第10幕・漣,杏を考察する

文字数 1,096文字

 杏から解放された漣は,憔悴した雰囲気を醸しながら自宅へ歩を進めていた。その様はおよそ腹ごなしの散歩からは程遠いものだった。

 トボトボと歩きながら,漣は,つれづれと

 相変わらず杏は理不尽だなぁ~。
 夕飯前にお寿司をちょっと食べただけで,なぜ小一時間も詰問を受けなければならない。
 たしかに杏と母さんの仲は良いけど,あれはないんじゃないかぁ。
 それとセルゲイおじさん,いつの間にかミシェルさんと居なくなっていたしなぁ,酷いよなぁ~。

 などと考えていた。

 そんな時,ふと杏とのやり取りを思い出した。

 杏は腰に両手を当てながら,少し向きになった表情で「ニーチェの解法のどこに問題があるのよ。具体的に言ってみなさいよ。」と漣に対して問いかけてきた。

 普段なら蛇に睨まれた蛙になる漣だったが事は数学の論争である。
 漣は毅然と,「お前,あの論文をちゃんと読んだのか?どう考えたって,有限問題の多項式の時間の判定を確率統計で定式化したところと,極限を利用してそれをNPとP問題に展開した個所については,説明が不足している。自明な定理を利用していない以上,もう少し丁寧な説明が必要だろ。誰も考えたことが無い事なんだから。
 例えば,数独のように具体的な例題があるNP完全問題を対象に,有限問題の多項式の時間の判定を確率統計で定式化できることと,極限を利用してそれをNP問題に展開できることが示されれば,ニーチェの解法の正しさを補強できるんじゃないか?」と答えた。

 それを聞いた杏は,ぽん!と手を打った。そして,

 「おおぉ!(^o^)」
 「あんた頭良いわねぇ(#^.^#)」

 と心底関心しながら頷いた。

 そんな杏を見ながら,漣は,「ところで,お前,P≠NPの研究をしていたのか?」と問いかけた。

 それに対して,杏は,「別に。」と言いながら,自分の鼻の頭を指で掻いていた。

 杏のしぐさを見て,漣は,杏が何か隠していることに気づいた。

 杏は隠し事をしているときに鼻の頭を指で掻く癖があるからなぁ。
 まさか,杏がニーチェ?
 それは無いな。確かに杏は数学が好きで,数学の論文をよく読んでいたけど,もっぱら母さんの影響を受けて,実用数学,特に確率統計分野ばかりだったからなぁ。
 そういえば,オイラーは元気かなぁ。あいつ,俺に懐いていたからなぁ。久しぶりに,オイラーの好物を持って会いにいくかぁ。

 そんなこんなを考えながら歩いていたら,いつの間にか家に着いていたことに漣は少し驚いた。なんだかんだ言って40分近く杏のことを考えていた自分を発見して。
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