第21幕・年越しそば

文字数 1,509文字

 大晦日の朝,玄関先で,先ほど宅急便で届いた年越しそばを前に結菜が腕組みをしていた。

「全く,送り先の都合も考えずに,こんなに大量に生そばを送ってくるとはねぇ。
 確かに,有名なお店のお蕎麦だけど。せめて,乾麺にするなどの配慮は出来なかったのかしら?
 一事が万事と言うことわざを知らないのかしらね。
 贈り物を送って,自らの評価を落とすとは。
 部下が選んできたお歳暮の中身をチェックしないと言うことは,普段の仕事内容も推して知るべしかぁ。
 経理の高橋(執行役員)が呼んできた昇格の幹事証券会社,確かに大手だけど,類は友を呼んだのかなぁ。
 東証でオープニングベルを鳴らしたら,高橋もろとも切るか。」などと,少々物騒な独り言を結菜が言ってから,リビングでオイラーと遊んでいる杏に,「杏,志緒里に電話して,年越しそばを貰ってと頼んでくれない」と声を掛けた。

 漣は,自身のアイディアを検証するために,部屋のPCで,同一のレイノルズ数だが流速が異なる場合の流体シミュレーションの画面を眺めていた。
 シミュレーションの結果は,多くの研究者が指摘しているように,空気のように圧縮流れの場合は,境界が相似かつレイノルズ数が一致していたとしても,流れ場全体の相似性は成り立たない=つまり,流速の変化によって大きく結果が変動していた。

 漣は,右手の人差し指で髪の毛を巻きながら,シミュレーション結果について考察を行った。

 初期条件で与えた流速の僅かな乱れや不確実さが,時間を経ると流れ場全体では大きな変動をもたらしていた。いわゆる,バタフライ効果の存在を示唆している。
 直観的な理解としては,ナビエ・ストークス方程式の非定常解の集合して乱流が生まれたとも言える。
 この点からも,長期予測不能性,すなわち,ナビエ・ストークス方程式には滑らかな解が存在しない可能性が示唆されていた。

 そして,漣は,彼の手元にあるメモを眺めた。

 漣は,解の存在が知られている幾つかの境界条件に対して,初期速度に観測誤差を加えて, ナビエ・ストークス方程式を解いていた。

 その結果は,境界条件に関わらず,ナビエ・ストークス方程式の解にあたる速度ベクトル場と圧力のスカラー場は定式化できたが,時間を∞にすると速度ベクトル場と圧力のスカラー場の範囲も∞,不確定になった。
 この結果から,境界条件を一般化した場合でも,初期速度に観測誤差を加えた場合,ナビエ・ストークス方程式の解は不確定になると言える。
 仮に,ナビエ・ストークス方程式の一般解が存在したとしよう。
 しかし,それは尖った針の上,もしくは広い鍋底のパチンコ玉のようなものであり,極めて不安定ものであると言える。
 つまり,我々,人類にとっては,ナビエ・ストークス方程式の解が存在したとしても,それは全く意味をなさないものであるとも言える。
 この意味においては,ナビエ・ストークス方程式の解は存在しないと証明できたと言える。

 しかし,ミレニアム懸賞問題では,「3次元空間と時間の中で,初期速度を与えると」としているため,観測誤差はない=神の視点があることを前提としている。
 ミレニアム懸賞問題に対する回答としては不完全だ。
 何かが不足しているのだが,それが分かれば。

 と考えを巡らしている時,部屋の扉がノックされた。

 漣は,席を立って扉を開けると,そこにはオイラーを抱いた杏が立っていた。

 思いもよらない客に驚いた漣に対して,杏は,「年越しそばが出来たから食べない?」と問いかけた。
 杏に抱かれたオイラーも「なぁー」と,漣に問いかけた。
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