18

文字数 2,086文字

 しばらくして部屋に帰ってきたクリアは片手にエメラルドを引きずっていた。
「ちょっとサフ、貴方もこの子に言ってやってよぉ。良いとこで邪魔しにくるんだもの!」
 娘を確認した瞬間に弟子の手を振り払って駆け寄ってくるエメラルドは元気そうで、何時間も審査をしていたとは思えない程だ。どうやら止められたことがまだ納得出来てないのか不満そうな表情をしているエメラルドに対し、サファイアは窓の外を指し示す。
「でもお母様。もう夜になるのに続けるのは良くないと思うの。それで審査になるの?」
 さっきよりも暗くなった空。
 そちらをちらっと見て、仕方なさそうにエメラルドはサファイアの隣に腰を下ろした。
「貴方までそう言うなら仕方ないわね。まぁいいわ。続きは明日するんだから」
「ご飯ができたら呼ぶって、セバスちゃんが言ってたよ」
 母娘から離れた椅子に座りながらクリアが教えてくれる。戻ってくる途中で新緑色の髪の青年に会ったのだろう。本人に頼まれた通りに呼ぶクリアをエメラルドがちらっと見て微かに笑ったけれど何も言わなかった。
 うーんと唸ってクリアが続ける。
「ただ、普通にご馳走になる前提でしたけど、これからお世話になることを考えてもお礼の用意は必要ですよね」
「そうだよね」
 サファイアもそれには賛成だ。
 けれど一国の王女とはいえ自分の自由になる財産なんかあまり持たない彼女は、現金だろうが宝石だろうが数年間お世話になる対価になりそうなお礼など持ち合わせない。今すぐ一括で払えないにしたって今後何もしないという訳にはいかないだろう。クリアと同じように考え込んだサファイアだが、エメラルドの方はそうでもなかった。
「それは大丈夫よ」
「え、お母様。でも」
 あっさり断言するエメラルドだけど、王妃であっても資産状況が変わる訳ではない。結婚する前からの隠し資産を持っている可能性もあるけれど、皇国の王妃としてのエメラルドには自由に使える資産はあまりなかったはずだ。実際、日々の言動の派手さで周囲には伝わりにくいものの、エメラルドは他の王妃に比べかなり質素な暮らしをしていた。
 仮に隠し資産があったとしても、自分の問題なのに母に無理をさせたくない。
 戸惑いながら言葉に詰まるサファイアに、エメラルドはにこっと微笑むと人差し指を立てた。
「お金じゃないけど、アミルが一番喜ぶ贈り物の用意は出来てるから。っていうかお金は多分受け取ってもらえないと思うけど、そっちならあの子が受け取らない選択肢はないから問題ないわ」
「いつの間にそこまで……」
 いつだって何だって先読みしているかのようなエメラルドとはいえ、今日会ったばかりの相手が受け取らざるを得ない贈り物を用意してるというのは異常すぎるのだろう。呆れた様子のクリアに、エメラルドは立てた指を周りに流す。
 所狭しと本が並ぶ部屋の中へ。
「っていうか、貴方だって簡単に想像つくんじゃない?」
「まさか魔術書、とか」
「ここに入った時のあの子の様子からしても、単に過去の屋敷の持ち主が収集した大量の本って扱いじゃなかったでしょう。写本であっても此処にない貴重で希少な魔術書ならきっと受け取ると思うわ」
「といっても師匠。これだけある中で、まだこの屋敷にない魔術書っていう条件が厳しいんじゃ。全部確認するんですか?」
「まっさかー。私が用意出来るのは『確実に世間で出回ってない魔術書』だから、そんな確認不要だし?」
「……………………ちょっとお師匠様。それまさか」
 自信満々に言うエメラルドの様子にさぁっとクリアが青褪めた。
 そんな弟子の様子など気にとめる風もなくエメラルドは微笑んで椅子に頬杖をつき、言う。
「逆に禁忌書庫の中身が一つでも既に此処にあったら、そっちの方が問題じゃないかしら?」
「師匠がそれを知ってることだって問題じゃないですか」
「やーねぇ? あそこの常識を踏まえれば、学生程度が気まぐれに閲覧できちゃう程度の封印してる方が悪いのよぉ」
「そんなん気まぐれに覗けたのは師匠だけだと思いますけど」
「うふふふ」
 青い顔で言い募るクリアに動じることなくエメラルドは楽しげに笑った。あれこれ言ったクリアはそれ以上何か言う気も起きなかったのか、沈痛な面持ちでため息をつく。
 サファイアには今の二人の会話の意味は全くわからないけれど、恐らく自分が生まれる前、母とクリアがいた場所に関する内容なのだろう。禁忌書庫という響きは恐ろしいけれど、この母をして隠されている場所を覗かない選択肢がないだろうことは娘として簡単に想像がつく。
 皇国の城内ですら、エメラルドは知らない場所がないと言って憚らないくらいなのだから。
 極めて有能な魔術士であるらしいエメラルドの前では、多くの封印や密室に意味はない。
「その魔術書はアミルに渡して迷惑をかけたりしない?」
 サファイアが気にするのはむしろこの部分だったが、エメラルドは「勿論よ」と頷いた。
 それならいいと思っていたら、部屋の扉がこんこんと叩かれる。
「お食事が出来ましたので皆様お越しを」
 扉を開けないままでセバスの声が響き、三人はすぐに立ち上がった。
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