第15幕・状況イエロー

文字数 1,288文字

 じりじりとした時が司令部内に流れていた。

 セルゲイが司令部に入ってから4時間が経過しようとしていた。
 未だに,バークレーチームからの迅速解析の結果は届いていない。

 その時,アラームが鳴り,情報部と緊参チームから分析結果が司令部に届いた。

 今回の論文にも,ニーチェ特有のロシア語と日本語の訛りが確認されたとの報告である。
 しかも,今回,アップロードされた論文は,「有限問題の多項式の時間の判定を確率統計で定式化したところと,極限を利用してそれをNPとP問題に展開した個所」について,NP完全問題である数独を例題に,有限問題の多項式の時間の判定を確率統計で定式化できることと,極限を利用してそれをNP問題に展開できることを示しているとの報告も届いた。

 今回の論文が,ニーチェの論文を否定するために検証を進めていたバークレーチームに与えた衝撃は想像に難くない。

 セルゲイは,心の奥底で苦虫を噛み潰しながらも,部下たちの士気に影響を与えないように努めて冷静な表情を取るようにしていた。

 文章解析結果,電子署名,そして論文の内容。
 これらが意味することはただ一つ。
 間違いなく,奴が現れたのだ。
 ニーチェだ!
 
 今までは,P≠NPの証明が宣言されるたびに,1週間を待たずに,多くの研究者から論文の矛盾点が指摘され,いずれも否定されてきた。その度に,司令部では,大いなる父の全能性は何人にも侵すことができない神聖の力であることが確認されたと歓声が上がってきた。

 しかし,ニーチェは今までのテロリストとは異なり,証明プロセスに自明な原理を利用しているため,何人もそれを否定することは出来ていない。ニーチェの論文が発表されてから,識者たちの見解は「P≠NP問題は決着を見たのではないか」などの肯定的な評価が,否定的な見解を上回っている。

 このため,司令部には,大いなる父の全能性が否定されるのではないかと心が揺れ,解析結果が永遠に届かなければ,と考えるメンバーもいた。

 セルゲイは,自らの表情を隠すために,机に両肘を立てて寄りかかり,両手を口元に持ってきていた。

 その時,静寂を破るように,セルゲイに向かった振り向いたオペレーターが叫んだ。
 「司令!バークレーチームから迅速解析の結果が届きました!!」

 セルゲイは努めて冷静に「読み上げてくれ。」と答えた。

 オペレーターは,モニターに表示された迅速解析の結果に,目を大きく開き,一息入れてから読み上げた。

 「完全解析には至っていないが,今回のニーチェの論文は,肯定される可能性が大」

 司令部にいた全ての者が,その報告に息をのんだ。

 そして沈黙が流れた。

 暫くして,セルゲイは両手を机の上について,連合軍最高司令長官として命令を下した。

 「全軍に対して状況イエローを通達。」

 司令部要員は,日ごろの訓練に従って,慌ただしく状況を開始した。

 それを見ながら,セルゲイは,椅子の背にもたれかかり天井を見上げた。
 「これから忙しくなるな」と呟きながら。
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