第20幕・歓喜の歌

文字数 1,791文字

 12月30日,セルゲイは彼の書斎のチェアーで,ベートーヴェンの第九をヘッドホンで聞きながら,ニーチェについて考えていた。

 なぜ,彼(もしくは彼女)はニーチェという偽名を騙った?

 世間に騒がれたくない事情があったのか,それともデカルトやコペルニクスのような理由があったのか?天才にありがちな幼稚ないたずら心からか?
 分からない,どれもこれも憶測でしかない。
 ある意味,欺瞞情報でもある。これに振り回されるわけにはいかない。
 ただ,いずれニーチェの正体が分かれば,偽名を騙った理由は判明する。
 個人的には興味はあるが,任務を遂行する上では偽名を騙った理由を明らかにすることは最優先課題ではない。

 では,なぜ論文のタイトルが「P≠NP問題の完全解法」で「P≠NPの証明」ではないのか?

 もし,俺がニーチェならば,世界に向けてP≠NPの証明を宣言する。
 その方が,世界に向けて,神にも解けない暗号があることを証明したと宣言することができる。それは,実用上の時間で解読できない暗号を開発できることを意味する。
 現在開発中の量子コンピュータをもってしてもだ。
 社会に対する貢献やインパクトを鑑みれば,「完全解法」ではなく,「証明」とすべきだ。
 しかし,ニーチェは,あえて「完全解法」と宣言した。
 ニーチェにとっては,P≠NPの証明は,パズルの一つだったとでも言うのか?
 もしそうならば,あのオイラーやリーマンを超える天才だ。

 ならば,そんな天才が,なぜ,第一の論文が否定されていないにも関わらず,補足のような第二の論文を発表したのか?

 漣が指摘したように,ニーチェの論文で検証が必要な個所があるとしたら,有限問題の多項式の時間の判定を確率統計で定式化したことと,極限を利用してそれをNPとP問題に展開した点だ。
 しかし,ニーチェの論文は,説明が不足しているだけで,そのプロセスを否定する論文はあの時点では発表されていない。
 ポアンカレ予想の時と同様に,それは,ニーチェにとっては自明なことだったのではないか?
 なぜ,あのタイミングであの論文を発表した?
 ニーチェは,誰かに論文の説明不足を指摘されたのか?
 だから,第二の論文を,第一の論文の発表から1月も満たないタイミングで発表したのか?

 では,仮に,我々の知らないところで,ニーチェが誰かに論文の説明不足を指摘されたとしよう。
 そして,補足論文の執筆を始めたとする。
 その際に,NP完全問題を取り上げるのは理解できる。なぜなら,極めて具体的な例題でもあり,証明過程の説明を補足することも容易だからだ。
 
 しかし,なぜ,第二の論文で,NP完全問題の内,数独を取り上げた?

 確かに,2006年からWorld Sudoku Championshipが開催され,世界的にも数独は認知されてきているが,マイナーな存在だ。
 むしろ,巡回セールスマン問題を取り上げた方が,社会的なインパクトは大きいはず。
 この点から考えても,ニーチェは,功名心には関心がないことが分かる。
 第一の論文のタイトルを「証明」ではなく「完全解法」としたニーチェにとっては,第二の論文も「パズルが解けた」と宣言しているだけと仮定すると,これまでのニーチェの行動の説明がつく。
 ニーチェの論文には,特有の日本語とロシア語の訛りがあることが確認されている。
 仮に,ニーチェが日本人もしくはロシア人だとすれば,ニーチェは日本人だろう。なぜなら,第二の論文で数独を取り上げたからだ。
 日本では,数独は,新聞や雑誌などに頻繁に取り上げられ,書籍にもなっており愛好者が多いからだ。

 では,ニーチェは次に何をする?

 やはり,ニーチェにとってのパズルの解法に取り組むのではないか?
 では,そのテーマは何か?
 ニーチェほどの天才が憑りつかれるパズルは,やはり,ミレミアム問題,それもナビエ・ストークス方程式の解の存在とみた。
 「解の存在」というクイズにも似た問いかけに,ニーチェが目を付けないはずがない。

 気づくと,聴いていた第九は合唱が終わろうとしていた。

『君達はひれ伏すか,低く,幾百万の人々よ。想うか汝,創造主を世界よ。もとめよ,彼を星空の上に,星々の上に彼が住んでいるに違いない』と
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み