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文字数 3,046文字

 セバスに案内されて向かった食事の席にアミルは出てこなくて、気にしたサファイアにセバスの語った話では彼は普段から主に自室で食べているからということだった。サファイアたちが食べている時もセバスだけは食事をしてなくて、セバスはどうするんだろうと思ったけれど問いかける前に青年は部屋を出て行ってしまった。
 もしかしたら他人と一緒には食べたくない人なのかもしれない。
 食事を終えた頃に見計らったかのように戻ってきたセバスが片付けをしたいと言って三人をやんわりと部屋から追い出す。
 手伝いますと言ったクリアも、こういうことは自分の好きなようにしたいのだと説明され丁寧に、けれどはっきりと断られた。
 追い出す際に宿泊はアミルがいる北側の方にある部屋以外は屋敷内のどこでもお好きなようにお使いくださいと説明され、何箇所かの客間の位置も教えられる。準備が出来ているという風呂の場所も教えて貰った。城内にある後宮の一画とはいえ私的な範囲が数部屋だけしかなかったサファイアたちの暮らしと比べれば、幾つもの客間があるこの屋敷がどれだけ広いかわかるというものだ。
 その中の二つの客間に母娘とクリアで分かれ、風呂に入った後にエメラルドは早々眠りについてしまった。
 普段ならまだ起きている時間だ。今日1日で相当疲れたのだろう。
 シギウスから次元の狭間に移動して、そこからさらにこの森に来て、審査までして。むしろよく此処まで普段通り振舞っていたものだと思いながらサファイアは眠っている母の体から落ちた毛布をかけ直した。
 彼女の方も疲れはあったものの、まだ眠気はこない。
 初めての場所だから落ち着かないのもあるし、今までの生活と全く異なるこれからが垣間見えることで気持ちが昂ぶっているのかもしれない。それでも布団に入って無理やり目を閉じれば夜は超えられそうだったけれど、どうしてもそんな気が起きなかった。
 落ち着くために水でも貰ってこよう。
 まだセバスが起きているかはわからないけれど、いなくても厨房から水を持ってくるくらいは出来る筈。場所も覚えている。
 そう決めてサファイアは母の眠っている部屋からそっと抜け出した。窓はたくさんあるけれど星明かりしか差し込まず薄暗い廊下をゆっくりと慎重に歩く。食事をとった部屋から客間まで一回歩いただけだが、あまり込み入った道ではなかったので迷う気はしなかった。
 長い廊下を進み、階段を降りた所で、目指す先に誰かがいる気配がしてほっとする。
 明かりの溢れるそこに片付けをしているかもしれないセバスがまだいるんだろうと思って少し早足になって近寄り、食事をとった部屋の向かい側にある部屋を覗き込んだ。
「あっ」
「ん?」
 確かに部屋の中にはセバスがいた。ただ、セバスだけでなくアミルもいて、思わず声を上げたサファイアの方を二人して振り返っている。アミルの赤紫の目が驚いたみたいに見開いたのが見えて、無意識にサファイアは一歩後退していた。もう寝る前だったこともあり、普段着より薄着になっていることが妙に恥ずかしい。
 部屋の中にいるアミルの方も昼間とは違う服になっていて、セバスは昼間と同じ格好だった。
 少し動揺した彼女をどう見たのか、すぐに柔らかい表情に変わったアミルの方が声をかけてくれる。
「どうしたのサファイアさん」
「えっと、あの、お水を貰いに」
 悪いことはしていない筈なのに落ち着かない気持ちで答えたら、アミルがセバスを見た。セバスが頷く。
「用意してきます。こちらでお待ちください」
「でも、器の場所や使い方を教えてもらえれば自分で用意できますから」
「お気持ちは受け取りますが、今はもう夜ですし覚えるにも不向きな時間でしょう。詳しい場所は明日以降、明るい時にお教え致しますので」
 そう言ってセバスが部屋から出て行く。
 青年の戻りを廊下で待っているのもおかしいだろうから数歩、部屋の中へ入ってみたけれどやっぱりどこか気恥ずかしくて落ち着かず視線をあちこちに向けていたら、不意にアミルが移動する気配がした。
 なんとなくそれに緊張して固まっていると、部屋に置かれている置物の上に置かれていた布を途中で持って目の前までやってくる。
「この部屋、いつも読書用に使ってる書斎みたいなもんなんだけど」
 アミルの言う通り、そこは食事をとったりするというより本を読む方が向いている部屋に見えた。大きく柔らかそうな長椅子と小さな文机以外は本が並び、少なくとも食事などの用途には向いてなさそうである。
「これはちゃんと洗濯されてるやつだから使って」
 ぱさっと布を広げて差し出してくる。見るからに柔らかそうな布は広げたら畳まれた見た目よりずっと大きくて、サファイア一人くらいはすっぽりと覆いそうな大きさをしていた。さっきまで畳まれていたのに、広がった状態では折り目が目立たない。言われるままに受け取りつつ、自分はそんな寒そうに見えただろうかと思う。
 布を差し出したものの視線の合わないアミルの前で布を肩から羽織ったら、滑らかな布の生地と共に暖かさを感じてほっとした。気づかなかっただけで本当は肌寒かったのかもしれない。
 胸の前で布を寄せて両手で握ると不思議に気持ちが落ち着いた。
「ありがとうございます」
 体が暖かくなったことでなんとなく安堵しながらお礼を伝えたら、やっと視線が合ったアミルも何処か安堵した顔で頷く。
「変なこと言いたくないけど、あの。この家、案外年中冷えてるから。この時期の夜に薄着はあんまり勧めない」
「わかりました。気をつけますね」
「いや……うん。そうして」
 何かを言いかけて、でも結局何も言わずにアミルは同意する。
 彼のその様子から自分と同じように落ち着かない感じが伝わってきたけれど、それでも迷惑に思われている訳ではないらしいのも伝わってくる。少なくとも、会話が止まってもアミルは離れて行こうとはせず、時々困ったみたいに視線を彷徨わすけれど此方を気にしてもいて、早く去ってほしいという態度には見えなかった。
 セバスに此処で待ってほしいと言われたのもあるから、サファイアは自分から此処を去れない。
「座って待つなら、そこ使っていいから」
「アミルさんは?」
 長椅子を指し示されて反射的に訊いて、けれど気になって尋ねてしまったら、ハッと何かに気づいた様子でアミルが苦笑する。
「あ、俺が一緒にいる必要は無かったな。じゃあ」
 そう言って立ち去りかけた彼の服の裾を思わず握っていた。ぴんっと張った服の異変に気づいたアミルが足を止め、驚きと戸惑いを綯い交ぜにした表情で首を傾げる。
「サファイアさん?」
「あ、の。私……」
 無意識の行動だったから上手く理由が説明出来ない。それどころか、こうやって引き止めたこと自体が相手にとって迷惑だったのではないかとすぐに思い始めて、後悔が強く湧き上がってくる。何をしているんだろうと思い始めたら動揺してしまい、ぱっと握っていた手を離した。
 謝ろうとしたその時、部屋にセバスが戻ってくる。
 単に水を持って戻ってきただけなら漂わないはずの柔らかい匂いに惹かれるようにそちらを見たら、青年は水差しとは別に茶器を盆に載せていた。
「差し出がましいかと思いましたが、良ければ此処で一杯どうかと思いまして」
 如何ですか? と優しい声で尋ねられ、考える前にサファイアは頷いていた。
「アミルにも用意してありますよ」
 続けてセバスが付け加え、アミルも同じく頷いている。それを見て何故かほっとしてしまった。
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