台の方へと行ってしまった。どうやら説明はして貰えそうにない。さっきまでものすごく緊張していたくせに、かなり離れてしまったのがわかったら寂しさを感じてしまって戸惑ってしまう。
 もうこれ以上この部屋にいる用事はないし会話もないのだからお礼を言って戻ればいいだけなのに、それが何だか物足りない。
 どうしようかと迷っていたサファイアは、その後部屋にセバスが彼女を呼びにやって来るまでその場でぐるぐると考え込んでいた。
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