22

文字数 2,766文字

 ものすごく長い沈黙の時間。
 優しい香りと味のお茶のお陰だろうか、ゆっくりと眠気がこみ上げてきたけれどここで眠ってしまう訳にはいかず、かといって会話途中のような気がするのに自分都合で中座するのも失礼な気がしてサファイアは相手が動くのをじっと待っていた。こちらに背中を向けたままの茶色い後ろ頭をぼんやりと見ていたら、しばらくして片手で頭を掻いた後にアミルがまた振り返る。
 かなり時間が過ぎたからだろう、もう顔は赤くない。
 それまでと比べ落ち着いた様子でアミルは空になっている茶碗を片手で弄びながら言う。
「まぁ大体わかったし、早いうちにこうやって話ができてよかった」
「そう、ですか。なら私も良かったです」
「うん。サファイアさんが色んな意味で迂闊な人だってのが理解出来た」
 その遠回しな物言いに、ん? と首を傾げた彼女を見て苦笑しながらアミルが立ち上がる。彼が持っていた椀をセバスに渡しているのを見ながらサファイアも椅子から立ち上がった。
「水を取りに来たんだよな。ついでに部屋までセバスに送ってもらえば良い。まだこの家の中にも慣れてないだろうし」
「大丈夫ですよ? セバスちゃんの手間を増やさなくても、私、一人で戻れると思います」
 小さな子どもではないのだから、来た道を戻ることくらいはどうにかなる筈。サファイアが来た時からここにいたということはまだ何か用事が残っていたのだろうから邪魔はしたくない。そう思って丁重に断ろうとしたけれど、アミルの方は小さく頭を横に振ってくる。
「いやサファイアさんだけの問題じゃなくて、廊下はそんな明るくないし物は多いし、俺が心配なんだよ。かといって俺に部屋まで送られるよりはセバスの方がいいだろうから」
「私はそんな」
 もし送ってもらうとしてもアミルよりセバスがいいなんて思っていない。
 そう言いかけた彼女を制止するように片手を上げて、小さなため息を零しながらアミルが告げる。
「そんなこと言えちゃうあたりが迂闊だって話。まぁ、俺は嫌いじゃないけど」
 呆れてる、或いは諦めてるみたいな表情をして言っている割に、本人の言葉通り嫌そうにも見えなかった。何を指して迂闊だと言われているのか分からずに困るサファイアに彼はそれ以上説明をすることなく、セバスの方を見て「じゃあ頼むな」と声をかけている。
「お任せを」
 セバスが頷いて、待つみたいにサファイアの方を見た。
 確かにもう眠いし部屋に戻るべきなのだろう。分かっているけれど、意味のわからない部分を残してこのまま会話を終えてもいいんだろうか。そんな戸惑いを抱いて躊躇した彼女の気持ちを察したのか、アミルが手招きをしてくる。
「話なら今じゃなくても明日以降好きなだけ出来るようになるから、今日はもう寝た方がいい。それに、サファイアさんはもっと大事にすべき時間が先にあるだろ?」
「大事にすべき時間?」
「明日で審査が終わるんだから、予定通りなら近いうちに貴方の母親は一人皇国に戻る事になる。その後は短くても七年間、簡単には会えなくなる。その覚悟がもう出来てるようには見えないんだけど」
「…………っ!」
 情けない話だったけれど、言われてから気がついた。
 生まれてからずっと後宮という普通とは少し異なる場所だったけれど一緒に暮らしてきた母と、後少しで長い別離がやってくるという指摘にサファイアの心の一部がさぁっと冷える。いや、ここまで聞いてきた話で理解しているつもりではあったけれど、アミルの言う通り、覚悟はまだ出来ていなかったのだ。
 審査後にエメラルドがどれくらいここに滞在するかも聞いていないが、皇国ですべきことがあると言っていた。恐らく長い日数ではないだろう。
 そして七年間サファイアが失踪するということは、皇国にいる母の元にだってその存在を示唆する連絡などは堂々と出来ないということ。まず会うことは出来なくなるだろう。
 だから母と過ごす時間は後少しだけしかなく、それが終われば顔も見れない長い別離が始まる。
 愕然と立ち尽くして考える程に心細くなって青褪めていくサファイアに手招きしていたアミルの方が焦った顔になった。
「いや、あの、絶対会えないという訳じゃないし、永遠にお別れって訳でもないから、な? ただ、毎日会うとかは無理になるから、一緒に居られる今を優先した方がみたいな話で」
「はい……わかり、ました」
「あー。ごめんな。俺の言い方も悪かったと思うし。あんまり思い詰めないでくれ」
「いえ、教えて頂けて良かったです。ありがとうございます」
 アミルの言葉は正しく、何一つ責めるべき部分はなかった。だから彼が謝る必要なんかない。
 どうにか持ち直してお礼を伝えたサファイアに対し、物凄く困った様子のアミルが視線を彷徨わせ頭を掻き、そして数歩前に進むと彼女の目の前までやってきた。どうしたのだろうかとじっと顔を見上げたサファイアの視線を受けて少し眉尻を下げると、小さな声で囁くみたいに話しかけてくる。
「明日の審査はすぐ終わらせるから、空いた時間で覚悟を決めればいいよ。まさか終わってすぐ帰るってこともないだろうし」
「すぐ、って」
 今日あんなに時間がかかっていて、結局クリアが中断させたようなものだったのに。
 しかもその物言いでは審査を通る気満々のようだ。
 不思議に思いつつアミルの顔を見るけれど、決して慰めに適当な言葉を吐いているようには見えない。サファイアの視線にアミルは複雑そうな顔で笑った。
「そもそも長引かせるのもよくないみたいだしな。こっちとしても完全に腹は決まったし、明日は今日みたいにはならない」
「私、審査に通った人、見たことないんですけど、大丈夫なんですか?」
 クリアが来てからは審査の担当はクリアだったけれど、それですら誰一人通っていない。ましてクリアよりも厳しい(とクリア自身が常々断言している)エメラルド相手に、申し訳ないけれど簡単には信じられない。恐る恐る尋ねたサファイアに一瞬ぽかんとした顔になった後でアミルはまた違った笑いを見せた。
 自信に満ちたその表情に思わず目を奪われていると、肩を押されるようにしてセバスの方へと移動させられてしまう。
 乱暴ではないけれど拒絶も許さない程度に強い力でセバスの前に来た彼女は、肩からその手が離れた瞬間、反射的に顔だけ振り返っていた。
「俺も出来ない約束はしないから大丈夫。じゃあ、おやすみ」
 振り返った先で見送るみたいに手を振られ、セバスにも促すように背中を押されて彼女は部屋を後にした。
 おやすみなさいと返事をし忘れた事に気がついたのは、エメラルドの眠っている部屋まで案内され持ってきた水を置いたセバスが退出したその後のこと。
 無意識に触れられた肩に手をやりつつ、静かな母の寝息を聞きながらサファイアは小さく息を零した。
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