第2幕・セルゲイ

文字数 1,264文字

 セルゲイは悪夢にうなされていた。
 テレビ,新聞,ネットニュース,SNSなど,あらゆるメディアは,一人の少女の話題で持ちきりだ。眩いライト,無数のフラッシュの中に,その少女は優雅な微笑みを浮かべ,時には,はにかみながら記者からの質問に答えていた。しかし,セルゲイにはその声は聞こえない。その顔は見えない。しかし,その面影は知っている。
 セルゲイは『止めろ!止めろ!!』と少女に叫ぶが,彼女には届かない。
 そして彼女は,セルゲイに微笑みかけた後,こう言った「私は,神にも解けない暗号があることを証明しました」。そして,一息入れていて,「神は世界を創造したかもしれませんが,決して全能ではないことが証明されたのです」。そして,目を閉じた後,「絶対神は存在しないのです」と,世界に対して高らかに宣言した。
 それを聞いた瞬間,セルゲイの足元の地面は崩れてゆく,ガラガラと音を立てて。そして,宙に浮いたセルゲイは,遠くにいる彼女に対して手を伸ばして,彼女の名前を叫ぶ。しかし,セルゲイは彼女の名前がわからない。しかし,夢の中で,セルゲイは確かに彼女の名前を叫んでいた。そして,セルゲイは闇の中に落ちてゆく。彼の見上げた先には,光の中に少女が佇み,愛おしい微笑みを浮かべていた。

 2019年12月25日,セルゲイは悪夢から帰還した。まるで,真夏の日のように全身を汗で濡らして。
 寝室を見回せば,カーテンの隙間から冬のぬるい朝陽が差し込んでいた。小さく息吐く。すると,キッチンから小気味良い包丁の音と味噌スープの香りが寝室に届いていることに気が付いた。隣で寝ていた結菜は,すでに起き,朝食の準備をしているらしい。セルゲイは右手で顔を覆い,大きく息を吐き,新しい朝を迎えられたことを神に感謝した。寝室の床には,一週間前にプレプリント投稿サイトに公表された論文のプリントが散らばっていた。その論文の筆者は,ニーチェ。そのタイトルは,P≠NP問題の完全解法。

 ここは,大岡山にほど近いマンション。
 セルゲイは,宗教が麻薬とされた旧ソ連に生まれた。少年時代,彼は全知全能の父にソ連の崩壊を願った。そして,その時は訪れた。彼は,大いなる父が存在を確信し,その信仰を深め,ついには東方正教会の希望の一人となった。
 2000年のあの日,忌々しいテロリストどもの宣言をセルゲイはテレビニュースで知った。
 そして,彼は連合軍司令部要員に選抜され来日した。日本に司令部が置かれたのは宗教的に中立なためである。
 セルゲイは,来日当初,作戦はイージーなものであり,直ぐに帰国できると考えていた。教会連合軍の組織とその資金力を鑑みれば,それは当然であった。しかし,現実は甘くなかった。彼は打ちのめされた。
 そんな時,セルゲイはニコライ堂の復活祭で結菜と出会った。セルゲイの一目惚れだった。そして,結菜と結婚し,セルゲイは高坂の姓を名乗ることになった。その2年後,杏を授かった。
 そして,2015年。セルゲイは連合軍最高司令長官になった。
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