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文字数 2,998文字

 翌日の朝からエメラルドは絶好調だった。
 全員が揃った朝食が終わった後、有無を言わさずクリアを引っ張り、ついでにアミルも引っ張って(セバスは引っ張るまでもなくついてきた)屋敷の二階にある部屋の一つに連れ立って向かう。その日までサファイアと一緒に寝泊まりしていた部屋とは別の、窓の外に広めの露台がある部屋に入ってすぐ宣言した。
「此処をサフの部屋にしたいんだけど!」
「別にどこ使っても良いって言ったろ……サファイアさんが良ければ、それでいいよ」
 提案に対し少しげんなりした様子でアミルが言い、ちらりとサファイアの方を見た。その目は彼女自身の意志を確認したそうに揺れていて、それを受けてサファイアはこくっと頷いた。
 元からどこの部屋にしたいという個人的な希望は無かったし、見た感じ良さそうな部屋なので彼女としては此処で構わない。サファイアとエメラルドの好みは似ている部分が多いので、母が気に入ったもので彼女が気に食わないということは過去に起きたことがまだなく、今回もそうだった。
 ゆっくり見回しても自分一人が使わせてもらうには十分すぎる広さがある部屋だし、窓の外の景色も綺麗で日当たりが良く、たくさん置かれている本があっても尚、毎日を過ごすには問題なさそうに見える。
 サファイアの返事を見ていたエメラルドが腕組みをして頷いた。
「ってことで、全員で片付けと掃除ね」
「え、俺もか!?」
 此処まで連れてこられて予想はしていたのだろうが不服そうにアミルが答えるのに対し、腕組みしたままエメラルドがじとっと睨む。
「当たり前でしょうが。で、此処が終わったら次はクリアの部屋もだから」
「師匠、僕は自分で出来ますし」
「だーめーでーす。貴方ってばそう言って、放っといたら結局何もしないで本に埋もれながら暮らしそうだもの」
 まさか自分までといった顔で辞退しようとしたクリアに対してもエメラルドはじとっとした視線を向けた。
 後宮にあるクリアの自室、特に彼が後宮に来てからしばらくの間のその部屋の状態を覚えているサファイアには何も弁護ができず、クリア自身も諦めたような顔で肩を落としている。サファイアに対しては躾をする立場もあってか整理整頓を欠かさない人だが、自分だけが使う場所に関してはかなり適当というか無頓着なのがクリアの性分だ。最初から散らかっている場所で、何も思わずそのまま生活が出来る程度の無頓着さを持ち合わせている。
 その悪癖を知っているエメラルドが黙っている訳も無い。当時も見かねて、かなり強引に片付けを開始していた記憶がある。
 そうして始めた部屋の片付けと掃除は、二部屋合わせて日暮れまで続いた。
 部屋中にあった本は他の部屋に移されてサファイアの部屋は屋敷の他の部屋に比べるとさっぱりした状態になり、クリアの部屋は本を全部出した訳ではないもののかなりこざっぱりした状態になったのを見て、やっとエメラルドは満足したらしかった。
「部屋はこれくらいで許してあげるわ」
「…………そりゃ良かった」
 疲れた顔でアミルが答えている奥では、同じく疲れた顔をしているクリアがセバスにもらった布を寝床に掛けている。
 サファイアと比べ力仕事の多くを担当した男二人はかなり疲れ切っている様子だったが、セバスだけは普段と変わらない表情で一礼をするとクリアの部屋を出て行った。それを見送ってからエメラルドがアミルとクリアを見て呆れたように声を掛ける。
「貴方達、若いのに体力なさすぎじゃない?」
「魔術士としては標準だと思いますけど」
 寝床を整えたクリアがそれに対し冷静に答えているけれど、エメラルドはフンッと鼻で笑った。
「目標は低い位置に定めちゃ駄目だって昔から言ってるでしょうが」
 それに対し苦笑いしただけで何も言わないクリアは、昔からこういう会話を何度もしている。サファイアも幼い頃から何度か見てきたこの光景を、後何年かは見られなくなるのだと思うと不意に寂しさを思い出した。
「サフ、クリアの部屋は今まで通り貴方が確認してあげてね。どーせ放っておくとまた適当にするんだから」
 言っても中々直らない弟子の悪癖を、娘を使ってでも矯正してきたエメラルドの言葉に彼女は頷く。
 別に彼の部屋で何かを見たからってエメラルドに告げ口したりはしないのだけど、サファイアが定期的に顔を覗かせるだけでもクリアの部屋の荒れ具合が全く変わってくるのだから仕方ない。本人は荒らしているつもりがなく本当に興味がないだけらしいけれど、寝起きくらいは整った部屋でしてほしいとサファイアも思う。
 それを確認してからエメラルドはアミルの方も見ると目を細めた。
「貴方も、結構駄目な部屋になってそうよねぇ」
「余計なお世話だけど、勝手に入られて困る程でもねーよ」
「年頃の男子としてそう言い切っちゃえるのもそれはそれで不健康ねつまんないわ」
「何期待してたんだアンタは」
 呆れた顔でエメラルドを見ているアミルだが、サファイアが気になったのは彼の発言内容の方だった。
 生まれてから今までサファイアは他人が暮らしている部屋というものを見たことが殆どない。彼女の中でクリアは他人という位置付けにいないから別にして、それ以外で誰かが日常で暮らしている部屋というものを見る機会など無かった。だからアミルの部屋に対して、未知のものに対する好奇心が疼く。
 特別珍しい何かがあるとは思ってないけれど、見てみたい。
 そんな期待が顔に出てしまったのだろうか。
 視線が合ったアミルが面白そうな顔で笑って片手を振った。
「気になるなら、何時でも来れば? 別に俺がいない時でも入って良いし」
「いいんですか?」
「さっき言っただろ。勝手に入られて困ることはないって」
 好きにしなよと言われて有り難くそうさせてもらおうと頷いた。初めて見る他人の部屋。しかも年頃の男の子の部屋。ちょっとわくわくする。
 二人の会話を聞いていたエメラルドが大げさにふらついた演技をすると、よろよろと進んでクリアの側に大げさに倒れこむ振りをしながら座り込んだ。今度は何だと言いたげな弟子に対して大げさに嘆いてみせる。
「ねぇ聞いた? あの子達、母親の目の前で逢引の約束なんかして!」
「むしろ親の前で言える程度には健全な約束に聞こえましたけど」
「私が見れないとこで面白いことが起こりそうのが残念すぎるわぁ戻りたくないわぁぁ」
 よよよよと泣く振りをしているエメラルドにアミルが怒鳴った。
「な、に、も! 起きねーからな!」
「うちの子にはそんな魅力がないって言うのかしら?」
「アンタ本当どうして欲しいんだよ」
「それは貴方達次第よ」
 げんなりした顔で項垂れるアミルに対してそう言って、エメラルドは娘に向かって微笑んだ。
 幼い頃から教育であってもエメラルドに何かを制限されたり命令されたりといった経験はあまりない。どんな事でも母は意見こそ言うものの基本的には応援してくれるし、滅多に(或いは意味なく)反対しては来ない。例え失敗が分かっていることだとしても一度は自分でやらせてくれる。
 だからこんな風に言っていても、行ってはいけないと言いたいのではない。
 そうわかっているサファイアは良いけれど不慣れなアミルからすればエメラルドの物言いは面倒臭いものだろう。
「母様、程々にしてくださいね」
 一応釘を刺せば「えー」と言いつつもエメラルドは反論しては来なかった。
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